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文化資産としての情報技術
( 19980901 )

Japanese/English

仕事の必要から、最近COBOLの勉強を始めた。

2000年問題でメインフレームの遺産をクライアント・サーバに引きつがなきゃいけないというので、COBOLができるシステム・エンジニアの需要が急上昇らしいが、僕の職場もご多分にもれず、といったところか。

ついこの間まで、いま流行のSAP R/3のカスタマイズ専用のABAP/4というわけの分からない言語に振り回されていたので、ようやくまともな汎用言語を扱えると一安心している。

もちろんJavaやC++に比べれば、COBOLがいくらオブジェクト指向対応の拡張構文をもっているとはいえ、そのオールドファッションさには辟易するけれども、自分の使いなれたテキストエディタでコーディングができて、ネイティブコードへのコンパイルもできて、コマンドラインからプログラムを実行するという、ごく当たり前のことが普通にできる言語で、正直、ホッとしているのだ。

COBOLなんてC++やVisual Basic、Power Builder、Delphiの前に、早々に姿を消してしまうだろうと言われることもあるけれど、そう簡単にはなくならないだろう。その理由はもちろん、世界中の基幹システムには何億行というCOBOLプログラムがれっきとして存在するからだ。

企業が基幹システムを再構築するとき、何を開発言語として選択するかは、ユーザの立場からすれば本質的な問題ではない。しかし、僕のような開発者の立場としては、ユーザのための最低限のリスク回避は行いたいと思う。

何が言いたいのかというと、たとえば、この世からIBMや富士通やマイクロフォーカス社が消えてなくなったとしても、COBOLはなくならないだろう。また、サン・マイクロシステムズがなくなっても、Javaはなくならないだろう。インプライズ(旧ボーランド)がなくなっても、Object Pascal(Delphi)は死滅しないだろう。

汎用プログラミング言語の存在意義は、まさにこの点にある。たとえ現時点でそれぞれの言語が特定のベンダーに依存していても、COBOLやC言語やObject Pascalは、自分で生き伸びていくだけの「デ・ファクト・スタンダード」としての地位を確立している。

だから僕ら責任あるSEは、こうした汎用言語を使って企業の重要なシステムを構築するのだ。汎用言語が「汎用」と言われるのは、単にユーザが多いとか、特定の環境に縛られないとかいった意味だけではなく、それ自身で今後も存続し得る確たるバックグラウンドを持っているということでもある。

たとえばPCベースのクライアント・サーバの世界では、「カスタマイズはVisual Basic互換」という暗黙のデ・ファクト・スタンダードが成立しつつある。ロータス・ノーツのLotus Scriptも、NetWareのNetBasicも、Visual Basic互換である。もちろんご本家マイクロソフトのOffice製品群も、すべてVisual Basicでカスタマイズできる。

このようなデ・ファクトがあるからこそ、僕らSEは「安全な」道を比較的かんたんに見つけ出すことができる。開発言語をどれにするかという非本質的な問題を手早く片づけて、さっさと本題の要求仕様定義にとりかかることができるのだ。

一方、ABAP/4のような言語は、ベンダーがなくなればそれまでの命である。ABAP/4をまったくご存じない方のために、一言で紹介しておくと、「SAP R/3独特のアーキテクチャに深く依存したCOBOLの方言」である。したがって、ABAP/4そのものには言語として何の独自性もない。COBOLが存続すれば、その一方言にすぎないABAP/4は早々にすたれる。

できるだけ長く使えるシステムを構築するという、SEとして最低限のリスク回避行動をとるなら、汎用言語を選択するのが結局いちばん賢明ではないか?

僕がERPに一抹の不安を覚えるのも、そのような理由による。ビジネスの世界、しょせんすべては「水物」である。

たとえばこのままだと、SAP社はABAP/4を独立した言語として高機能化していく開発作業のために大きな費用をつぎこむことになるだろう。しかしABAP/4は、Javaの輝くような魅力などまったく持ちあわせていない言語だから、今のERPブームが一段落したら、あっという間にSEたちに見捨てられるだろう。

「水物」の中でなぜC言語、JavaやPascal、COBOLなどが生き延びてこれたのか?市場原理に依存しない、SEたちの言語に対する長年の愛情が、これらの言語を育ててきたからだ。

コンピュータ言語を単なるビジネスの道具としか見れない人間にとっては、COBOLもABAP/4も同じようなものだろう。しかしコンピュータというものは、じっさいには利害をこえた精神的なものに支えられている。

このように、情報技術のビジネスの側面だけを見て、文化資産としての側面を見落とすと、結果として、ビジネスの側面でも将来に禍根を残すことになるだろう。

ベンダーと心中する気なら、話は別だが。


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