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![]() IT活用と遵法精神 ( 20010818 ) ADSLのような高速回線が普及するにつれて、一般家庭でもますますインターネットが当たり前のものになりつつあることは、少なくとも悪いことではないのかもしれない。ただし、一般家庭でインターネットが空気のような存在になることが、会社の中でネットワークを利用する社員に与える精神的なインパクトについて意識的な経営者がいったいどれくらいいるだろうかと考えると、そら恐ろしいものがある。 今まで一般人にとってその時代の最先端のコンピュータというものはあくまで会社でしか利用しない事務専用機だった。コンピュータ=仕事のための道具であり、ゲーム専用機など遊びのためのコンピュータとの境界線は明白だった。 パーソナルコンピュータの価格性能比が改善するにつれて、その時代の最先端のコンピュータは必ずしも会社でしか使えないものではなく、家庭での趣味や遊びにも利用できるものになった。その結果コンピュータの仕事と遊びの境界線はぼやけてしまった。 それでもまだコンピュータどうしを接続するネットワークというものは家庭のコンピュータとは無縁なもので、あくまで会社でしか利用できないものだった。コンピュータ利用の境界線はぼやけたけれど、ネットワーク・コンピューティングというものは依然として業務用であり、遊びではなく仕事のための道具だったのだ。 ところがインターネットの普及はネットワーク・コンピューティングの仕事と遊びの境界線さえあいまいにしてしまった。日常的にインターネットを遊びのために利用する同じ人々が、会社では同じインターネットを仕事のために利用する。 たしかにコンピュータやインターネットのように、電卓などに比べるとやや高度な技能の必要な機械を一般人に普及させるには、「遊びにも使える」という方法は有効だろう。黎明期の家庭用ビデオデッキの付録にアダルトビデオのサンプルがあったように(下らない例で申しわけない)。しかし短時間に大量の情報を処理できるネットワーク・コンピューティングというものにおいて遊びと仕事の境界線があいまいになることは企業にとって想像以上の危険をもたらすのではないだろうか。 その危険とは、現代のネットワーク・コンピューティングのアーキテクチャであるインターネット(TCP/IP)が本質的に持っている「いい加減さ」や集団間の境界線をあいまいにする性格が、そもそも厳格な規則や機密保護などといった明確な境界線がなければ組織として機能しない企業体にもちこまれてしまうことである。 たとえば会社から貸与されたメールアドレスあてにとどく業務上の電子メールを、個人で加入しているプロバイダのアドレスに転送設定するなどということが、何の規制も、何の疑問もなく行われている企業があったとすれば、それは「どうぞわが社の企業秘密を盗んで下さい」と公言しているに等しい。自分自身の存立基盤をすすんで取り崩しているようなものだ。 情報リテラシーという言葉はふつう、パソコンやインターネットを使いこなすスキルの意味にとられているが、会社員にとってはもう一つ、ことによってははるかに重要な意味があるはずだ。つまり、企業という社会的実体の存立基盤である「厳密な境界線」を、間違ったインターネット利用でやすやすと乗り越えるようなことをしないという意識である。 コンピュータやインターネットはたしかに仕事に利便性をもたらすものだが、利便性の追求を無条件に「善」としてとらえる発想はあまりに稚拙であり、情報リテラシーの低さを端的にあらわすものだ。利便性の追求には企業にとって不利益となる情報漏洩などの危険がともなうことを意識できることこそが情報リテラシーのはずである。 言葉をかえれば、今日のように企業の中でコンピュータが一人一台になるずっと以前から、企業に勤める以上当然のこととして認識すべき遵法精神(compliance)である。コンピュータの利便性に魅せられた主に技術系の人々は、ときとして遵法精神を忘れ、企業内でも一般家庭と同じようにユーザの利便性だけを追求する過ちを犯しがちだ。 その企業がコンピュータやインターネットをうまく使いこなしているか、その成熟度を測る指標は、どれだけ多くの社員が、どれだけ多くの情報をコンピュータで処理しているかではなく、ネットワーク・コンピューティングの危険性を補完する「法」(企業の場合なら社内規則ということになるだろうが)をどれだけ遵守できているかではないだろうか。 単なる新しもの好き、便利なもの好きの精神から、社内でもネットワーク・コンピューティングの利便性の追求しかできず、遵法精神の徹底に到らないような未熟な企業は、情報技術の恩恵を受けているようでいて、実は大きな落とし穴にはまりつつあるのだ。 無断転載禁止
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