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ERP現場は神様です
( 19980424 )

Japanese/English

僕はこのページで、くりかえしERPパッケージの導入の困難さを書いているが、無理なものはやめてしまえと言いたいのではない。導入のためには何が必要かについて、頭をつかわなさすぎる点に苛立ちを感じているのだ。

とにかく導入すれば何かいいことがあるだろう、そんないい加減な方針のために経営資源をムダにしてほしくない。そういった老婆心から、ERPパッケージを導入しようとされている方々に警鐘を鳴らしている。

今回は、日本企業の行き過ぎた現場主義の弊害について。

組織論的に日本企業をみた場合、ERPパッケージの導入にあたって最大の障害になるのは、ボトムアップ型の組織構造である。このページで紹介した一橋大学の学生の方の論文では、「現場中心的」と表現されている。

よく言われるように、ERPパッケージの本質は、パッケージに合わせて業務を改革することだが、このとき最大の障害になるのが現場の抵抗である。メインフレームによるオーダーメード型基幹システムの時代には顕在化しなかった悪弊が、ERPパッケージを適用しようとしたとたんに噴出する。

思うに、日本企業は「トップダウン」という言葉の意味を甘く考えすぎているのではないか。経営者が「ERPパッケージを導入します」と宣言するだけでは、「トップダウン」とは言わない。現場の抵抗を有無を言わさず押さえつけるところまで徹底して初めて「トップダウン」である。

ERPパッケージの導入は、Enterprise Resource Planningという名のとおり、全社的な経営資源配分の最適化がねらいである。そのために経営者は、企業全体という広い観点から、小さな問題を無視する勇気をもたなければならない。

現場の担当者たちが、現状の業務フローに固執し、現行システムからの機能ダウンを許さないと言い張るのは、自分の業務という狭い範囲でしか価値判断できないからである。日本的経営の企業においては、現場の要求はあたかも神の声であるかのように絶対視されることが多いが、しかしよく考えてみれば、長年現場でしか仕事をいていない担当者が全社的な課題に、より優れた判断を下せるなどという考え方はおかしい。

なぜ日本的経営には、経営幹部が現場の担当者にこびへつらうような構造ができてしまっているか。それはおそらく日本企業の経営幹部のほとんどが「元・現場担当者」であり、いわゆる「サラリーマン社長」だからであろう。

また、現場担当者は末端の作業者ほど自律的判断の機会を奪われており、単純作業に多くの時間を割かれる。そのために、業務効率化といえば、単純作業の効率化にしか目が向かず、もっと大きなスケールでの効率化を考えることができない。

さらに、現場担当者には、長く現場を担当している人々ほど、悪しき民主主義が根づく。彼らは自分のこなしている業務の「物理的な量」だけに自己満足を得ており、そこから自分たちは会社に貢献しているという自信をもってしまっている。だから、現状の業務フローという数少ない「既得権益」を、自分たちの私有財産であるかのように思っている。じっさいには業務フローからオンライン画面のデザインにいたるまで、すべては会社の資産であって彼らの私有物ではない。

そのような、自己中心的な現場の要求に経営者が耳を貸さざるをえないのは、経営者側に現場に対するコンプレックスがあるからだ。現場と経営幹部の間に、情報流を阻害する膨大な中間管理職の地層がよこたわっているため、経営者は現場の声をちゃんと聞けていないというコンプレックスがある。

そのため経営幹部は心情的に現場に強権的態度に出られないばかりか、その膨大な中間管理層が緩衝材となって経営者の強権を「中和」してしまう。中間管理職は、経営者以上に現場に弱い。

この極端な現場主義は、新入社員が会社に入ったときからはじまっている。幹部候補生たちは入社したとたんに、上司から「現場、現場」と現場信仰をふきこまれ、何にせよ現場の意思や意向を優先させるという考えが染みついてしまい、現場に頭が上がらなくなる。

このような現場主義が産み出すのは、不毛な責任のなすりつけあい、おたがいに寄りかかる甘えの構造でしかない。何か問題が起こったときには、責任者は「現場の意見を尊重したまでだ」と言い、現場は「責任者に言われたとおりにやったまでだ」と言う。現場主義とは、責任者にとって責任逃れのための口実にすぎないのだ。

この現場信仰は、ERPパッケージの導入の場でもくりかえされる。従来のウォーターフォール式システム開発から、プロトタイピング式へ開発手法を改革しようというので、現場にプロトタイプを見せて要求を聞く。

当然、現場からはERPパッケージに関する不満が噴出する。そしてSEたちは「プロトタイピング手法」という言葉の意味を誤解し、現場の声をひとつでも多くシステムに取り入れようと努める。その結果アドオンと開発コストと開発期間がが雪だるま式にふくらみ...。

ERPパッケージの導入に関する限り、悪しき現場主義は捨て去るべきだ。しょせん現場担当者は自分の見える範囲のことしか判断できない。そんな狭い視野に、全社レベルの情報システム構築がふりまわされる理由はまったくない。

しかし、中間管理職や「現場」のSEが、そのような強権的な態度に出ることは難しい。だからこそ「トップダウン」なのだ。

「トップダウン」とは、「ERPパッケージを導入します」という抽象的な宣言をするだけに終わらない。宣言するだけなら誰にでもできる。その宣言が、組織の末端にいたるまで実質的な強制力を持つような制度を整備することも含んでいるのだ。

たとえば、ERPパッケージの標準モジュールの適用を義務づけ、アドオン開発部分の予算を開発1件あたりいくらと制限する社内規則を作る。その規則に適合しない開発計画に対しては、予算の認可を出さない。など、制度によるコントロールを行わない限り、日本的経営の企業ではどうしても「現場の声」が優先されてしまう。

このような制度の整備など具体的な方策を一切おこなわず、ただ「ERPパッケージを導入しましょう」というかけ声だけの経営幹部は、ファナティックな現場信仰のために正常な経営判断を鈍らされているとしか考えられない。あまりに楽天的な、あまりにあいまいな経営である。

ERPパッケージの導入にあたっては、日本的経営の企業は、日本的であるがゆえになおさら、制度面での整備による標準化の強制力を確固たるものにする必要があるのだ。ERPに関する限り、無用な現場コンプレックスは捨てよう。


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