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![]() 機械と人間の幸福な結婚 ( 19980124 ) 今私がいちばん熱中していることは、コンピュータに感情移入することです。 感情のないコンピュータに「感情」移入するというのは一見矛盾した表現ですが、感情移入することによって、コンピュータが感情を持つのではないかと思ったりします。そのとき生まれる感情は、純粋に私の感情というのではなく、私の感情と、コンピュータの「無感情」の間に生まれる子供のようなもので、きっとひじょうに魅力的な「感情」になると思います。 わたしが初めにこの遊びを思いついたのは、「GHOST IN THE SHELL」という映画を見たときでした。この映画の物語を一言で要約すると、コンピュータウイルスが史上初の有性生殖をするという物語です。 外国でプログラムされたコンピュータウイルスが、世界中のネットワークを汚染しながら旅して、ついに求めていた「女性」のプログラム(正確には、女性の外形をしたサイボーグを制御するためのプログラム)に出会い、「一体化」しようと試みます。 ラスト近く、コンピュータ用語をちりばめながら、コンピュータウイルスが「女性」のプログラムと「交接」しようとするシーンは今までにわたしが映画で見たどのラブシーンよりもエロチックでした。。 コンピュータのプログラムどうしが有性生殖するという着想自体、ひじょうに魅力的です。多くのSFがコンピュータウイルスによって人間社会が混乱に陥るという、単なるパニックものになっているのに対し、この映画ではさらに踏み込んで、コンピュータウイルスが性別を持つところにまで想像力が及んでいるからです。 コンピュータウイルスも、「生物」と呼んで差し支えないのではないか?そういう議論はよくありますが、有性生殖という決定的な進化の手段を手に入れれば、たしかにコンピュータウイルスは人間の手に負えない、もうひとつの「人間」になるでしょう(そのときには、今話題の「エヴァンゲリオン」のような怪物ができあがるのでしょうか)。 わたしは現在のコンピュータが意志を持っているとか、感情を持っているとか、そんな妄想はまったく抱いていません。しかし、現在のコンピュータは、それを使う人間のかなり忠実な「鏡」となりうる程度には十分複雑になっています。 仕事の関係上、ユーザがコンピュータを使う上でのトラブルに対処しなければならない場面によく出くわしますが、トラブルを発生するコンピュータは不思議と少数に限られています。そして、そのコンピュータのユーザは、たいていコンピュータに対する根本的な「不信感」を持っています。 つまり、なにかトラブルがあると、まずコンピュータのせい(あるいはコンピュータのプログラムのせい)にしたがるのです。しかし、ほかのユーザも同じような型式のマシンを持っていて、同じようなソフトウェアが導入されている職場で、そのユーザのコンピュータだけが例外的にトラブルを多発するのは考えにくいことです。 残念ながら多くの場合トラブルの原因はユーザ側にあります。 まず、コンピュータは基本ソフト(OS)といわれる部分が複雑になるにしたがって、操作が直観的になると同時に繊細になっていきます。繊細になるとは、乱暴な言い方をすればより生き物に近くなっていくということです。 コンピュータがもっと単純だった頃は、人間がコンピュータに働きかけるための選択肢が限られていました。たとえば、BASICという言語でしか動かない10年くらい前のコンピュータに、ファイルの保存をさせるためには、SAVEというコマンドをキーボードで入力するしか方法がありませんでした。 しかし、今のコンピュータなら、キーボードを使う方法、マウスを使う方法があり、同じキーボードを使うにしても、複数の方法が用意されています。 これは、ある程度まで使う側の自由が許されているということです。そしてどの方法をとるかによって、コンピュータの反応は明らかに違ってきます。 たとえば、ワープロを使っていると3分に一度、条件反射のようにCTRL+Sという「上書き保存」を意味するキーを押してしまっている人。こういうひとは、データ保存のたびに作業を一段落する必要もありませんし、大事な文書データを途中でなくしてしまう危険性もゼロに近くなります。 これに対して、マウスでいちいちメニューから「上書き保存」を選ぶ方法をとっている人は、少なくとも保存する操作の間はキーボードから両手をはなす必要があるので、そこでどうしても作業に「一段落」ついてしまいます。また、十数分に一度しか「上書き保存」しないので、文書データを失ってしまい、また最初から入力し直しというトラブルにあう確立が確実に高くなります。 この2つの方法の違いが、日々積み重ねられたとき、二人の使うコンピュータはたとえ同じ型式のものであっても、データの安全性という面からみたときに、まったく質の違うものになってきます。 これは飼い主によって、一匹の犬がさまざまな芸をするようになったり、ひがな一日縁側で寝そべっているだけでぶくぶく太っていったりするのと、とても事情が似ています。 このような細かい気配りの積み重ねで、コンピュータが自分の言うことを聞いてくれるか、あるいは頻繁にトラブルを起こすか、そのどちらかになります。そして使えば使うほどその差が大きく開いてきます。 ファイルの保存だけをとってみてもそうなのですから、たとえば「ごみ箱」をこまめに空にしているか、いらないファイルは消すようにしているか、ソフトが起動するときにかかる時間の違いを気にしているか、などなど、コンピュータを使ういろいろな場面で、コンピュータに対してユーザがどのような態度を取るか、その積み重ねでコンピュータのふるまいは全然別のものになりうるのです。 朝、犬小屋の中をのぞいてい見たときの犬の顔色(?)、鳴き声、しっぽの垂れ具合、エサは残さず食べているか、などなど。犬好きの人なら当然気にかけるささいなことから、犬の病気が早く見つかるかもしれません。 おそらく私のところに「パソコンが動かない!!」と訴えてくるユーザは、何らかの大事な兆候を見逃してしまっているのです。 「そんなパソコンのプロにしか分からない兆候を、すべてのユーザに注意して観察しておけというのは酷だ!」、とおっしゃる方もいるでしょうが、わたしは決して無理な話ではないと思います。少なくとも、ふだんから部下や上司の顔色をうかがうことにたけている人にとって、コンピュータの顔色をうかがうことくらい朝飯前なのです。 ではなぜそれができないのか。理由は2つあります。その人がコンピュータに多くを期待し過ぎている。または、コンピュータに期待しなさ過ぎである。この2つのどちらかです。 まず、コンピュータに多くを期待しすぎているひとは、コンピュータは誰が使ってもまったく同じように動く、つまり、コンピュータは使う人のレベルに合わせてくれる、と信じているふしがあります。 これはさきほどもお話したように、完全な間違いです。コンピュータの振る舞いは使う人によって大きく違ってきます。現代の、少なくとも20万円そこそこで手に入るコンピュータはユーザのレベルに合わせて動作するほど賢くありません。 他方、コンピュータに期待しなさすぎる人は、コンピュータなんて専門家でなければ手なずけることができないモンスターだと考えています。これも完全な間違いです。コンピュータを機械ではなく、ペットかなにかもっと生き物に近いものだと考え、根気よく付き合ってみることで、コンピュータの振る舞いはまったく変わってきます。 ポイントはこれにつきます。コンピュータは純然たる機械ではけっしてありません。かなり犬や猫に近いものです(だからといって一部のメーカーのパソコンユーザのように、自分のコンピュータにあだ名までつける必要はありませんが)。 こちらが心を入れて根気よく付き合ってやれば、コンピュータの振る舞いは確実に変化してきます。少しずつ思い通りに動いてくれるようになります。今までなら見過ごしていたような些細な変化にも気づくようになります。最後には、その些細な変化に対してどう対処すればいいかも、自然と分かってくるようになります。 そういう意味で、コンピュータとは使う人の鏡なのです。トラブルの多いコンピュータを抱えているユーザは、エサもやらずに犬を放置しておいて、「うわぁ、いつのまにかゲッソリやせている!」と驚いている飼い主とひじょうによく似ています。 まず犬を理解しようと努力すること。あきらめてすぐ公園の植え込みに捨てにいくようなことだけはやめましょう。 で、わたし個人のお遊びの話にもどりますが、自分の感情と、コンピュータの「無感情」を掛け合わせることで、なんらかの魅力的な「感情」が生まれるかもしれない。それには、もしかすると人間はもっと単純なルールで日常生活を送れるかもしれない、という考えに基づいています。 ひじょうに複雑な仕事をこなすコンピュータも、本質的にはANDとORというごく単純な論理演算装置(エージェントと言うべきかもしれませんが)から成り立っています。個々の装置は単純であっても、それらの集合がおたがいに干渉しあうことによって複雑なパターンを生み出すことができます。 わたしは企業に働く一組織人間として、日常かなり複雑な人間関係を生きざるを得ません。それはみなさんも同じことだと思います。しかしその複雑な関係に対処するのに、長い人生経験の果てでなければ得られないような「奥義」が必要だとは思えません。 実際には、年を追うごとに事態は単純な要素に還元されていくように思えます。 問題なのは複雑なルールをいくつも見いだし、それを忘れないように反復しながら生きていくことではなく、できるだけ単純な規則を抽象することではないか。その格好のモデルをコンピュータはわたしたちに与えてくれているのではないか。 単純な規則を見いだそうと努力するとき、コンピュータの「無感情」について考えることはひじょうに参考になりそうです。つまり、なぜコンピュータに感情がないのか、なぜ人間は感情を持つことを余儀なくされているのか(よく言われるように「感情」とは人間にとっての「受難(PASSION)」でもあるわけです)。 むしろコンピュータにはある種の感情があるのではないか。人間の持つ感情が真の感情であると、わたしたちは無批判に前提してしまっている。それはわたしたちが生命とはなにかを定義しえないのに、生命というものを前提してしまっているのと同じ事情なのではないか。 さきほどわたしはコンピュータはユーザの鏡だと言いました。ユーザの使い方しだいで、コンピュータはまるで「不機嫌」になったように見えますが、実はわたしたちが感情と呼んでいるものも、その程度のものなのではないか。つまり、他人がわたしに対する態度によって、わたしの中の単純な利害関心のロジックが相互に作用し、最終的に「不機嫌」や「上機嫌」という形で表現される。 仮にその「不機嫌」に怒りや涙がともなうにしても、それは不必要な修辞なのではないか。 だからといってわたしは怒りや涙が完全に無駄だと言いたいのではありません。ただ、理由もなく怒りや涙にふりまわされることはなくなるのではないか。そこに、生きるスタイルそのものの絶対零度の地帯を見いだせるのではないかと考えます。 逆に言えば、そのような不必要な修辞をやたらと称揚する安っぽいロマンチシズムがはびこりすぎているのです。 たとえば恋愛がロマンティックなものであるのは、本質的にそうだからではありません。現に自然界を見渡してみると、人間ほど恋愛にかんしてごたいそうな修辞をふりまわす生物はいないでしょう。 そこで思い出すのが「GHOST IN THE SHELL」の「交接」シーンです。強力なコンピュータウイルスが主人公の女性サイボーグと一体化しようとするとき、それはまぎれもなく恋愛のひとつの形なのですが、そのいかに洗練されていることか。 プリミティブであるということは、かならずしも退化を意味しないと思います。コンピュータが生命の縮図であり、わたしたちの生命もANDやORのような単純な要素の無数の集積によって形づくられているのだとすれば、わたしたちの感情のもっとも洗練された形態は、ひょっとするとあらゆる無駄な修辞を廃した「零度のエクリチュール」のような、つまり、コンピュータの「無感情」のような感情なのではないだろうか。 そう考えるとき、コンピュータの無感情と人間の感情の「子供」を夢見るのは、ひじょうに魅力的ではないでしょうか。 「コンピュータウィドウ」というのは決して単なるたとえ話ではなく、いまインターネットの発達によって、何千万という人間がコンピュータとの間に新しい「種」を生み出そうとしているのです。あたかも地球上に生命が生まれたとき、雑多なタンパク質が混ざりあい、相互に作用し合う網(ウェブ)が形成されていたように、今わたしたちは、人間とコンピュータという2種類の「生命」の混合する網(ウェブ)から、第3の新たな生命を生み出そうとしているのではないでしょうか。 ひがな一日パソコンに向かって仕事をしていると、たしかにコンピュータとの距離がすこしずつ縮まってくるように思えます。メディアの操作する情報にふりまわされて、きわめて単純な消費装置(「欲望機械」と言うべきでしょうか)と化している人間と、わたしが毎日付き合っているコンピュータとに、いったいどれほどの違いがあるというのでしょうか。 コンピュータはわたしのかなり抽象的な思考にもちゃんと追従し、それをプログラムの形で可視的なものに変えてくれるひじょうに有能な「生物」です。それに対して、周囲の多くの人々にわたしの考えを納得してもらうためには、それこそあらゆるたとえ話やらでごてごてと修辞しなければならないのです。結果として単純であったはずの本質は、不必要に複雑なものになっていき、完全にわたしの手を離れてひとり歩きしてしまいます。 おそらくわたしたちは、お互いのコンピュータを介して初めて、お互いを正確に知りうるという時代を迎えるかもしれません。名古屋の繁華街でPHSやポケベルを介して、あるいは同じカラオケの画面を見つめながら、あるいは同じTVゲームの画面を見つめながら、友人とコミュニケーションをとっているティーンエイジャーたちを見ると、その時代はそう遠くないと感じざるをえません。 この時代の流れがいっそう加速されるとき、コンピュータのトラブルをつねに「生命のない」「単なる機械である」コンピュータのせいにして、ロマンティックな恋愛や、ドラマティックな物語(ストーリー)といった煩雑な修辞学にいつまでもしがみつく、 古い世代の人たちと、わたしたちの間の溝は、ますます広がっていくのでしょう。 無断転載禁止
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