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だってマイ・ブームイズ・ミー
( 19970904 )

Japanese/English

7月12日(土)付け日本経済新聞31面「SATURDAY "X" NIKKEI」に、わけの分からない記事がのってた。

「マイブーム現象の裏側」っていうタイトルで、若者の「マイブーム現象」を分析してるみたいなんだけど、記者さんはこの現象を「最近の若者」の「飽きっぽさ」「見え」「逃げ道」「自分だけ」というキーワードで分析しちゃってるの。

(以下、記事からの引用)


  • 「本格的な趣味を持つには、どんなことでも最低、数ヶ月の努力は必要。だが、最近の若者にそんな根気はないらしい」(飽きっぽさ)
  • 「でも、趣味が全くないというのも寂しい話。彼らも何か自己主張したいという欲と見えは持っている」(見え)
  • 「熱中している事柄を『何々がきている』と表現する(...)自分の事なのにまるで他人事のように言うことで、ちゃっかりリスク回避している」(逃げ道)
  • 「さらに『マイブーム』の裏には、若者の社会的視点の欠如も感じ取れる」(自分だけ)
  • 「マイブームはまさにそうしたこぢんまりとした現代の若者を象徴する言葉というわけだ」

    よくもまあ、これだけケチをつけられるもんだなぁ、と感心しちゃう。この記者さん、よほどふだんから「最近の若者」にきちゃってるんだね。

    じゃあこの記者さんは、どんな若者なら「いい」って言えるんだろう?簡単だね。上の言葉を全部ひっくりかえせばいいんだ。

    「飽きっぽい」「根気がある」
    「見え」「ナマの自分」
    「逃げ道」「正々堂々」
    「自分だけ」「社会的意識」

    きっとこの記者さんって、「最近の若者」に、全共闘世代みたいなふうになって欲しがってんだ。そんなのムリに決まってんのにね。

    で、この記者さんは、「最近の若者」を自分の価値観でムリヤリ分析しちゃってるけど、その自分の価値観が、いかに古くさいかってことに気づいてるのかな?

    この記者さんがとらわれているのは、超ダサダサの「主体観念」だよね。

    デカルトに始まる近代合理主義の誕生以降、僕らの社会に深く根を張っている「主体」という考え方。要するに、私はこの私であって、私っていうのはただ一人で、つねに一定不変で、「われ思う、ゆえにわれあり」っていう。

    でも、そういう考えがいつまでも当てはまるなんて限らないでしょ。資本主義が高度に発達すると、それまでの「主体」「自己同一性」っていう考えがダメになっちゃって、人間はイヤでも「分裂症」みたいになっちゃう。

    フランスの現代哲学者のドゥルーズが20年も前にちゃんと分析してるじゃん。この記者さん、もっとちゃんと勉強してよ!!

    現にそうでしょ。世の中には数え切れないくらいのモノと情報があふれて、今までせいぜい10くらいしかなかったTVのチャンネルも、PerfecTVなんかで一気に何百になっちゃうわけじゃん。

    そしたら、逆に、いつまでも一つのことにこだわってるほうが「異常」で、次々新しいものを消化していく方が「正常」なんじゃないの?

    それから、趣味も次々いろんなことに乗りかえて、同時にいろんなことに興味を持ったりして、そうなってくると、「自己同一性」なんて考えそのものがほとんど意味がなくなってきちゃうわけでしょ。

    たとえば、「リーバイスがきてる」ときの自分と、「FENDIがきてる」ときの自分は、別に「同じ自分」でなくったってイイわけじゃん。

    高度に発達した資本主義状況下では、人間が「分裂症」っぽくなっちゃうのは、ごくごく自然なことだってことだけでしょ?それをどうしてわざわざ古くさい、全共闘世代的な価値観で分析しなきゃ気が済まないわけ?

    ってことで、この記者さんの論点をひとつひとつ反駁しちゃいましょう。


  • 「最近の若者」は「飽きっぽい」っていうより、「大量の情報をつぎつぎにうまく消化するすぐれた能力をもっている」
    (この記者さんにはなみたいだけど、ね)

  • 「最近の若者」は「見えっ張り」っていうより、ただの趣味なのに、必死になって汗かいて努力しなくたっていいじゃん。趣味は楽しけりゃいいわけでしょ
    (そのわりに「おじさん」って、みんなゴルフとか釣りとか、似たよーなことしかやらないじゃん。もっと人と違うことをやろうって考えはないわけ?)

  • 「最近の若者」は「逃げ道」を作ってるっていうより、べつにただの趣味なんだから、自己主張みたいに我を張らなくったっていいわけでしょ。なんでただの趣味に「哲学」を求めんの?

  • 「最近の若者」は「自分だけ」っていうより、なんで趣味に社会的視点が必要なの?もういい加減にして!!
    (「おじさん」なんてゴルフやってるけど、ゴルフ場こそ自然破壊の権化みたいなもんでしょ。フェアウェイをベストコンディションにするのに、どんだけ農薬使って、水質汚染してると思ってんの?趣味に「社会的視点」が必要なんなら、ゴルフなんかやめちゃいなよ)

    これだけ言えば、7月12日(土)付けの「SATURDAY "X" NIKKEI」が、いかに紙面のムダかってことがわかるよね。

    まったく、いつになったら「おじさん」は、モダンな主体観念から自由になってくれるのかなぁ。僕らはポストモダン、ポスト資本主義の時代を生きてるのに、そこへムリヤリ「モダン」なものをもちこんでもらいたくないんだけど...。

    もっとちゃんと勉強してよ、「おじさん」。


    先日、このページにつき、「記者さん」ご本人からメールを頂きました。

    このような記事の内容になったのには、会社という組織にいる限り不可避な事情があったとのことです。僕も一組織人ですので、こうした背景については「痛いほど」よく分かります。したがって、このページの「記者さん」の実名を伏せさせて頂きました。

    「記者さん」ご本人からのメールから引用しますが、


    「ただ、読み方を変えれば、(一部の)おじさんが最近の若者をどう見ているか、よく分かる記事にはなっていると思います。おじさんは激動する社会についていけず、焦っています。焦りが強いため、時代に臨機応変に対応している若者の言動に必要以上に敏感に、かつ敵対的に反応してしまいます」

    というのは、まったくそのとおりだと思います。それを日常的に「痛いほど」思い知らされているからこそ、僕はこういうHPを書きたくなるのです。

    この「記者さん」への返信メールにも書いたのですが、始末が悪いのは、そのような「おじさん」たちが、会社という組織の中で決定権を握っているということです。いくら僕が個人のHPでこのようなことをわめいてみたところで、組織の中での「おじさん」の決定には逆らえません。

    「おじさん」の始末の悪さは、自分が組織の中で(ときに暴力的なまでの)権力を握っていることに関して「無邪気」すぎることにあります。

    たとえ「中間管理職」であっても「管理職」であることには違いなく、部下はその命令に絶対服従です(その命令が会社の規則に反しない限りですが。もっとも、最近の汚職の例を見ると、法律には反していてもOKのようですね)。

    この「記者さん」も、上位の管理職の重圧には勝てなかったということなのでしょう。

    しかし、新聞社だからこそ、そんな重圧に負けずに、自分の書きたいことを書いて欲しいというのは、僕が新聞社を理想化しすぎているのでしょうか?新聞社も、僕の会社と同じ、一介の会社に過ぎないのでしょうか?だとしたら、「言論の自由」は絵に描いた餅でしかないのかもしれません。

    また、純粋にビジネスライクに考えると、日経新聞は野々村誠をCMに起用するなど、ここ数年若者に読者層を広げようと努力しているようです。しかし、このように若者の「こころ」に理解のない記事を載せれば、確実に若者の「日経離れ」は進行します。

    もちろんNikkeiXには、上記のような一面的な記事ばかりでなく、若者の「こころ」を真摯に受け止めた記事(たとえば数週間後に掲載された「新入社員・一学期の通信簿」など)も掲載されています。

    会社の利益を考えても、一面的に若者を批判する記事が望ましくないということは、この記者さんの上司の方々も分かりそうなもんですけどね(それを分からないというのが「おじさん」の「おじさん」たる所以なのであった!!)。

    いずれにせよ、僕はあらゆる面で理想を求めすぎているのかもしれませんね(反省)。当HPのエヴァンゲリオンの記事で、現実はそんなに甘くないということを思い知ったはずなのに。

    最後に、記者さんに指摘いただいた事実。


    なお、ご存知かもしれませんが、「マイブーム」はみうら・じゅん氏が3年ほど前に考えた造語です。また、署名記事ですので、「社説」(会社としての意見)ではありません。

    不勉強で申し訳ありませんでした。みなさんにもおわびいたします。


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