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![]() 場当たり的システム構築 ( 19981120 ) 1998年11月19日放送分の『ニュース23』には驚かされると同時に、日本という国に深く失望した。ご覧になった方はご承知のように、米国のクリントン大統領がテレビ局のスタジオで、一般視聴者を相手に1時間以上にわたってとってもフランクに質疑に応じていたのだ。質問は大統領自身の不倫疑惑から、21世紀の世界経済にまでおよんだ。 日本のリーダーがテレビ番組で一般人の手厳しい質問に1時間以上も付き合ってくれるなどということは永遠にないだろう。それを他国のリーダーがいとも簡単にやってのけてしまうところに、やっぱりこの国の「おじさん」はダメなんだなぁと思ってしまう。 クリントン大統領が一般視聴者の質問にフランクに答えていたこと自体驚きだが、もっと重要なのは大統領が「基本理念」をもったリーダーだということだ。質問のいちいちに答えるとき、大統領は必ず最初に基本的な考え方を説明していた。 それに対して日本のリーダーは、多くの場合場当たり的で具体的な応答しかできず、基本的な理念を語ることはない。この番組の最後に大統領は「悲観的にならないで下さい。しかし、決意を持ってこの苦境に臨んでください」と日本の視聴者に呼びかけた。抽象的ではあるけれど、とても大事なことだ。日本のリーダーは、このような「抽象的だけれども大切なこと」を言葉にする能力がない。 それは僕自身が会社で働いていても痛切に感じることだ。僕は哲学系の大学院への進学を考えていたほどなので、どちらかといえば具体的な事実よりも、抽象的な原理原則に魅力を感じる人間である。 今はシステムエンジニアとして完全に実務ベッタリの生活をしているが、それにしても会社の管理職たちの「基本理念」の欠如ぶりには失望を通り越してバカらしささえ覚える。 たとえばある会社が社内の情報システムを構築するにあたって、「基本理念」にあたるのは「既成服かオーダーメイドか」の選択だと思う。SAP社のSAP R/3のような既成服を選ぶなら、それに合わせて業務を改革する必要がある。オーダーメイドを選ぶなら汎用的な開発環境でシステムを作りこんで、自社の業務ノウハウを活かすことができる。 「既成服かオーダーメイドか」の基本理念をはっきりさせないままでは、外から買ってきた既成服を、わざわざ自分で手直しすることになり、二重の出費をしいられた上に効果も出ないという最悪の結果が待っている。これはERPパッケージの導入について雑誌などでもよく書かれていることだ。 情報システムに限らず、会社の中のあらゆる意思決定において、「基本理念」をしっかりさせておくことはとても重要である。ところがその「基本理念」を決める役割であるはずの管理職が、具体的な事項に場当たり的に対応することしかできていない。場当たり的な政策連合をくりかえす日本のリーダーたちとまったく同じだ。 彼らにしてみれば、その場その場で最善の選択をすることこそ、時代の変化にうまく対応するということだ、と言いわけでもするのだろうが、「無節操」と「変化への適応」はまったく別物。彼らの振る舞いは単なる「無節操」である。 今の時代のように先行きがはっきりしない場合には、まず基本的な考え方をきっちり決めておいて、そのとおりになった場合の計画と、そうならなかった場合の計画を二本立てで用意しておく、というのが正しいやり方だ。これが「うまく対応する」ということである。 ところが日本の管理職やリーダーは、基本的な考え方を決めないままに、計画を一つだけ作り、それがうまく行けば結果オーライ、ダメになったらあわてて軌道修正。その軌道修正がうまく行けば結果オーライ、ダメならまた修正。これを永久に繰り返している。その様子は、平社員の立場から見ていても非常に見苦しい。 では、日本の管理職やリーダーはなぜ「基本理念」を決めてから行動することができないのか?一つの理由は、彼らに抽象的な理念を語る能力(言葉)がないということだろう。日本の会社や組織でリーダーになるのは純然たる「実務者」で、抽象的な理念とは無縁な人間ばかりだ。 もう一つの理由は、「基本理念」を議論しはじめると、かなり激しい論戦になるからだ。小手先の対応方法についてなら、いくらでも妥協案をひねり出すことができる。しかし、原理的な対立となると話しは別。妥協案に逃げてしまうことができないために、「和」と「コンセンサス」の上に成り立っている日本的な組織にはなじまない。 (註)一度「基本理念」を議論しようとして玉砕したことがある。そのとき相手の管理職がいった言葉が傑作だ。 「今度、酒でも飲みながらゆっくり話しましょうよ」 腹の中で大笑いしたことは言うまでもない。しかし事態は長引く不況のせいもあって僕が懸念したとおりの展開になりつつある。そしてやはり予想どおりに管理職は対策に困り始めている。 この件以外にも「原則論をおろそかにすると後々困ったことになるぞ」という僕の懸念がズバリ当たったことがひとつある。しかしもう管理職にはたて突くまい。平社員が何を言ったって玉砕するのは目に見えているのだ。 そういういきさつから、僕は会社員生活のひそかな楽しみを見つけた。かなり皮肉な言い方になるが、サラリーマンをやっていていちばん楽しいのは、組織人の悲喜劇を特等席で見られることだ。もちろん自分自身の悲喜劇も含めて。 しかし、「だから『基本理念』なんて夢のまた夢です」、とも言っていられない状況になっている。クリントン大統領が常に正しいとは僕も思わないが、困難な状況を乗り切るにあたって、「場当たり的な対応」がもっとも危険なやり方であることだけは確かだ。ここで原点に立ちかえって、「基本理念」という足場を固めることが出来るかどうか。それこそが、日本の管理職やリーダーに問われている。 このエッセーをリーダー格の人が読んでくださっていたら、ぜひ「基本理念」を固めて、うまく行ったときと、ダメだったときの2種類の計画をちゃんと事前に準備してから、苦境に臨んでほしい。僕はペーペーの平社員なので、純然たる日本企業の中では、たとえ目の前で「場当たり的」な意思決定が横行していたとしてもどうすることもできないのだ。 それにしてもどうして僕が、こういう無念さを感じなければいけないのだろう。僕だけなのかな?この手の無念さを感じているのは。 無断転載禁止
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