![]()
![]() 「技術者」気質の悪 ( 20010824 ) 最近ここのエッセーで「技術者」という言葉をそれほど意識せずによく使うようになった。僕自身が「技術者」的な仕事をしているにもかかわらずである。転職を考えれば手に取る雑誌は『B-ing』ではなく『Tech B-ing』であり、『TYPE』ではなく『エンジニアTYPE』であるにもかかわらず...。 ただ理由がないわけではない。僕自身は「フランス現代思想」専攻で世間に言う純然たる「文系」でありながら社内でITコンサル的なお仕事をしているので、自分が純粋な「技術者」ではないという意識があるのだ。そのため「技術者」という言葉を安易に軽蔑的な含意で使いがちである。この点は反省が必要だ。 反省が必要だと感じたからには、なぜ最近の自分が「技術者」を蔑称として使いたがるのかを分析しなければならないと、つらつら考えていたのだが、ようやく自分が「技術者」という言葉ををどのように定義しているのかが見つかった。 「技術者」とは自分自身の勤勉さを棚に上げて他人の怠惰に甘すぎる人間のことである。 ふつう「棚に上げる」とは自分の欠点をさておいて他人の欠点を非難することを言うが、「技術者」の定義ではあえて逆の使い方をしたい。「技術者」は、非常に勤勉であるという自分の長所に無頓着で、他人の怠惰をやすやすと許してしまうのだ。 むしろ「技術者」は他人の怠惰をどれだけ許容してやれるかが自分の技術力の証だと考えている。他人がわがままを言えば言うだけ、それをどこまで聞いてやれるかが自分の評価につながると信じて疑わない。ややもすれば他人に対する追従ともとられかねない精神が「技術者」の気質の根底に横たわっていないだろうか。 ではなぜ「技術者」はそんな気質を持ってしまうのか。おそらく「技術者」が根っからの合理主義者で、論理的に帰結できないことがらを信じることができないためだろう。つまり誰も他人の怠惰を客観的に測定する手段など持ち合わせてはいない。その論理的な帰結とは、誰にも他人の怠惰を非難する権利などないということである。 したがって「技術者」に論理的に残された選択肢は、他人の怠け具合を所与のものとみなし、それに合わせて自分の技術力を磨くことしかなくなる。怠惰という言葉がわかりにくければ「欲望」と言い換えてもいい。人間の欲望を、たとえそれが際限なく膨張するものだとしても、所与のものと見なし、それに合わせて自分の技術力を磨くことが「技術者」の唯一の存在理由となるのである。 実はこの「技術者」気質の問題点は、科学の進歩にとってとても古い問題である。たとえば最近の例で言えば、倫理的な議論を無視してクローン人間を作ろうとする科学者。少し前の例で言えば、原子爆弾の製造原理を発明してしまった科学者。もう少し前の例で言えば、ダイナマイトを発明した科学者、などなど...。 もしも実在する技術者が純粋な「技術者」気質を持っていたとしたら、それは恐ろしく危険なことなのだということがお分かり頂けるだろう。ところが20世紀は合理主義が発明された近代のヨーロッパよりもさらに根っからの合理主義の時代だったために、いまだに僕らはそうした「技術者」気質を無条件に善きものと考えがちである。 話はいやに大きくなってしまったが、情報技術の世界でもやはり同じことが言える。ユーザのわがままを所与のものと見なし、それに合わせてできるだけの技術力を提供するシステムエンジニアを、決して無条件に「善いシステムエンジニア」と考えてはいけないのだ。 最近では見識のあるシステムエンジニアの間では、ようやく利用者の言いなりになっていては優れた情報システムなどできるわけがないということが常識的な判断となりつつあるが、それでも「利用者は神様です」ということを無条件に「善」と考える間違った倫理観がまだ根強いことは否定できない。 これが社内の情報システム部門で働く技術者ならなおさらそうである。社員に対しては決して怠惰や欲望の際限ない増長を許してはいけない。その結果にあるのはもはや管理不可能なつぎはぎだらけのシステムだからだ。 技術者は「技術者」気質を捨てて、他人の欲望の増長を非難する勇気を持たなければならない。他人の怠惰を所与のものと見なすこと自体が、自分の人間としての欠点であり、それこそが怠惰であるという考えに変わる必要がある。 逆に言えば「技術者」気質とは、他人の怠惰を許容するという美名の下に、専門家として他人を適切に指導する責任を放棄しているにすぎないのだ。ユーザのわがままを許すと言えば聞こえがよいが、その実、ユーザを指導する責任感や勇気を放棄しているだけなのだ。このことに気づいている「技術者」がいったい何人いるだろうか。 もちろん他人の指導するためには、技術者は技術力以外のある種の哲学や思想を持たなければならない。それを倫理的観点と言ってもいいだろう。まず「世界は(企業は、日本は...等々)こうあるべきだ」という姿を描くプロセスがあって、その後に自分の技術力を理想型の実現のために使うというのが正しい技術者のあり方ではないだろうか。 ユーザのご用聞きしかできない技術者は、何の思想もない単なる技術の塊であり、「職人」と違って自分の技術の神聖性に対する謙虚さも持ち合わせないために、百害あって一利なしだ。真の技術者は他人を指導するための哲学を持て。哲学を持てないのなら、持てる技術すべて発揮することを無条件に善と考えることをやめろ。「技術者」気質は単なる欲望の奴隷にすぎないのだから。 無断転載禁止
![]()
|