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TVゲームと癒し
( 19980124 )

Japanese/English

神戸の小学生殺人事件の犯人が14歳の少年であることがわかり、またもやTVゲームなどのメディアがやり玉にあげられている。

相変わらず「TVゲームは悪だ」というお決まりの主張しかくり返せないマスコミに対して、ひじょうに力強い反論になる書物がある。精神科医である香山リカの『テレビゲームと癒し』である(岩波書店)。

この本は、筆者自身が体験した臨床現場の症例にもとづいて書かれている。他の治療法で効果のなかった神経症の子供たちに、テレビゲームをさせることで一定の成果があったというのだ。

精神発達におくれのある子供が、ファイナル・ファンタジーのような、かなり思考力の要求されるゲームをこなしたり、周囲から傷つけられるのではという被害妄想に悩まされている子供が、平気で激しいアクションゲームを楽しんだりする。

また、ゲームで失敗しても、それが子供の挫折感に結びつくこともない。むしろ、ゲームをプレーしている間だけ、症状が消えてしまう子供もいる。

著者自身、いったいなぜTVゲームがそのような治療効果を持つのか、理論づけしかねているようであるが、ここでは僕なりの考えをまとめてみたい。

キーワードは時間観念だ。

僕らが現実に生きている時間は、1秒1秒が新しく、けっして逆戻りできない時間だ。ちょっと5分前にもどってもう一度、というわけにはいかない。そのかわり、昨日と同じ道を歩いても、昨日とは違う風景だ。草木は生い茂り、冬には枯れていくし、一日のうちにも日は昇り、また沈んでいく。

後もどりがきかないという観念、今の瞬間は一回限りだ、という一回性の観念は、おそらく強迫神経症などの症状を、ひじょうに根深いところで規定しているのではないかと思う。ハイデッガーを引用するまでもなく、人間がつねにおびやかされている「漠然とした不安感」は、人間が限りある命をもち、しかも後もどりがきかないからこそだ。

それに対し、小説や映画はどうだろうか。小説ならいくらでも後もどりして読み直すことができる。映画もビデオで見る限り、巻きもどして観られるし、劇場へも何度も足を運べば「やりなおし」は効く。

そのかわり、小説や映画は、すでにそこに印刷され、あるいは現像されてしまっているので、何度見ても内容は同じである。したがって、「つねに新しい」という現実の時間がもっている性質は失われてしまっている。「同じ小説を何度読んでも新しい感動がある」というのは、読んでいるこちらの方が、現実の時間を生きているからにすぎず、小説や映画そのものが、観るたびに内容が変わっていくわけではない。

このように、現実の時間は、つねに新しいかわりに、一回限りである。小説や映画の時間は、変化しないかわりに、何度でも反復することができる。

僕は、TVゲームに流れている時間は、ちょうどこの中間の時間なのではないかと思う。つまり、つねに新しいのに、何度でも繰り返すことができるのだ。

たとえば敵を次々に狙撃していく3Dシューティングゲームを考えよう。

ゲームが始まってから、プレーヤーがどの方向に進むか、その角度が1度でも違えば、そこから先のゲーム展開はまったく違ってくる。その違いが1秒1秒積み重なれば、なんど同じゲームをプレーしても、まったく同じ場面になることはまずありえない。

これはロールプレイングゲームにもあてはまるだろう。とくに最近のマルチシナリオと呼ばれる、複数の結末が用意されているようなゲームならなおさらだ。

このように、TVゲームは、同じゲームを何度やっても、つねに新しい内容に出会うことができる。

しかし、TVゲームは同時に、何度でも繰り返すことができ、後もどりが許される世界でもある。主人公は何度でも死に、復活する。敵もまた何度でも死んで、復活する。

TVゲームを非難する人々は、何度でも死んだり生き返ったりするせいで、子供たちが命を軽く見てしまうと言うが、それなら小説や映画の主人公だって、何度でも死ぬし、生き返る(何度でも読んだり観たりすれば)。

そのような非難をする人々が見逃しているのは、TVゲームの時間は、つねに新しいということだ。つまり、今日死んだTVゲームの中での自分と、昨日死んだTVの中での自分は、「違う」人物なのである。

つねに新しいのに、後もどりができる時間。このような時間を体験できるメディアは、おそらくTVゲームの他にはないのではないだろうか?

精神を病んだ子供たちは、現実の時間、つまり、つねに新しいかわりに、後もどりが効かない一回限りの時間の中で、心に傷を負った。その結果、子供たちの中で時間が止まってしまう。つねに変化がなく、そのせいで、後もどりもなにもなくなってしまった時間の中に、子供たちは閉じこもってしまうのである。

しかし、TVゲームは、そんな子供たちに、現実の時間観念をとりもどす手がかりを与えてくれるのではないか?つねに変化がなく、後もどりも何もない、死んだような時間から、つねに新しく、なおかつ後もどりが効く時間へ。

そして、今、つねに新しいかわりに、後もどりも効かない現実の時間を生きている僕たちが、「ほんとうに後もどりが効かないのだろうか?」と考え直し始めている。たとえ失敗しても後もどりが効くだけの寛容さを持った現実の時間、そのような時間を僕たちは作りあげていく必要があるのではないか?

そんなことにも考えのおよばない、頭の固い人々は、相変わらず声高に叫んでいるようだ。「だからTVゲームがいかんのだ!」と。


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