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リスクヘッジライフ
( 19970904 )

Japanese/English

40歳半ばを過ぎたおじさんサラリーマンというのはひどく説教好きで、自分の部署に新人が入って来ようものなら、歓迎会の席で必ずその新人を捕まえて一席ぶつものだ。

そのときおじさんが決まって口にするのが、「若いときの苦労は買ってでもせよ」という台詞である。しかし「苦労」という言葉が、X世代の若者にとってどれほど意味があるかは疑わしい。

たとえば、おじさんにも分かりやすいようにスポーツ選手の例をあげれば、イチローやタイガー・ウッズに、「苦労」という言葉が似合うだろうか?おそらく彼らは、子供の頃から野球やゴルフを楽しんでいたのであって、決して「苦労」させられた訳ではない。

いま、苦労「させられた」という言葉づかいをしたが、ここに「苦労」というものの本質が見られる。「苦労」とは本質的に受動的なものなのである。自分の意に反して、めんどうな事柄に巻き込まれ、その結果ひじょうに辛い目に遭うというのが、「苦労」ということだろう。

おじさんが言う「苦労」にも、受動的であるというコノテーションがある。「世の中が自分の思いどおりにいくと思ったら大間違いだぞ。イヤなことを無理やりやらされることもあるんだ。それを乗り越えてこそ、一人前というものだ」。おじさんの言う「苦労」には、このような含みがある。

イチローやタイガー・ウッズに「苦労」という言葉が似合わないのは、彼らが自分の運命を自分で選び取っているように見えるからである。「苦労」という言葉の持つ受動性とは正反対に、彼らは能動的に野球やゴルフを選び取って、自分の仕事にしている。

受動的な「苦労」に対比させて言えば、能動的な態度は「努力」という言葉になるだろう。

「苦労」という言葉が、期せずして置かれた境遇の中で、ただもみくちゃにされる事態をあらわすのに対して、自分で自分のなすべきことを選び取るのが「努力」だ。もちろん自分で選択したからには、それに見合うだけの「努力」が必要なのだが。

また、「苦労」が事後的な対処であるのに対して、「努力」はある種のリスク回避の行動と言える。自分の望まないことがらに巻き込まれて、後からイヤな思いをするくらいなら、前もって自分のやるべき事を決めてしまって最大限の力を注ぐ、それが「努力」である。

自分で選んだ選択肢だから、それほどイヤな思いをせずに、全力で打ち込むことができる。そうして「努力」することによって、自分の得意分野を作っておけば、自分の望まない事柄に巻き込まれるリスクは低くなる。

例えば、英語力というものを選択して徹底的に「努力」すれば、他人もその英語力を評価してくれるのだから、英語力を生かせる仕事に就くなど、自然と自分に好都合なようにものごとが運ぶはずだ。

ここまで来れば、おじさんに「若いときの苦労は買ってでもせよ」と言われたときの反論が思いつくだろう。

「それは、あなたの努力が足りなかったからじゃないですか?」

「苦労」している人間は「努力」が足りない、というのは、かなり真理に近いような気がする。大学時代に麻雀やパチンコで遊びほうけていて、就職した後に「苦労」するのは当然だろう。

懲りない人々は、社会人になった後でも、仕事が終わると毎日のように飲みに行く。また、休日を丸一日テレビゲームでつぶしてしまう。

若い頃の話をさせて酒の話しか出てこない中間管理職のおじさんは、「苦労」してもなんの不思議もないのだ。「努力」というリスク回避の行動を取らず、いつも後から「苦労」させられるという生き方を変えないのだから。

「苦労」型の生活から「努力」型の生活にシフトしてみるというのは一つの手だ。

リスク回避の「努力」型の方が、よほどスマートな生き方ではないか。そのためには、もちろん明確な目標と、それに対する「努力」を惜しんではいけないのだが。

X世代の僕らは、おじさんたちに明確な反論を示すために、能動的に選び取るリスクヘッジ・ライフにシフトしてみよう。


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