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![]() 未熟なのは誰か? ( 19980412 ) 1か月ほど前、権威あるサヨク雑誌『週刊金曜日』に記事が載ったというので、東京在住の高校生・及川君からメールを頂いた。で、その記事を紹介すると同時に、僕なりに社会学者ミヤダイ氏の議論を追認するかたちで、「悲しみを語る言葉」というページを書いた。 その及川君から、同誌の4月10日号に、及川君いわく「オヤジ系タカ派文化人を彷彿させる内容」の、大阪の高校生からの反論が掲載されたというメールがあり、さっそく本屋で立ち読みしてみた。いったい及川君がどこでそんなヴォキャブラリーを仕入れたのか興味があるところだが、まさに「オヤジ系タカ派文化人」的な反論で、逆の意味でとてもおもしろかったのでここに紹介してみる。 このT君の反論は、たぶん多くの人が「そのとおりだ」という正論として受けとめるはずの内容になっている。原文はリンクたどっていただけるとよいが、念のため以下に内容を要約してみよう。 及川健二君の思考・認識・文章はあまりに幼稚で傾聴に値しない。最近のマスコミも、中学生をスタジオに呼んで、彼らの「阿呆で醜悪な言説」を垂れ流して大差ない。ナイフ犯罪は、「弱者」という社会的規定に甘えた子供たちが、大人をナメた結果にすぎない。だから大人は「自分の脳髄で考えて」早急に少年法を改正するのがよい。 ざっとこんな内容である。 このT君は、大きくわけて2つの点で、『週刊金曜日』3月13日号に掲載された及川君の記事を理解していない。一つは、T君はレトリックというものをまったく理解していない。二つめは、T君は自分の立場をまったく理解していない。 まず一つめ。今発売されている『噂の真相』というキッチュ路線の雑誌に、及川君によるミヤダイ氏の性生活を暴くという記事が掲載されている。これを読んだとき、僕は彼のレトリックの屈折ぶりに、正直いって唖然としてしまった。仮にこの記事の読者が、ミヤダイって奴は青少年犯罪を社会学的に分析するという建前で、ヤリまくってるらしい。とんでもない奴だ!と義憤を感じつつミヤダイ氏の著書に手をのばすとすれば、彼の目論見は見事に当たったことになる。 世の中には、絶対にミヤダイ氏の主張になど聞こうともしない人々、つまり、個人の生活の幸福に自足している中流家庭の構成員、もっとわかりやすく言えば、たとえば僕の年代だと、車と女のことしか頭にない若手サラリーマンというのが山ほど存在する。そういう人たちに向かって、ミヤダイ氏は非常に優れた社会学者であるから、ぜひその著書を読んでみなさいと言ったところで読むわけがない(僕のこのページは限られた人々のためのものなので飽くまで「正攻法」だが)。 そこで、ブルセラ論争で女子高生の性の問題をとりあげたミヤダイ氏の下半身に迫るという方法を取るのは、むちゃくちゃ高度なレトリックである。及川君は「聴衆に合わせた話し方」というプレゼンテーションの基本を完全マスターしている。17歳にしてこの高度なレトリックを弄する及川君にまずノックアウトされるべきである。 『週刊金曜日』3月13日の及川君の記事にもどれば、彼は少年法改正など大人の言説に少年たち自身の言説が回収されてしまうことの危険性を理解している。よく考えてみよう。もともとナイフによる少年犯罪の背景として、子供に本音を一言も言わせない学校や家庭の息苦しさが指摘されていたのではないか?そして、少年法改正はその病根をさらに悪化させるだけだという指摘も。 そんな文脈があった上だからこそ、及川君はあえてナイフ犯罪の当事者としての少年自身という立場を標榜して「ナイフは僕らの日常だ」と書く。それは、大人の言説と少年たちの認識の差異をきわだたせるためのレトリックでなくて何だろうか?そんな文脈の中で、少年と大人の考えていることに大差はないという言い方で、大人の言説と少年の認識の差異を消し去ってしまうことに、いったい何の意味があるのか? もっと言えば、少年によるナイフ犯罪は、大人と少年の差異そのものでなくて、いったい何なのか?本当に大人と少年の考えに大差がないなら、そもそもナイフ犯罪が社会問題として取り上げられるはずがないだろう。 こんなごく当たり前のことを、T君はまったく理解していない。T君のように、少年たちの言葉を抹殺して、大人の言説に回収しようとする反論は、それ自身が犯罪的でさえある。つまり、犯罪を解決しようとするのでなく、単に隠蔽しようとしているだけだからだ。差異を差異としてきわ立たせるのでなく、差異を消し去ってしまおうとしているだけだからだ。 そこで、二つめ。もっと始末が悪いのは、T君が及川君と同じ年の「少年」であることだ。T君は自分が17歳の少年であるということを、どういう権利でいとも簡単に捨て去ってしまえるのか?どうしてそれほど簡単に大人の代弁者になってしまえるのか? 僕はここにこそ今の教育の恐ろしさがあると思う。つまり、子供は子供である限りまともな人格として扱ってもらえないということを、T君は見事に刷り込まれてしまっているのだ。少年によるナイフ犯罪を生み出した今の日本の教育は、子供をその語源どおり、言葉を話せない存在と見なしている。 T君は残念ながらそういう日本の教育を、正直に受け止めてしまうほどナイーブで未熟なのだ。だから自分は大人の仲間であるというポーズをとらざるを得ない。そして、『週刊金曜日』のような権威あるサヨク雑誌に記事を書く者は、及川君のような「子供」であってはいけない、と信じてしまっている。 T君は及川君の記事を未熟な少年のたわ言だと切り捨てているが、そういうT君こそ、「子供=半人前」という今の教育をごく素直に吸収してしまった「未熟な少年」の一人なのだ。 及川君があえて『週刊金曜日』で少年の物言いをぶつけてくれたように、今の大人たちが真剣に考えなくてはならないのは、少年の物言いを安易に大人の言説に回収してしまうような「良識ある態度」を取ることではなくて、その物言いに耳をひらくことではないか? ただ、最後に付け加えておけば、もし僕が今17歳だったら、T君のような反論をしでかしたかもしれないということだ。高校時代の自分をふりかえってみると、僕もやはり大人の良識を一日でも早く身につけることが無条件に善だと信じていたふしがあるので。少年によるナイフ犯罪の問題は、T君が言うような「大して難しいことではない」なんてことは決してない。 無断転載禁止
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