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![]() 時計仕掛けのマネージャ ( 19980523 ) あるユーザ部門のエンドユーザの言葉を聞いて、あらためて情報システムの役割について考えさせられた。 そのエンドユーザと新たな情報システムの要求仕様の打ち合わせをしていたときのことだ。話が細部に及んでくると、だいたいエンドユーザというのは事細かな要求を思い付いたようにならべるものだ。SEの役割は与えられた予算と費用対効果を考慮しながら、最適なシステムを提案するのが仕事だから、エンドユーザの要求はとりあえず聞くだけはすべて聞く。 しかし、そのうちそのエンドユーザが、僕からすればとんでもないことを語りはじめた。最近、スクリーンセーバをつかったニュース配信など、プッシュ型コンテンツがはやっているが、それを業務に取り入れたいというのだ。 つまり、出社してパソコンの電源を入れると、今日処理すべき業務の一覧が表示される。業務中に処理すべきデータが新規に発生したら、それをリアルタイムに警告する。何日間も放置している残務があったら、画面に警告メッセージを表示する。管理者は各人の残務の一覧表をグラフの形でいつでも確認できるようにする。などなど...。 いわば、「イヤでも仕事をさせる」ようなユーザインターフェースを作ってくれというのである。もちろん半ば冗談での話だが、基本となる発想については、そのエンドユーザは真剣そのものなのである。 みなさんはどう思われるだろうか?僕は正直いって絶句してしまった。 その理由のひとつは、そこまでしなきゃ仕事をしないような社員に、いくら業務効率化のためのコンピュータを与えても無駄だろう、ということ。もうひとつは、「仕事をさせる」のは情報システムの役割か?ということだ。 まず最初の理由から。はたして、コンピュータに尻をたたかれなきゃ仕事をしないような社員の存在意義とはなんだろうか?そのエンドユーザ曰く、「会社にはいろんな人がいるんだから」ということだが、すくなくとも仕事をする人だけが会社に残るべきだし、これこそ日本企業の悪しき平等主義を支える「結果の平等」イデオロギー以外の何ものでもない。 仕事をしたくない社員の尻をたたくのが会社の役割なら、仕事などせずにオフィスでアイスコーヒーでも飲みながらリラックスして、同じ給料をもらう方がはるかに合理的な行動だろう。それを「会社にはいろんな人がいるんだから」と言いきってしまうことには明らかに問題がある。 このページの別のエッセーで、「利益の最大化は望ましくない」という、ある大企業の社長の失言を取り上げたが、このエンドユーザの発想も一般常識から大きくズレている。 会社は従業員のために存在するのではない。株主や顧客のために存在するのだ。そんな基本的なことを忘れてしまうほど、ベテラン・サラリーマンは「常識的判断能力」を鈍らされてしまっているのか。 そして2つめの理由。百歩ゆずって、社員の尻をたたくのも会社の役割であることを認めたにせよ、尻をたたくのははたして情報システムの役割か?ということだ。 このエンドユーザの描く理想的職場とはどんなものだろうか?うららかな春の午後、ついデスクの前でうとうとしかけた社員に、ピピーッ!!とコンピュータからの警告音。「ハヤクシゴトヲシナサイ」というテロップがスクリーンセーバに流れる。「アナタノキョウノのるまハ100ケン、100ケン...」。社員はおもむろに両手をキーボードに置いて、仕事を始める。 昼休み、だれもいなくなったオフィスの、すべてのパソコンのスクリーンセーバに、「アナタノキョウノのるまハ85ケン...」「アナタノキョウノのるまハ150ケン...」「アナタノキョウノのるまハ35ケン...」という文字が流れ、ときに残務が既定値を超過したことを示す警告音がピピーッ、ピピーッ!と鳴り響く。 これを現代版『モダン・タイムズ』と言わずして何と言おう。『モダン・タイムズ』に描かれたようなフォード・システムは過去の時代の遺物である。情報システムの生まれた理由は、人間を単純作業から開放し、より創造的な仕事をさせることではなかったか?そして、情報システムはさらに進歩して、大量のデータを処理することで人間の意思決定を支援する役割さえ持ちはじめている。 そんな時代のオフィスに、このエンドユーザはもう一度現代版フォード・システムによる人間疎外をもちこもうというのだ。僕が唖然としたのは、この発想がとんでもないアナクロニズムだからであることは、もう言うまでもないだろう。 たとえ情報システムではなく、管理者がやるにしても、そのような管理・統制主体のマネージメントで社員が動くわけがない。高度な能力が要求される現代のホワイトカラーは、自己実現や、自己目標の達成など、より高水準の欲求を満足させることで、仕事への意欲をもつものである。そのための工夫をこらした能力開発制度が、各企業の経営者によって少しずつ導入されている。 こんなことは、中小企業診断士のテキストを読めばいちばん最初に書いてあることだ。経営者がそうした制度を必死で定着させようとしているのに、部門の代表として新しい情報システムの要求仕様をつくる社員が、フォード・システムを復活させるような発想しかできない。この経営者と現場社員のギャップはいったい何なのだろうか? すこし前、日本的経営は、一流の職人を育成することはできるが、一流の経営者を育てることはできないとこのページに書いた。日本企業のベテランサラリーマンは、確かに現場の担当者としては一流かもしれないが、その過程でいったいどれほど経営的観点を学んでいるだろうか?結局いつまでたっても、自分の仕事に対してさえイニシアティブを取れない、被管理型社員になっているのではないか? 経営的観点がまともに学ばれていたら、社員の尻をたたくためにわざわざ最新の情報システムを使うようなことを思い付くはずはないのだが...。 読者の方はどう思われるだろうか?ぜひ感想をメールでお寄せいただきたい。 無断転載禁止
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