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![]() 情報の「かたち」の意味 ( 20020329 ) 国内のノーツ導入実績はクライアントライセンスで1,000万と言われている。この数字の真偽の程はさておくとして、国内の多数の企業にノーツをつかって蓄積された膨大な文書データが存在することは確かだ。にもかかわらず社内情報共有のプラットフォームとして、あっさりとノーツを捨てて呪文のように「Webベース、Webベース」ととなえる企業が多い。しかしベンダーに踊らされてノーツを廃し、安易にWebベースに飛びつこうとする企業は、ノーツに蓄積されるデータとリレーショナルデータベースに蓄積されるデータの性質の差異をよく分かっていないのではないか。 リレーショナルデータベースに蓄積されるデータは形式化された後のデータだ。形式化されたデータは利用者のインターフェース部分と分離しやすい。データを蓄積する器とそれをどう見せるかを分離しやすいということは、見せる部分のシステムはクライアントサーバであろうが、Webベースであろうが何にでも作りかえられるということだ。 他方、ノーツに蓄積されるデータは形式化しにくい非定型データ、文書型のデータである。非定型のデータは、データの見せ方そのものがデータの属性の一部になっている。たとえばお役所に提出する婚姻届の用紙は、たとえ「婚姻届」という文字を隠したとしても、僕らはそれがなんとなく婚姻届の用紙であることが分かる。文書データとはデータのレイアウトそのものがある種の意味を伝えているようなデータのことである。 そのようなデータを蓄積するのに、データを飽くまでフォーム(様式)をもとにして設計するノーツのような器はうってつけである。ノーツに蓄積されるデータはフォームがあって初めて意味を持つのであり、フォームと切り離してテキストやバイナリ(添付ファイル)としてリレーショナルデータベースに移行したとしても、それを見せるときのフォーム設計はノーツのものを継承しないかぎり企業の業務に役立たない。 また、単純にノーツに全文検索ツールを付加したところで必ずしも情報検索の効率が向上しないのは、ノーツの文書一覧機能(=カテゴリ別に分類されたビュー)そのものがある種の「フォーム」になっているからだ。日常業務で見慣れたファイルは、見慣れたインデックスが見慣れた順番でついていて頻繁に変更されないからこそ、使うにつれて習熟し、検索効率が上がってくる。人間の情報検索能力が優れている点は、情報をいちいちその内容によって検索せず、全体の幾何学的な「かたち」として一括してとらえることができるためである。ノーツは意図せずしてフォームやビューといった設計要素によって、人間の習性にかなった「完全には形式化されていない」情報検索手段を提供できるのである。 大規模なリレーショナルデータベースのデータを、別サーバ上に構築したデータマートに吐き出して、柔軟な検索ができるOLAPツールを社内のユーザに開放したが有効活用されなかった、というのはよくある話である。そういう企業は結局、定型的な検索式をボタンにして、そのボタンをクリックすれば毎回、同じ検索式にもとづいた検索結果を閲覧できるように運用を変更するケースが多い。 このような事例も自由度の高いツールが必ずしも情報検索の効率化につながらないことを示している。むしろ適度な不自由さが人間の適用を促し、「手になじむ道具」を作り出すという望ましい結果を産むのである。 話が迂回したがノーツの情報共有ツールとしての特徴は、そのような不完全な形式化、「人間くささ」にある。そうした特徴は逆にITに対して純朴な合理性信仰を抱いている人たちにとっては、ノーツを捨ててより形式的・合理的なWebプラットフォームへ移行する動機付けにもなってしまう。情報の性質によって道具を使い分けるという当たり前のことができず、あらゆる情報を形式化・合理化する方向に動いてしまうのは、いかにも会社員的単眼思考である。 この点でもやはりノーツは使う人を選ぶツールといえる。Web化のブームに踊らされてノーツをうっかり手放してしまった企業は、ノーツに最適なコンテンツを合わない器に無理やり押しこめるという大きな間違いを犯していることに一体いつ気が付くだろうか。 今後ダークファイバの開放などによって広域でのブロードバンド環境は着実に整備される。大企業にとってノーツをWebプラットフォームに置換する最大の理由は、ネットワークの帯域だと考えられるが、ブロードバンドが安価に手に入るまでのたった数年間の通信コストを抑えるために、ノーツに蓄積された非定型情報の「かたち」のもつ意味をそぎ落としてWeb化することで、貴重な知的資産が失われることになる。それに気づけるほど情報のデリケートさを認識している会社員がいったいどれほどいるだろうか。 無断転載禁止
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