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だからうなぎは食い物じゃない
( 20000925 )

Japanese/English

このエッセーを書いている9月末はもううなぎのシーズンとは言えないが、炎暑の疲れが時間差で襲ってくるとすれば、案外うなぎを食べるにはいい時期かもしれない。

ところで「生のうなぎは買ってきただけじゃ食えない。だからうなぎは食い物じゃない」と言う人がいるだろうか。たぶんいないだろう。うなぎは調理して食べるのが当たり前で、いくら素材が上等でも、調理のしかたによってはヒドくも、旨くもなる。調理人の腕の見せどころは、調理のしかたであることは言うまでもない

では、「うなぎ」という単語を「パッケージソフト」に置き換えてみて欲しい。「パッケージソフトそのままじゃ使いものにならない。だからパッケージソフトは使えない」と言えるだろうか。

これも否、である。パッケージソフトはあるていどのアドオンやカスタマイズが入るのは当たり前だ。このページで何度も書いているが、パッケージソフトはいろんな企業の最大公約数をシステム化したものであって、もちろんできるだけ「生のまま」適用できるに越したことはないが、あるていど手を加える必要はある。

そして既存システムとの整合性をとりながら、いかにうまくパッケージソフトを自社業務にあてはめていくか、つまり、いかにうまく「調理」するかがシステムエンジニアの腕の見せどころであることは言うまでもない。

しかし、ごくまれに「パッケージソフトそのままじゃ使いものにならない。だからパッケージソフトは使えない」と思っている人がいる。うなぎの例で言い換えれば、生のうなぎじゃ食えないから、うなぎの養殖から蒲焼きまで全部自前でやってやる!という人のことだ。

しかし自分で養殖するにしたって、養殖業者が養殖するにしたって、最終的に行き着く養殖方法に劇的な差があるとは思えない。ならばわざわざ買ってきた生のうなぎにケチをつける理由があるだろうか。

ここでも「うなぎ」を「パッケージソフト」に置き換えてみよう。「パッケージソフトはそのままじゃ使い物にならない。だから(外注を使うなり社内で開発するなりして)自社の仕様に合ったソフトを一から開発しましょう」となったとして、その結果できたソフトと、もともとあったパッケージソフトは、まったく似てもにつかないものになるのだろうか?

たとえば「自社の仕様にあったソフトを一から開発」するとして、自社開発ではなく外注することにしたとしよう。おそらく外注業者は仕様としてよく似たパッケージがあればそれを土台にカスタマイズする方法を採るだろうし、パッケージをそのまま使わないまでも、土台となる技術は既製品のパッケージソフトと大差ないだろう。

パッケージを使おうが、一から開発しようが、「うなぎはうなぎ」という共通の土台は絶対に残るわけで、その土台まで自前で開発しようという発想、つまり旨いうなぎを食べたいあまり、うなぎの養殖方法まで一から開発しようという発想は非効率である。個人の道楽ならそれも許されようが、ことは会社のシステム開発なのだから。

生のうなぎは素材に過ぎない。同じようにパッケージソフトも素材に過ぎない。素材がそのまま食えないからと言って、素材に意味がないというのは詭弁である。素材を活かすのがシステムエンジニアの仕事だ。だがその詭弁を分かっていない人が、まだ世の中には存在している、らしい。


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