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危機感の枯れるところ
( 20000804 )

Japanese/English

わたしたちは、わからない、ということに日本人として初めて気づいた世代なのではないでしょうか。」(村上龍『希望の国のエクソダス』文芸春秋社p.188)

人間、危機感を失ったらおしまいだ。何かがおかしいんじゃないか、このままでいいんだろうか、自分自身にそう問いかけるきっかけを失った人間はもはや危機感を持つことはできない。人が危機感を失う最初の兆候は、「わかっている」と勘違いしてしまうことだ。自分にはよく分かっている、という認識は、「だから大丈夫だ」という根拠のない安心感にたやすく結びつく。

ちょっと大げさな書き出しだが、今回のエッセーは社内情報システム部門にとっての「危機感」とは何かを考えてみたい。多くの大企業ではリストラの一環として社内情報システム部門を分社化し、独立採算制をとらせる動きが散見される。とくに本業が情報システムと無関係な企業ほど、システムの開発・運用を大手SIベンダーにアウトソーシングしてしまって、社内 の情シス部門を解散したり、SIベンダーとの合弁会社にしたりする傾向が強いようだ。

たとえば1999年夏、日本生命は日本IBM、インテックの出資を受けて新システム子会社を設立、社内の情報システム担当者全員を出向させた。すでにシステム子会社を持っていたにもかかわらず、である。第一生命も社内情報システム部門をシステム子会社に合体させている(日経コンピュータ1999年4月12日号からの抜粋)。最近では2000年6月に日産が情報システムの保守を日本IBMへ全面委託し、社内情報システム部門は純粋な企画部門化したという例もある。

経営トップが情報戦略に意識的になればなるほど、社内情報システム部門の位置づけについて考え直し始めるということなのだろう。たしかに情報技術の変化がこれだけ目まぐるしいと、社内にSEをかかえてじっくり技術蓄積するより、外部の専門家集団にまかせて本業に注力した方がいい、というのは経営者として合理的な判断だ。

一言でいえば「社内情報システム部門不要論」ということになる。社内情シス部門がリストラの最有力候補であることは間違いない。僕自身、コンサルタントの方々との酒席で社内情シス部門に在籍していることを話したところ、「大丈夫ですか?世間ではもう情シスはいらないなんて言われてますけど」と問われて絶句したことがある。

このような世間の風潮の中では「危機感」を持たずに社内情シス部門に在籍することの方が難しい。では社内情シス部門はどのような「危機感」を抱くべきなのか。おそらく、ユーザとの間に知らぬ間にミゾが深まっていくことに対する危機感だろう。

こう言われると社内情シス部門の技術者の中には「えっ?」と思う方がいらっしゃるかもしれない。技術者としてまず持つべき危機感は、サーバサイド・スクリプティングや分散オブジェクトなど、新しい技術に追随できないことに対する危機感ではないのか、という反論がありそうだ。

しかしこれこそ技術者がおかしがちな間違いなのである。新しい技術に追随することは技術者として当然のことであって、むしろ技術者が自覚しにくい「危機」、つまりユーザとの距離が広がってしまうことに対する危機の感覚を持たなければならない。

仮に両者の優先順位を取り違えるととんでもないことになる。つまり新しい技術を習得することに熱心になるあまり、技術習得が自己目的化し、利用者部門のニーズとかけ離れていることに気づかなくなってしまう。技術習得を進めた結果、技術者としての自信を深め、利用者部門が電子メールや業務ソフトの使い方を間違っている様を内心でバカにするようになってしまう。「ユーザ部門には自己責任で正しくコンピュータを使ってもらわなければ」と高みに立った態度で利用者を見下してしまう。それがますます情シス部門としての間違った「自信」につながる。一種の悪循環だ。

これまでの技術蓄積に自信をもっている社内情シス部門ほど、この悪循環に陥る危険性が高い。じっさいにはそうするうちにも利用者部門の心は社内情シスから離れていく。「たしかに基幹システムは彼らに任せるしかないが、新しいシステムについて彼らは全くあてにならない」、そうした雰囲気が少しずつ、だが確実に利用者部門に広がっていく。

これは情シス部門がホストコンピュータ時代の姿勢を変えられず、利用者のニーズに耳を傾ける姿勢を失ったためだ。「素人にコンピュータのことなど分かるわけがない」という慢心を捨てられず、「すべて分かっている」という過剰な自信が危機感を失わせる。

こうなると悲劇である。「すべて分かっている」と思っている情シス部門と、「彼らは全然わかっていない」と思っている利用者部門のすれ違いは、利用者部門の独走という結果になる。つまり利用者部門が情シス部門の断わりなしに(あるいは建前で情シス部門のご機嫌をとりながら)、勝手気ままにシステム構築を始める。すると情シス部門は「各部門の責任でやるのなら勝手にやればいい」と、自己責任の名を借りた放任主義をとり始める。これも一種の悪循環を産む。

両者のミゾがじゅうぶんに広がったところで、仮にトップの号令がかかって「基幹システムをダウンサイジングしろ!」となったら、情シス部門の地位は危うくなる。利用者部門は自分たちの要求に耳を傾けてくれる外部のシステム・インテグレーターと手を組み、使いやすい基幹システムを再構築するだろう。外部のSI業者は社内情シス部門のように偉そうなことは言わないだろうから。

「すべて分かっている」というところに危機感が生まれないのだとすれば、社内情報シス部門のとるべき正しい道はおのずと決まってくる。今までの技術蓄積をいったん忘れて(英語には「unlearn」という言葉がある)、利用者部門といっしょになって新しいシステムについて考えることだ。まず「自分たちに利用者部門の本当のニーズは分からない」と認めるところから危機感が始まる。結局のところ社内情シス部門にとっての「顧客」は利用者部門に他ならないのだから。


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