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なぜパッケージを使わないのか?
( 20000708 )

Japanese/English

複数の企業で社内情報システムに関わる仕事をしていると、企業ごとの個性がよく現れていてとてもおもしろい。僕が経験したのは(1)情報システム構築事業をビジネスとしているがそれとは無関係な事業所の社内情報システム部門、(2)情報システム構築事業を事業の柱としている企業の営業部門、(3)情報システムとはまったく無関係な業種の社内情報システム部門の3パターンである。

この3つのケースで僕が注目したい点は、業務パッケージソフトに対する考え方である。ここで業務パッケージソフトと言うときには、グループウェアのようなインフラに近いものから、CRMやAPSなど特定の業務にしたものまで、かなり広い範囲で「既製品のソフト」のことを言っていると考えてもらいたい。ただしWindowsなどの基本ソフトやOracleなどのDBMSは除いている。

そもそもこれらの業務パッケージはどうして登場したのだろうか。それには、大型コンピュータで行われていた企業の業務処理が、ダウンサイジングによってクライアントサーバ・システムへ移行した前後の変化を考えてみるとわかりやすい。

大型コンピュータ(メインフレーム)上で業務パッケージを開発するときは、IBMなどのコンピュータメーカーが基本ソフトと開発環境(COBOL、C言語など)を提供し、社内情報システム部門が自社の業務にあわせて一から開発するという完全な自主開発の世界だった。

大型コンピュータは各社それぞれ独自の規格だったので、仮に汎用的な業務パッケージソフトをIBMなどのメーカーが開発するにしても、開発にかかるコストを回収できるだけの十分な規模の市場が存在しなかった。そのような業務パッケージがあったとしても非常に高額なもので、それなら自社で開発したほうがいいと判断する企業がほとんどだったに違いない。

それがクライアント・サーバの世界になると、メーカーごとの独自の規格というものがなくなり、IBMのサーバで動くソフトはNECのサーバでも富士通のサーバでも動くということになってくる。汎用的な業務パッケージに対するマスマーケットが生まれるのだ。マスマーケットが生まれれば業務パッケージ自体の価格も下がり、社内で自主開発するよりも、既製品を買ってきて手を加えたほうが安くあがる可能性がうまれる。

このように、大型コンピュータの時代には各社独自の規格に縛られるがゆえに、メーカーの提供した開発環境を使わざるを得ず、したがって業務パッケージというものは存在し得ず、業務システムは社内で自主開発ということになる。一方、ダウンサイジング後の世界ではコンピュータの規格が標準化されたため、業務パッケージを売り物にするソフトハウスが登場して、業務システムも既製品を使う部分と自主開発する部分という使い分けが重要になる時代になった。

ところが、である。僕のように仕事で情報システムに関わっている人の中には「ダウンサイジング」なんて言葉はもう死語だ、と思っている人がいるかもしれないが、個々の企業内ではいまだに大型コンピュータ時代の発想を、意識的に、あるいは無意識にひきずっているところがまだまだ残っている。

なぜ企業内の情報システム部門は大型コンピュータ時代の発想をひきずってしまうのか?その理由は実は非常に人間くさいところにある。つまり社内情報システム部門に在籍している情報技術者(SE)たちの「プライド」と「頑固さ」なのだ。

このことは冒頭の(2)のケースを経験していた時代に僕が痛感したことでもある。いろいろな企業を訪問して新しい技術を使ったクライアントサーバ・システムを紹介すると、経理部、営業部などコンピュータの利用側の人々は「こりゃいい!」と好意的な反応を示すのに対して、情報システム部門の人々は多くの場合、不機嫌になる。情報システム部門の人々は社内のシステムを一から自分たちで作り上げてきたという「プライド」があるためだ。

もう一つの理由は社内情報システム部門の「頑固さ」である。彼らは大型コンピュータの時代に、メーカーが提供する開発環境を必死で勉強し、その機能をいかに使いこなすか、限られた機能からいかに多くの機能を引き出すか、地道な努力と研鑚を続けてきた結果、その開発環境についてはまさに「職人芸」の域に達しているのだ。

ところが「職人」は時代の変化には抵抗する。「職人」は自分の手になじんだ「道具」でないと使いたがらない。「職人」はすべてのことを知りたがろうとする。「職人」は自分の技術を言語化するのが苦手だ。

そんな「職人」たちにとってダウンサイジングの流れは実に不愉快なものである。自分たちの手になじんでいない「業務パッケージ」という新しい「道具」を押しつけ、その業務パッケージの内部のしくみはソフトハウス側の「企業秘密」として公開されず、しかも業務パッケージにはいろいろな出版社から「サルでもわかる」解説書が出されている。

クライアントサーバの業務パッケージは、あらゆる点で大型コンピュータ時代の社内システムを支えてきた「職人」SEたちの神経をいらだたせる。「職人」たちはそんなソフトは信用できないと抵抗し、開発手法なんて自分で地道に調べるものだと批判する。

しかし結局のところ業務パッケージに対する「職人」たちの嫌悪感は感情的なものでしかないのだ。なぜなら、利用者である経理部門や営業部門の人たちは新しい「道具」と基幹システムを差別なく受け入れようとするからだ。そんな利用者部門を見て、「職人」SEたちは裏切られた思いがする。今まで彼らのためを思って日々基幹システムの研鑚につとめてきたのに、と感じる。そして利用者部門まで批判するようになる。彼らは何も分かっていない、ソフトハウスの甘い言葉に夢を見させられているだけだ、という具合に。

さて、ここまでの議論には一つの暗黙の前提がある。それは「クライアントサーバの世界でパッケージを利用せずに業務システムを一から開発するなんてナンセンスだ」ということだ。ただ、この前提が通用しない「例外」があるので注意してほしい。その例外とはその企業が情報システムそのものをビジネスにしている場合だ。僕が経験したケースでは(1)(2)の場合がそれにあたる。

つまりパッケージ利用にメリットがあることを知りながら、社内の技術蓄積のためにあえて自主開発を選択するということだ。そうして社内の技術レベルを上げ、ゆくゆくは商売につなげる。こういうことならなるほど自主開発することにも意味がある。

しかし情報システムの構築とまったく無関係な業種の企業が、クライアントサーバの世界でも自主開発にこだわることに何か意味があるだろうか?つまり(3)のケースのことである。

クライアントサーバの世界は、歴史は浅いが、かなり「厚み」を持った世界であることは言うまでもないだろう。例えばメモリ共有するマルチスレッドの排他制御をどう実現するかという「基礎技術」の世界から、データベース・チューニングやネットワーク設計などの「やや基礎技術」の世界、オブジェクト指向分析を駆使してプログラム部品を開発する「応用技術の中の基礎技術」の世界、そして既製プログラム部品を使って業務システムを構築する「応用技術」の世界。このようにクライアントサーバの世界では、すでに社会分業体制ができあがってしまっている。

しかし自主開発にこだわる「職人」SEたちはこのような社会分業化の流れを見逃している。大型コンピュータの時代、彼らは「やや基礎技術」の層から「応用技術」の層まですべてを自分たちでこなしていた。その古い発想のままクライアントサーバの世界を生きようとすれば、利用者部門とすれ違いを生じるのは当然だ。

結局のところクライアントサーバ時代の企業の社内情報システム部門は「応用技術」の層でやっていく必要がある。つまり連結会計、顧客管理、在庫管理、生産管理など、社内の業務に対応してどのような業務パッケージが各ソフトハウスから提供されているか、また、それぞれのパッケージの長所・短所は何かを理解し、社内の利用者部門に対して決められた予算に見合った提案ができるかどうか、そこにこそ社内SEの腕のみせどころがあると考えるべきなのだ。

日本がアングロサクソン型資本主義に流されるにせよ、それに抵抗して「日本型」資本主義を目指すにせよ、とにかくビジネスの世界の変化は激しい。ただでさえ激しいその変化に追随するのに「基礎技術」のレベルからすべて自前で研究したって追随できるわけがない。もしそれをやろうとするなら、それこそマイクロソフト並みに何百、何千というSEをかかえて大規模な開発体制で臨まなければできっこない。

もっと有体に言えば(3)のパターンに当てはまる企業の社内SEは、ソフトウェアの「しくみ」よりも「使い方」に関心を持つべきだ。「しくみ」はパッケージを開発したソフトハウスに任せておけばいい。そのソフトを自社内でいかにうまく使いこなすか、そのためのアイデアを利用者部門に提示することにもっと心をくだくべきなのだ。

それでも「ソフトハウスは信用できない」「パッケージソフトなんて使いたくない」という職人SEたちは、自分で会社を起こして自分の納得のいくソフトを開発して世に問うてみるのがよい。それをする決断力や勇気がないのであれば、考え方を改めるべきだ。それも嫌だというなら、そんな情報システム部門は利用者部門から必ず見放されるだろう。

以前からこのページで主張していることではあるが、これからのホワイトカラーに「職人芸」や「職人気質」は必要ない。必要なのは合理的な判断力なのだ。


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