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![]() 誰のものでもない場所・II ( 20000403 ) 昨年の今ごろ『誰のでもない場所』と題して、インターネットでは古参ユーザが新参者に対して無意識のうちに高飛車に出てしまうという現象を分析した。ひょっとすると古参ユーザが権威的にふるまった結果、インターネットは一般の人たちにとって不必要に敷居の高いものになってしまうのではという懸念もしていたが、どうやら杞憂だったようだ。 インターネットという付加価値ができたおかげでいままで躊躇していた初心者もパソコンをどんどん購入して、大量にインターネットの世界に押し寄せ、HTML形式のメールにいちいち神経をとがらせるような古参者を蹴散らした。とにかく今までと違った方法で不特定多数の人々とコミュニケーションできることを単純に楽しんでいる。今や日本のインターネット人口は1700万人を超えると言われているから、古参者は再びマイノリティーになったのだ。 そのかわり古参者は新興のIT産業を担う技術者としてこの不況下の高失業率にあってひとり高い流動性のある労働市場を享受している。ネット社会はかつて「生産者」と「消費者」の区別がはっきりせず、生産者が同時に消費者でもあるというボランティア的なコミュニティーを形作っていた。その成果の一つがLinuxだったわけだが、いまや両者は明確に区別される。一方に大多数の「消費者」が存在し、他方にIT産業を担う少数の「生産者」がいる。役割分担が明確になった分だけ、HTML形式メールにいちいち腹を立てるような衝突もなくなった。 マイクロソフトのOS市場の寡占も昔ほど深刻な問題として受けとめられなくなっているのではないか。単に長びく裁判にみんな飽き飽きしているというだけではなく、OSのバージョン・アップのような地味で報われない仕事よりも、新しいネット・ビジネスモデルのアイデアでいかに儲けるかの方がはるかにおもしろくなってきているということだ。 ネット社会がどんなOSの上に作られているか、みんながどんなメーラーを使っているか、そんなことを気にする人間はもういない。ネット上で何をするかの方がはるかに重要なのだ。マイクロソフトがいくらMSNに力を入れても米国のAOLには勝てないし、日本の@niftyにも勝てない。X-BOXなんてものを作ってもプレステ2に勝てるわけがない。Internet Explorerを無償で配ってインターネットの勝者気取りだったマイクロソフトは、気が付いたらネット上の「消費者」の心を完全につかみ損ねていたというわけだ。企業向けビジネスにシフトして正解である。 そのようにインターネットの世界における「生産者」と「消費者」の分離が急速に進んでいることは、iモードとeコマースの普及を見ればわかる。日本では携帯電話市場をNTTドコモが寡占していたおかげで、米国のように無線通信の規格が乱立することもなく、iモードが携帯端末によるインターネット接続のデファクトになりえている。公共財については自由競争が良いとは限らないという良いサンプルだ。 また、eコマース(インターネット商取引)ではよく言われるように、in B、BtoC、CtoCの3種類がある。in Bは一企業内でのイントラネット利用、BtoCはamazon.comのように企業が個々の消費者に提供するサービス、そして最後のCtoCはインターネット・じゃマールの個人売買やネットオークションのように、個々の消費者どうしがネットを通じて取引を行うことを示す。 このようにeコマースがCtoCの形態にまで発達したと言うことは、ネット社会の消費者がその背後にある生産者をまったく意識せずに、他の消費者と自然に取り引きできるようになったということだ。つまり、かつての古参者のように生産者がネット上で「小さな権威」としてふるまうことがすでに不可能になっており、消費者どうしのフラットで民主的な関係がネット上で実現しつつあるということになる。 ネット上で「生産者」と「消費者」の分離がこれほど進むと、逆に大きくなってくる問題がある。ネット上に乗れる「生産者」「消費者」と、ネット上に乗れない「生産者」「消費者」の格差だ。最近よく「digital divide」という言葉で表現される事態である。 オンライン証券のテレビCMなどを見ると、このdigital divideを意図的に利用して視聴者への訴求効果をねらっているものがある。「インターネットを利用しない株取引は時代遅れですよ」というわけだ。小さなネット社会の中での古参者と新参者の内輪もめで済んでいたものが、インターネットという言葉が市民権を得るようになって、社会全体を二分するまでの問題になりつつある。 「社会を二分する」なんておおげさだ!と思う人もいるだろうが、格差が無視できない大きさになってからでは遅い。じっさい大企業が採用手続きをすべてインターネット化する動きが広まっているし、情報リテラシーの差が年収の差になって現れているという調査もあった。 そういう状況の中で僕がいちばん気にしているのは、ネット上に乗れている人々の根拠のない優越感なのだ。それが露骨に現れているのがインターネット株取引の拡大だと考えている。よく言われるように日本の株取引にかかわる制度は米国と比較してあまりに未熟すぎる。そんな日本で個人が流行に浮かされてインターネットでの株取引に大量になだれ込むのは非常に危険だ。 最近やたらとネット株取引を取り上げるテレビ番組が多く、中でもテレビ東京の脳天気ぶりにはただただ呆れるが、金儲け目的ではなく事業を育てるという意識で株取引を始める日本人がどれほどいるだろうかと思う。ほとんどの人間が金儲け目的でオンライントレードになだれこむとすれば、それはバブルのくり返しにすぎない。 危険性が潜んでいるのは「消費者」である個人の側だけでない。米国から輸入されたコーポレート・ガバナンスの議論は、日本ではひどく単純化されて「株主至上主義」にすりかえられている場合が多い。この問題について岩井克人や奥村宏ほどデリケートな議論ができる経済学者が何人いるだろうか(中谷巌や竹中平蔵にはぜったい無理)。 現状の日本で個人株主の比率が米国並みに上がれば、日本企業の経営者は個人株主におもねる近視眼的な経営や、IRと称して社長が空虚な花火ばかりを打ち上げるような経営をしかねない。 ネットに乗ってさえいれば、無条件に非ネット市民よりも優れている、進んでいる、正しいことをしているのだ、というあまりにおそまつな価値観が広がりつつあるように見える。それを危惧すべきなのだ。 無断転載禁止
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