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罫線の引き方
( 19980507 )

Japanese/English

経営のまずさを、情報システムのまずさのせいにする経営者がいるとは、よく指摘されることである。経営がまずい限り、いくら立派な情報システムを構築したところで無駄だし、情報システムの力を借りて経営のまずさを立て直そうというのも本末転倒の発想だ、ということなのだろう。

個人のレベルでも同じことが言えるのではないか、と考えさせられるできごとがあった。

先日、他の部署の部長さんが僕の働く情報システム部門にぶらりとやってきて、ある年長のSEにマイクロソフト・ワードの使い方を質問し始めた。そのSEは昔から付き合いがあるようで愛想よく答えている。

ワードは使いにくい、罫線が書きにくいとしきりに嘆きながら、その部長はSEに食い下がり、結局30分以上もマンツーマン指導を受けて満足げに帰っていった。まあ、仕事がヒマな時期だったから良かったけれど、特定の個人に役務提供するのがSEの仕事ではない。

しかし、30分以上もかけてワードの罫線の引き方を教わる意味があったのかどうか?はなはだ疑問だ。罫線を多用した資料を作りたいのなら、ワードじゃなくてエクセルを使うのがよいとか、そういうことを言いたいのではない。

質問していたのは「部長」である。部長ともあろう方が、なぜワードで罫線が引けないからといって悩む必要があるのか、僕には理解できない。罫線が引けないのなら、罫線を使わずに同じ趣旨を伝える資料を作ればよい。それだけのことだ。

対外的なプレゼンテーション資料でない限り、罫線や図形などの視覚的な効果がどうしても必要だという書類は少ないだろう。それに、視覚的な効果のある資料づくりは、僕の会社ではだいたい担当者レベルの仕事と決まっているのだし(これ自体、良いこととは思わないが)。

この部長は、罫線が引けなければ自分の資料に説得力(?)がなくなると、恐れているのだろう。言いかえれば、自分の資料に説得力がないのは、罫線がないせいだ。罫線さえ引ければ、見映えがよく説得力のある資料ができあがる。だから「ワードの罫線の引き方」みたいな、ひじょうに些末なことに注意を奪われてしまう。

情報システムが立派でなければ経営は立ち行かない。そういう間違った経営者の発想とまったく同形である。罫線がなければ資料に説得力がない。これは誤りで、罫線があるかないかは、その人が説得力のある資料をつくれるかどうかにほとんど関係ない。

もっとつきつめて言えば、自分の能力のなさを、道具が使えないことのせいにしている。ワードが使いこなせないから、自分の仕事はまずいのだ。そう思うことで問題の本質から目をそむけている。真実は、ワードが使えても使えなくても、もともとその人の作る資料には何らかの問題があるのだ。

ある程度の年齢になると、やはりワープロソフトなどの細かいテクニックにまで習熟するには限界がある。僕はこういう経営者レベルの人が些末なことに時間を割くのは会社にとっても損失だと思う。

こういう人たちには、ワードの使い方とかエクセルの使い方といった研修よりも、経営方針をいかに部下に分かりやすく伝えるか、そうしたコミュニケーション技術に関する研修を受けて頂いた方が、よほど会社のためになるのではないか。

もちろん、ベタうちの文章さえワープロにできないというのは問題外だけれども。


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