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ネットサーファーの自己責任
( 19981016 )

Japanese/English

ホームページはプライベートなものなのだろうか?それともパブリックなものなのだろうか?

最近、名古屋の近くに住んでいるこのページの読者から、名古屋の悪口を書かれるとやっぱり腹が立つというメールをもらった。もちろんそれを承知で書いているのだが、問題はそれをホームページに書いてよいかどうかという点だ。

例えば、友だちとの雑談で「SPEEDの○○ちゃんってどこがカワイイのか分からないよね」と言うのと、ホームページで同じことを書くのは潜在的な聴視者の数が違う。

しかしつねにホームページの方が露出度が高いとは限らない。雑談しているのがたまたま混雑しているマクドナルドだったら、ホームページより多くの人の耳にとどくこともあり得る。

週刊誌の広告スペースを買って極太ゴシック体で同じことを書けば、プロダクションから名誉毀損で訴えられたり、熱狂的なSPEEDファンから脅迫状を送りつけられたりするかもしれない。

さて、ホームページは友だちの雑談と、週刊誌の広告スペースのどちらに近いのか。私的なものか公的なものか?

インターネット上には一日200万件もヒットする NIKKEI NET のようなホームページがある一方で、ひと月に数人訪れればいい方というサイトもある。掲載されている情報についても、どれが正確でどれがデタラメなのかは読む側で判断するしかない。

現実の物理的な空間なら、大企業の立派な本社ビルと学生の汚い下宿の「権威」の差は一目瞭然だが、サイバースペースでは逆に大企業のサイトよりもっともらしい個人ページがいくらでもある。

おもしろいのは、ホームページ上で匿名で書くから、知り合いに言えないようなことでも書いてしまえる、という感覚だ。こうなってくるとますますインターネットが私的なものか公的なものか分からなくなる。

そういえばニフティー電子会議室訴訟というのがあった。1997年5月26日に東京地裁の判決では、電子会議室の運用管理担当者の監督義務も課している。

あちこちのインターネット掲示板に名誉毀損的な発言を書き込まないよう、注意書きがあるのもこの事件からだろう。裁判所は電子会議室の発言は多数の会員が読むことができるので「公然性」を有すると判断した。だとすればインターネットにも「公然性」が問われることに違いない。

ただ言論の自由と名誉毀損はつねに対立している。だからこそ法廷で争われる意味がある。

ニフティーの訴訟では特定の人物について何度も中傷誹謗するメッセージが書き込まれたことが問題になった。明らかに名誉毀損で訴えるに値するヒドさだ。だからといってインターネットで特定の人物・団体の批判は一切ダメということにはならない。

僕のページでも特定の人物や団体に批判的なことがたまに書かれている。根拠もなしに書いているわけではないので、反論は大歓迎(時間的な制約もあるのですべてに答えることはできない)。

個人のひとりごとが世界に開かれているのがインターネットの面白さなのに、僕はつねに大勢の聴衆を想定して無難な発言をしなきゃいけないのか?そもそも誰も傷つかない発言など可能なのか?

誹謗中傷を何度もくり返すなど、明らかに名誉毀損にあたるものでない限り、言論の自由は保証されているだろう。そしてその言論を受け取る読者の批判力が信用されている。

僕が名古屋の悪口を書いたからといって、名古屋があらゆる面でひどい場所だとは誰も思わない(本当にひどい所なら名古屋の人口はゼロのはずだ)。

インターネットは利用者の的確な判断力や自己責任を要求している。この点で高度に民主的なメディアなのだ。この責任を引きうけずに言葉狩りに走るなら、最悪の事態が待っているだろう。


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