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おじさんの標本
( 19970904 )

Japanese/English

このコーナーは、さまざまなメディアの中から、いまや絶滅の危機に瀕している「おじさん」を発見し、保護しようというものだ(たしかに「おじさん」という言葉自体、死語に近いが)。

初回は日本経済新聞の「天声人語」とも言える「春秋」欄から(5月12日分)。

この「春秋」の趣旨は以下のとおりだ。

「電車内で携帯電話を使う人が減ったのはマナー改善の証拠。だが、駅前の電話ボックスや新幹線の電話室で携帯電話を使っている奴はけしからん。『躾』という字は見を美しくするの意。最近の日本人の躾はなってない」

じつに「おじさん的」な言説である。

彼は、携帯電話がもたらした社会システムの変化に、まったく適応しようとしていないばかりか、適応できない自分自身の硬直した価値観を棚に上げて、携帯電話のユーザを非難するという暴挙に出ている。勘違いもはなはだしい。

改善すべきは、新幹線や駅の方なのだ。

新幹線には禁煙車というシステムがある。これは、喫煙習慣が日本社会にもたらした変化への、JRとしての適応である。ならば、携帯電話についても、たとえば携帯電話専用のブースを作るなどの適応があってしかるべきだ。

また、駅にしても、喫煙専用のスペースがあるのと同様に、今後は携帯電話専用のスペースを設けるべきである。それが新しい社会への適応であり、そこから次の時代の新しい価値観や生活習慣が形成されていくのだ。

ところが、この「春秋」の筆者は、ユーザに携帯電話をやめさせるという、後ろ向きの発想しかできなくなっている。所与のマナーを固定的なものとみなし、それに飽くまで固執するのだ。

そもそも「躾」というものも、時代とともに変化し、それぞれの時代の日本人のライフスタイルを形づくってきた。ところが彼は、その「躾」を1997年時点で固定させようというまったくもって理不尽な主張をしている。

それほどまでに彼の思考パターンは、低いレベルで安定してしまっている。

はっきり言って、こんな人間が天下の日本経済新聞の一面なんかを書いてもいいのだろうか?ぜひ縁側でネコの背中をなでながら、ひなたぼっこでもしていてほしいものだ。彼の時代はもう終わっている。


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