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![]() テレマは人の為ならず ( 20030119 ) 自動車のIT化ということで昨年トヨタのG-BOOKの全面広告が登場してから「テレマティクス」という分野が急速に注目を集めている。その後、日産もCARWINGSという同様のサービスを開始したことはみなさんもテレビCMなどでご存じかと思う。 しかし僕は今言われれている形でのテレマティクスはマーケティング的にすでに失敗していると思う。現時点でのテレマティクスは「ITのことをよく知らない自動車屋さんが、i-modeを無理やりクルマに載せちゃった」としか思えないのである。 たとえば日産のテレマティクス「CARWINGS」のWebサイトから引用すると、テレマティクスとは「携帯電話をプラグインして、メール、ハンズフリーフォン、道案内機能、交通情報、最新のニュース、スポーツ情報、レストラン情報など、お役立ち情報やお楽しみ情報が利用できる次世代カーライフ」となる。 また、日本HPの執行役員が執筆したテレマティクスについての書籍の紹介文から引用すると、HPが提唱するテレマティクスは以下の7要素からなるという。@自動車に設置され、情報端末として機能する「アプライアンス」、A各アプライアンスから情報サービスにアクセスするための「ネットワーク・サービス」、B異種プロトコルに対する自動変換などを可能にする「プロトコル・ゲートウェイ」、C各アプライアンスの位置情報や個別状況に合わせてサービスを提供する「テレマティクス・サービス」、D各種サービスを集約しパーソナライズして提供する「ポータル」、Eサービスの基盤機能を提供する「インフラストラクチャ・サービス」、F企業内の各種アプリケーションとの連携を可能にする「エンタープライズ向けアプリケーション統合。 いずれにしても現在のテレマティクスはインターネット端末を自動車に載せただけという領域から一歩も踏み出していない。そもそもトヨタの「G-BOOK」というネーミングが明らかにコンセプト上の限界を露呈している。BOOK(本)とは自分で書くものではない。すでに書かれたものである。つまりi-modeのように、一方にマスに対して情報を発信する人が存在し、他方に情報を受容する大衆が存在し、その間をつなぐ情報伝達手段というコンセプトなのだ。 しかし、こんなものを自動車に載せることに意味があるだろうか。まず運転手の立場で考えてみよう。運転手が運転しながら無線で配信される情報に熱中するなどということはありえない。安全上の問題があるし、仮にテレマティクスでしか入手できない情報があり、利用者がその情報に強い興味を示したとしても、端末をダッシュボードから切り離して持ち歩けないのでは不便すぎて話にならない。 運転手が運転中に参照できる情報量は、カーナビゲータの地図のように、ひと目で直観的に把握できる画像情報が限界である。画面をタッチしていちいちたどっていかなければ入手できない情報など、運転中に入手したいと思うわけがない。 次に同乗者の立場を考えてみよう。たしかに車内にインターネット端末があれば、長時間のドライブや渋滞時の暇つぶしにはなるかもしれない。しかし、日ごろ運転しかしない人は知らないかもしれないが、自動車の中で印刷物や画面を長時間見つめると乗り物酔いになるという人は多い。 乗り物酔いにならない人でも、自動車の中でインターネットに手軽に接続したいという欲求を満たすなら、携帯電話やPDAのような既存の携帯端末の方が便利なことは間違いない。先に運転手についてふれたように、わざわざ端末をダッシュボードから切り離して自宅に持ち帰ったりするよりは、使い慣れた携帯電話やPDAを自動車に持ち込む方が自然な行動である。こんなことは少し考えれば分かる。 ましてテレマティクスにも利用料がかかるのだとしたら、利用者は費用を節約するために、無線で情報を受け取る手段として、車内でしか使えないテレマティクスというメディアを新たに追加購入するのではなく、携帯電話やPDAを車内でも使うことを選択するだろう。 さらに言えば、自宅の外で携帯電話やPDAをつかってネットに接続したいと思うほど、たえず情報やコミュニケーションに飢えているのは、残念ながら自動車が生活の必需品であるような地方人ではなく、都会人なのである。 地方で生活する人は、テレビ、新聞・雑誌とその広告、書籍、地域コミュニティ、友人・知人との関係などから、生活に必要な情報を十分得ることができる。地方の人々がインターネットに接続するのは、逆に自分から発信したい情報がある場合や、旅行や買い物などの消費活動をする場合など、一方的に情報を受け取るだけでなく、こちらからの情報発信が必要な場合がほとんどではないだろうか。 都会人にとっては、自動車に乗ったときにしかネットに接続できないテレマティクスというのは、いかにも中途半端な情報機器である。そんなものを使うくらいなら、四六時中持ち歩ける携帯電話やPDAを選択する。一方、地方人にとっては、自動車に乗ったときまでネットに接続する必要などまったくない。 さらに、都会であろうが地方であろうが、自分から積極的に情報発信する目的でネットに接続する「ヘビーユーザ」は、テレマティクスや携帯電話、PDAのような端末ではなく、パソコンを選択するだろう。利用者の利用水準から見ても、テレマティクスはとことん中途半端なのだ。 以上のように見てくると、テレマティクスを思いついた人は間違った思いこみをしているとしか考えられない。ひとつは移動しながらネットに接続できれば何でも便利なはずだ、という安易な発想。携帯電話やPDAがヒットしたのは、移動しながらネットに接続できるからではない。携帯電話は都会人が暇な時間をつぶすのに、あまり頭を使わなくていい単純化されたコンテンツがぴったりだから、PDAはビジネスマンがノートパソコンのように重い荷物を持って歩きたくないからだ。それを証拠に、街中でノートパソコンを広げているのはまだ少数派である。 もう一つ、テレマティクス主導者側の思いこみとして、高速移動体通信という高度な技術は世の中の役立つはずだという技術指向の発想がないだろうか。利用者にとってテレマティクスの通信技術が高度であろうとどうであろうと、そんなことは関係ない。さらに、みんなが常にブロードバンドによるリッチなコンテンツを欲しているという思いこみもあるだろう。 他の観点からもきっちり分析すれば、現行のテレマティクスが主導者側の強い思いこみで押し進められている試みであることが検証できるに違いない。 では最後に、僕が考える本来のテレマティクスとはどんなものかについてふれておきたい。かんたんに言えば、テレマティクスは自律的なエージェントになるべきである。テレマティクスは車に乗っている人のための情報提供メディアではなく、それ自体が何らかの目的を実現するためにデータを蓄積し、分析し、その結果を外部のシステム、ときには人間に発信する自律した代理人であるべきなのだ。 たとえば燃料の消費量を記録して、給油時期の予告や運転診断のようなことができるかもしれないし、走行距離が損保会社のコンピュータに定期的に送信されて、自動車保険料が動的に更新されるといったことができるかもしれない。コミュニケーション面では、半径10km以内に友だちの自動車が走っていることが分かったら便利かもしれない。 局地天気予報の会社と契約して、自分の車が走っている地点の気温、湿度、降水量などをその会社に自動送信するかわりに、情報提供料をもらうなど、ちょっとしたアルバイトができるかもしれない。自動車メーカが顧客に代わって一括契約し、顧客には間接的にアフターサービスなどの形でメリットを与える形態もあるだろう。これは自動車そのものを「動くセンサー」として使う方法で、たしか山根眞一氏が提唱していたアイデアである。 アフターサービスという点では、IPv6を使って販売済みの車体の状況を追跡するしくみも実現できそうである。8割の車体に居場所を自動発信する機能がつけば、リアルタイムの渋滞状況を把握したり、他にもいろんな可能性がある。もちろんプライバシーを保護するために、個々の車体を特定しないしくみが必要だが。 ユビキタスの観点から、自動車一台一台が一つの自律的なエージェントとして、何らかの目的で情報収集と情報発信を代行するという観点であれば、テレマティクスはもっと広がりを持つのではないか。今のように飽くまでマンマシン・インターフェースの一種として「自動車に乗っている人に対する情報提供」という定義では、明らかに普及に限界があるし、ビジネスにもならない気がするのだが。 あるいは、今テレマティクスにかかわっている人たちは、将来のこういった展開を意図的に一般人に隠して、当面の普及策として「エセi-mode」のようなことをやっているのだろうか。いずれにせよ現時点のテレマティクスにマスが興味を示すとは思えない。もし興味を持ち始めたら、僕の思っている以上にマスは新しいものにだまされやすいということになるだろう。 無断転載禁止
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