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![]() 崩れ去るバベルの塔 ( 19980703 ) 情報システムとは、企業にとっての「ことば」である。 情報システム部門で働くSEとして注目すべきニュースが2つあった。一つは、東芝が受注生産体制に移行するために、国内の25の生産拠点すべてに、資材調達・生産・販売を統合した新しい情報システムを導入するというもの。もう一つは、三菱化学が株価回復をねらって、1998年3月期決算で、事業分野別の収益を公表したというニュースである。 僕なりに解説を加えておくと、まず東芝の新生産システムは、今はやりの「サプライチェーン」の考え方にもとづくものだ。今までの大企業の情報システムは、工場ごとに別々に開発されており、同じ工場の中でも、購買部門・生産部門・営業部門などと、部門ごとに構築されていた。 どうして統一した情報システムにできなかったのか?それは、メインフレームやオフコンの時代は、コンピュータどうしをかんたんに接続する方法がなかったからだ。そのため、部門ごと、工場ごとに、情報システムを作らざるを得なかった。 しかし今は、インターネットやイントラネットの基本になっているTCP/IPという技術のおかげで、メインフレームからパソコンまで、大きさの違うコンピュータどうしをかんたんに接続できるようになった。東芝が今回の発表のように、全工場・全部門に共通な情報システムを導入できるのも、メインフレーム時代の「部門ごと・工場ごと」というシステム開発体制から早めに脱皮して、新しい技術にあわせた体制づくりを根気よく続けてきたからだと思う。 多くの大企業が、いまだに「部門ごと・工場ごと」でバラバラの情報システムを作りつづけているのは、メインフレーム時代の文化から脱皮するのがいかに難しいかをよく示している。それだけに、東芝の発表は、僕ら情報システム部門の人間にとっては、とてもショッキングなニュースなのだ。 そして、三菱化学の事業分野別損益の公表。国内の専門家の中には、日本企業がここまで詳細な情報を公開するとは思わなかったと、驚いている人もいるという(詳しくは『日経ビジネス』6月29日号)。 ただ、他の大企業は、ここまで詳細な情報を公表したくてもできない、というのが本音だと思う。というのは、会社のすべての事業分野の損益を、ここまで細かいメッシュで集計する情報システムそのものがないからだ。この三菱化学のニュースは、一見するとIR(インベスターズ・リレーション)のニュースだけれど、その背景には情報システムの問題が隠れているのである。 これで、これら2つのニュースの共通点が、なんとなく分かっていただけたと思う。つまり、大企業が全社共通の情報システムを持つということが、いかに難しいかという点だ。東芝と三菱化学はこの困難を着実に克服して、他社との競争に勝とうとしている。 ではなぜ全社共通のシステムを作れないのか。技術的には、上述のとおり、メインフレーム時代の文化をまだひきずっている企業が多いからということになるが、つまるところ、その企業が「ことば」を大切にしているかどうかにかかっている。 みなさんは聖書に出てくるバベルの塔のお話をご存知だと思う。手元に聖書のある方は、創世記11章を開いていただきたい。旧約聖書の最初の方にある。 世界中が同じ言葉を話していた時代、人々が天までとどく塔を建てようとした。神様は、人間がこのような思い上がった企てをするのは、言葉が通じ合うからだと考え、お互いの言葉が聞き分けられないようにしたという。 僕が企業にとって情報システムが「ことば」だという意味は、このバベルの塔の寓話によっている。世界中の人々が共通語を話せたら、バベルの塔は完成していたかもしれないのだ。実際に、ここまで社会科学・自然科学が進歩したのは、英語が世界共通語として浸透しているからだとも言える。 そして、ひとつの企業の内部でも、同じことが言える。それぞれの部門が違った「ことば」(=情報システム)を使っていたのでは、他の部門や工場に経営状況が伝わりにくくなる。メインフレームの時代と違って、今は技術的に同じ「ことば」(=TCP/IP)を話すことが可能になっているのに、いまだに「部門ごと・工場ごと」の情報システムから抜け出せない企業は、「ことば」としての情報システムを軽んじているとしか考えられないだろう。 ところで、会計学の教科書を読むと、きまって「企業会計は企業のありさまを語るための『ことば』だ」と書いてある。上記の三菱化学の例がまさにそれで、じゅうぶん「ことば」を尽くして情報を開示する、これからの企業に求められるアカウンタビリティーもやはり、その企業がどれだけ「ことば」を重視しているかにかかっている。 情報開示にしても、全社共通システムにしても、根っこにあるのは、その企業が「ことば」をどれだけ重く見ているかだ。逆に言えば「ことば」を軽視する企業は、いつまでたってもメインフレームの負の遺産から逃れられないし、十分な情報開示をする文化も育たない。 では、ある企業が「ことば」を重視する文化であるとは、どういうことか?これには逆を考えればよい。はっきりと「ことば」にしない文化。「暗黙のルール」が支配する組織。問題点を「ことば」で明確化せず、責任の所在もあいまいな組織。このような企業が、全社共通システムやアカウンタビリティーと無縁なのは当然だろう。 たとえば、経営上の重要な問題に突き当たったとする。「ことば」を重視する社風の企業は、まず問題点を「言語化」し、明確にする。そして、十分に議論を尽くす。ドイツの哲学者・ハイデッガーが言ったように、「問題は正しく問われたとき、すでに答えが出ている」。つまり、このような企業は、経営上の問題を早期に解決することができる。 一方、「ことば」を軽蔑する企業はどうか?まず問題が見つかっても、それを明確化しない。責任の所在がはっきりしてしまうのを恐れているからだ。そのため、議論ができない。協調性を重んじるあまり、部門間の対立を避けようとするからだ。その結果、時間だけが過ぎて、タイムリミットになったときに仕方なく結論めいたものをひねり出す。 「ことば」を重んじる企業においては、ことばが問題を解決するが、「ことば」を軽んじる企業においては、「時間」が問題を解決する(と言うよりむしろ、解決しない)。 これは何もマネージャに限った話ではない。みなさんも身近な同僚たちを思い出してみるとよい。「ことば」で問題を解決するときの手順は以下のとおりだが、これにそって問題解決をはかっている人々がどれだけいるか? みなさんの周囲に、このような仕事のやり方をしている人がいるだろうか?残念ながらこれを書いている僕自身は、Yesとは答えられない。僕の周囲で問題が解決される多くの場合が「時間」によっている。僕自身が論点を明確化しようとすると、「暗黙のルール」によって見事に黙殺される。 問題点を明確化せず、議論を避け、情報を集めず、じゅうぶんな検証をしない。そうして結論を先送りする。もっとひどいことに、それを人のせいにする。「まだ決められない」と、あたかも不可抗力であるかのように言い続ける。じっさいには議論を避けているだけなのだ。 彼らは、すべての問題の根本が、「ことば」で問題をはっきりさせない、という一点に尽きることに気づいていないのだろうか?僕は日々そう思いながら仕事をしている。 「ことば」で論点を明確にし、正々堂々と議論をしない企業は、当然、全社共通の情報システムなど作れるわけがない。セグメント別の損益計算書と時系列分析の資料を公表できるわけもない。これは、小手先の問題ではなく、その企業が抱えている文化・社風の問題なのだ。 僕は、入社間もなく、営業部の中堅社員に言われた言葉を今でも思い出す。「社風なんて、そうかんたんに変えられるもんじゃないよ」。でも、社風を変えずに前進できるのか?小手先だけで時代に対応できるのか? 東芝と三菱化学の先進的な取り組みを知って、そんなことを考えた。 無断転載禁止
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