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NO.1
2000年5月27日  -おたまじゃくしの運命についての考察-

 今日は朝から霧が立ちこめ、しとしとと細かい雨が降り続いています。
真夏のような日照り続きのあとで、この穏やかな大気の湿潤さは心や身体にしみ込むようです。鮮やかな新緑の木々や山野草も、静かに命の歌を唄っているのが聞こえるようです。
 しかし、今日は悲しい知らせを送らなくてはなりません。あの山の池のおたまじゃくし達が
全て死にました。それを発見したのは昨日のことです。真夏日を交えて一週間晴れの日が続き、気掛かりだった池の様子を見に行った所、なんと、池は無惨に干上がって一滴の水も無いのです。そして、池の中央部のかつて最深部であったろう1u位の場所に、黒々と干からびた何千とも知れない彼らの姿がありました。イモリも例外ではありませんでした。おそらく最後の最後まで水を求めて、狭いこの場所にひしめき合ったのでしょう。流れ込む川を持たないこの山上の池では、天の恵みの雨だけが生き物たちの命の綱だったのでしょう。自然の摂理とはいえ、何故こんなことが起こるのでしょう。何故彼らはこのような場所に産卵するのか、考えても考えても私には判りません。
 さて、この不幸な出来事の中での唯一の救いは、私たちが連れ帰った30匹余りのおたまじゃくしたちが、我が庭の小さな池で元気に成長し、丸々と太り、なかでも大きな数匹には2mm位の足も生えはじめていることです。どんな蛙になるのか、その無事な変身が待たれます。
 思えば初めてこの池を発見し、寒天状の巨大な卵塊に仰天して、一体これは何の卵なのか、多分蛙であろうとは想像したものの、どんな蛙なのか知る術もなく、度々池を訪れてはその孵化と成長を見守って約2ヶ月になります。ある日池一面に何千何万とも知れないおたまじゃくしが泳いでいるのを見たときの驚きは忘れることができません。と言うのはこの山では滅多に蛙に出会ったことが無かったからです。たまに蛙の鳴き声のようなものを耳にすることはあっても、それが鳥なのか獣なのかも判然とせず、まして蛙の大群がいるなどとは想像も出来なかったのです。
 まだ小さかったおたまじゃくしの数十匹を連れ帰ったのは、私の単なる好奇心に過ぎず、結果的には彼らの命を救うことになったとは言え、自然の生態系にいささか棹さすこととなりました。この上は、この運命の子たちが無事に成長し、喜びの合唱を聞かせてくれることを願わずにはいられません。
 今は昨日までの乾いた晴天が嘘のように雨が降り続いています。あの全滅したおたまじゃくし達にも優しく降り注いでいることでしょう。蛙になることもなく死んで、自然の土に帰る者たちに私なりの祈りを捧げてこの報告を終わります。  では、また。


NO.2
2000年5月28日  -不意の訪問者についての感想-

 今朝も濃い霧に包まれていました。何時ものように早起きの鶯が賑やかに鳴き交わしていました。ときおりホオジロやヒガラの鳴き声も混じり、穏やかな夜明けです。
 庭の散歩に出て驚きました。何か焦げ茶色の影が視野をかすめたと思ったら、石の後ろからなにか生き物が跳びだしたのです。私は一瞬何が起こったのか判りませんでした。我が家の庭はフェンスに囲まれていて、外部からそう簡単には侵入できないはずなのです。
 不意の訪問者は「兎」さんでした。慌てふためいて、右へ左へ一種パニック状態に陥っています。私は急いで家内のたぬ子を呼び、二人で兎さんに「心配しなくても良い」と話しかけようとしましたが、彼(彼女?)の動揺は激しく、庭中を駆け回って逃げ口を捜しています。
 私たちはこの山に移り住んで日も浅く、兎語を話せません。おろおろする間に彼はフェンスの僅かな隙間に首を突っ込んでもがいています。漸く思いついて「チッチッチ」と犬や猫にする舌音で「何も心配することはない。仲良くしたいだけなんだ」と言うつもりで話しかけたのですが、これがかえって恐怖心を助長したらしく、激しく身悶えして毛を散らしながらフェンスの隙間を抜け出し、文字通り脱兎の如く林の中へ消え去りました。
 後には、茶色と白の柔らかな毛と淋しさが残りました。
 今までにも時々、家内が丹精している花や山野草の芽を食べられることがあって、鳥か虫の所為だと思っていたのですが、それも多分兎さんの仕業だったのでしょう。
 フェンスを張りめぐらせて自衛しながら、動物たちとは仲良くしたいと言うのは、私の自己中心的な虫のよい欲かもしれません。でも、猪さんや鹿さんに行者ニンニクや茗荷やささ百合や山芋などを食べられたり、庭中を掘り荒らされたりするのも困るのです。
 かくして、不意の訪問者との初の交流は惨憺たる結果に終わったのです。動物たちとの良い関係作りの難しさを、今更ながら思い知らされた出来事でした。 もう一度会いたい、穏やかに、楽しく、理解し合い、しみじみと語り合いたいと思いますが、こんな童話的な望みは所詮夢でしかないのでしょうか。
 フェンスに残された一握りの毛が、そよ風に震えながら何かを訴えているようです。
 動物たちと上手に仲良くするにはどうしたら良いのでしょうか。どなたか良い方法を教えてください。今日は反省を込めてお願いと報告を終わります。  では、また。




NO.3

2000年5月31日
  -「神の国」及び八百万(やおよろず)の神様についての意見-
 
 今朝は霧雨の夜明けです。窓の外を灰色の雲が谷に向かって垂れ下がるように流れて行きます。周辺の山々の稜線が墨絵のような雲海の上に浮かんでいます。
 私たちの住む所は、この通信の標題にある通り、伊勢の国にあります。標高約500m余りですが、この辺りではまあ高い部類に入る山です。そして、この山の尾根続きに神宮林があり、伊勢皇大神宮の内宮を懐に抱きかかえるようにしている山があります。
 私たちの住む山に、鹿や猿や猪や狸や栗鼠や蛇など様々な動物たちが多いのは、人の入れない手つかずの深い森-神宮林があるからなのです。神宮林は神宮司庁という役所に依って厳しく管理されており、狩猟や植物の採取は勿論、入山も禁じられています。
 動物たちはこういう恵まれた条件の環境に暮らしており、尾根づたいに周辺の山々へ自由気儘に行き来している訳です。そして、当然のことですが鳥も虫もとても多いのです。つまり、生き物天国と言ってよいでしょう。 「天国に一番近い島」というのがありましたが、それに倣って言えば私の住む山は「天国に一番近い森」かも知れません。
 天国には当然神様がおられます。先に述べた伊勢皇大神宮だけでも、内宮の天照大神を中心に、外宮の豊受大神をはじめ、別宮、摂社、末社、所管社など実に125社の大神宮集団があり、そこには数百の神様が祀られています。その他の神社も多いので、この辺りには文字通り八百万の神々がおられるのです。世界には唯一の神しか信じない国や人も在るというのに、この広大無辺さ、自由闊達さは何と言ったら良いのでしょう。有り難いようでもあり、有り難さを通り越して戸惑いを感じるほどです。
 では、私の本当の気持ちはと言うと、私は全てのもの「万物、森羅万象」に神は存在すると思います。いわば自分の心の中に在るものだと思っています。それは、具体的な姿形や特殊な能力を持つ偶像的な存在ではなく、自分の良心のような存在であろうと信じます。従って、それは在ると思えば在るし、無いと思えば無いのです。私自身の中でも、時として在る時もあり、無くなってしまう時もあります。いわば無形心象財ですね。
 なんだか、単純明快で無い、今日流にいえばファジィなお話になってしまいましたが、決して皆さんを誑かそうと言うのではありません。かく言う私の名が純粋の日本の狸から取った「ほんど たぬきち」だからと言っても、本当に真面目なお話のつもりなのです。  では、また。



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NO.4
2000年6月1日  -鳥と蛇と「自然」との共生について-

 朝日が庭の檜の枝の間から静かに射しはじめました。いつものように鶯が賑やかに縄張り宣言をしています。今朝は遠くでカッコウも鳴いています。鳥たちのために作った餌場には、はやくもホホジロの番いが来て朝食です。
 私の庭にやって来る鳥は、今のところホホジロ・カケス・ヒガラの3種類だけです。その外、隣の林にはメジロの群れやホトトギス等がやって来ますが、何故か庭には入ってくれません。鳥にも人懐っこいのや人見知りする種類が有るのかも知れません。
 ホホジロは必ず樹の一番高いところにとまり、ひとしきり啼いてから庭に降りて来ます。ヒガラは小さな群れで、樹から樹へ林を飛び回った後に庭に降り立ち、カケスは一直線と言う感じで庭の松の枝に飛来します。たいがい別々に来ることが多いのですが、ごくたまに2種が同時に来ることもあります。しかし、離れた場所でお互いに知らん顔をしています。鳥によっては混成して群れを作るものがあると、鳥類図鑑には書かれていますが、まだそれを見たことはありません。
 本当は給餌は餌の少ない冬場だけにした方が鳥たちのためには良いそうですが、つい鳥に会いたさに続けてしまいます。これは私の単なるエゴですね。
 餌場の傍に巣箱が2つ掛けてあります。そのひとつに先日ヒガラが出入りしているのを見かけ、巣作りを始めたかと期待したのですが、途中で止めてしまいました。中を覗いて見ると、緑色の山苔が馬蹄状に綺麗に敷きつめられています。もうひとつの巣箱は何度か覗き込んでいたのですが、中に入ろうとはしませんでした。どちらも結局は気に入らなかったのでしょう。鳥は他の鳥の古巣を良く利用するそうですが、木の香匂うような新築は好まないのかも知れません。まあ、気長に来年を待つしかありませんね。来春には巣作りして、可愛い雛が誕生してほしいと願っています。
 ところで最近よく蛇が出没します。文字通り神出鬼没と言ってよいくらい、あっという間に石の下や茂みに姿を隠してしまいます。私は蛇は怖くて生理的に大嫌いなので、庭の散歩もおっかなびっくりと言う有り様ですが、鳥と蛇の先祖が共通の種だと聞いて信じられない思いです。私の先祖はきっと蛇に食べられ苦しめられていたに違いありません。
 「自然」は素晴らしいと思う気持ちに変わりありませんが、自分にとって好ましいものばかりが「自然」では無いということもまた厳然たる事実です。「自然」との理想の共生には困難も試練もいっぱい有りますね。  では、また。
〈追伸〉
 仙台のNEKOさんへ  やぶいぬ王国からFAXであなたのメールを送って貰いました。ありがとうございました。私はパソコンをやりませんので、直接ご返事が出来ません。この通信を通じてお礼申し上げます。今後とも宜しくお願いします。



NO.5
2000年6月4日  -おたまじゃくしと蛇と「弱肉強食」について-

 昨日、おたまじゃくしの池に異変が起こりました。
 おたまじゃくしの小さな池の中に、赤と焦げ茶のまだら模様の紐状のものが浮いていたのです。何かと思う間もなく、それはするすると水面を泳ぎ始め、紐の先端が持ち上がるではありませんか。それは小さいけれど、充分に猛々しい殺気を放つ蛇だったのです。
 おたまじゃくし達は一斉に水面に浮かぶ布袋葵の下に避難し、事なきを得ましたが、蛇は近づいた私に気づいたと見えあっという間に岸の岩の間にもぐり込んでしまいました。
 蛙は蛇の好物ですが、おたまじゃくしもそうなのでしょうか。これは大変と勇を鼓して岩のあいだをつついてみましたが、何処に隠れたものか姿を見せません。
 その後注意して見ていると、二度三度水辺に現れてはおたまじゃくし達を狙っているではありませんか。どうすれば良いものか、思案に暮れつつ一日が終わりました。その夜この事について、私達夫婦の意見はわかれました。私は悲観的で妻は楽観的なのです。私はこの際弱いおたまじゃくしを助けるため、蛇には気の毒でも何らかの方法で退治しようと言い、妻は弱いものには本能的に自衛する能力が有るから、放っておいても大丈夫だと言います。確かに目撃した時、おたまじゃくし達は瞬時に布袋葵の下へ逃げましたが、それは蛇が水面を泳いだからで、よく浅瀬に上がりたがるおたまじゃくし達には危険が一杯有るに違いないのです。心配しながら眠りにつきました。
 今朝、気掛かりな池の様子を見に行くと、気のせいか数が減っているように思えてなりません。実際に数えた訳ではないので何とも言えませんが、悲観論者としては蛇が池の周辺に住み着こうとしているのは、食料を安定的に確保しようとしているのだとしか思えません。おたまじゃくしに弱い者の本能が有るとすれば、蛇には強い者の本能が有るはずです。これは何処まで行っても正解の出来ない難問みたいですね。
 さて、この際すぐ思い浮かぶ言葉は「弱肉強食」です。生態系が弱肉強食の輪廻で成立しているのは、紛れもない事実ですから、そのことに思い悩んでも仕方のないことではありますが、弱い者が食べられる姿を目の当たりにするのは、やはり悲しく辛いことですね。以前テレビ画面で見た、ライオンに食べられるインパラの子の余りにも弱々しく静かな澄んだ目が忘れられません。
 我が家のおたまじゃくし達は、無事蛙に成長できるのでしょうか。
 たかがおたまじゃくしと笑わないでください。  では、また。


NO.6
2000年6月6日  -続・おたまじゃくしと蛇と「弱肉強食」について-

 6月4日付けのNo.5について、早速ある方からイラスト入りの便りを頂きました。
 それは、おたまじゃくしの防衛策についての提言と、若干の感想でした。
 要旨は「池に蛇が入れないように柵か網を作ったら?、或いは周りに蛇の嫌いな植物を植えたら?、救える数だけでも室内で飼えば?」という提案と、「自然は弱肉強食だから仕方ないか、でもどんな蛙になるのか知りたい」という嘆きと願いです。丁寧で可愛いイラストが描かれていました。イラストのヘビは汗をかきながら「えこひいきだ」と呟いているのです。
 以下はこの便りに触発された私の感想です。
 まず最初に感じたことは、「フムフム、ウーン、マァ、ナント、ソウカ」です。これを正確に翻訳することは大変難しいと言わねばなりません。なにしろ、私の脳裏に浮かんだことと言えば「安全保障」「愛」「自然の摂理」「食物連鎖」「差別」などなど、到底ここには書ききれないほど膨大且つ高邁な思索と、同時に「こりゃ困ったな」「私の他にも暇な人は居るんだな」「ドシタラヨカンベ」と、低俗で支離滅裂な雑念との渦巻きだったのです。つい調子に乗ってこんな本音を洩らしてしまって、正直であることは本当に辛いことですね。今までの気取ったポーズが台無しです。
 さて、本題に戻りますが、「弱肉強食」と「食物連鎖」は自然の掟であって、誰が何と言おうとどうしようもないことに違い有りません。しかし、それを承知の上で自分にできることはしなくてはならないと思うのです。所詮、世界中を、宇宙全体を理想的に取り仕切ることなど出来はしないのですから。小さなことでもコツコツとやらなければと思いを新たにしたのです。
 そこで、私は提案いただいた「救える数だけ室内」ではなく、少しは安全度の高いと思われる別の場所に移して様子を見ることにしました。私の庭には大中小三つの池があります。その内の「中の池」に半数ばかりを移住させて、経過を観察することにしました。この池は、今おたまじゃくしのいる「小の池」に比べると数倍深く、岸が切り立っているので蛇にとっては捕食が困難であろうと思えるのです。安全な「室内」にしないのは、あくまでも自然に近い状態にしたいという私のこだわりからです。「中の池」に布袋葵とウォーターレタスという水草を浮かべ、「小の池」の水を(つまり水中の微生物達を)半分入れて、環境を整えてやり引っ越しを完了しました。心配するほどでもなく元気に泳ぎまわってくれています。
 さあ、おたまじゃくし達の運命や如何に。風雲急を告げる効果音のように、ホトトギスとモズがけたたましく啼き、オオスズメバチの羽音が不気味な午後です。  では、また。


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NO.7
2000年6月11日  -続・続・おたまじゃくしと蛇と「弱肉強食」について-

 この地方の今年の梅雨入りは暴風雨に近い激しいものでした。8日の夜半から雨と風が荒れ狂い、夜通し家鳴りが続きました。朝、目覚めて障子を引くと窓ガラスに千切れた木の葉がへばりつき、庭では一昨年植えたヤマボウシと木蓮と野梅の幼木が支柱ごと倒れていました。栗の木の枝は裂け白梅の株元がぐらぐらになっていました。強風の中で更に暴風並みの突風に煽られたに違いありません。
 この山はもともと雨が下から降ると言われるほど風が強いのですが、今更ながら自然の脅威を感ぜざるを得ません。ただ、庭に自生する数十本の小さな笹百合が、大きな蕾をつけたまま、何事も無かったようにすらりと立っているのには驚きました。植えられた木は傷つき、自然に生えた木は無傷。強いとか弱いとかの基準や秘密は何処にあるんでしょうか、考えさせられますね。
 庭の三つの池は満水状態でしたが、どうにかおたまじゃくし達は流されることもなく無事のようです。水草の下で健気に耐えています。蛇も安全な所へ避難したのか、このところ姿を見せません。やれやれ一安心と言いたいのですが、気掛かりなことがあります。それは、おたまじゃくしの成長が少し遅すぎるのではないかと言う疑問です。
 彼らを連れ帰ったのは4月17日のことですから、卵から孵化したのはおそらく4月上旬であろうと思います。最初に足が生えたのを見つけたのは5月20日頃でした。その後、個体差はありましたが、ほとんどの者に足が生え、頭がやや角張り、頭の付け根に小さな膨らみが出来、中には手の生えた者もいていよいよ蛙になる日が近いと感じたのですが、それからが意外に長すぎると思うのです。もう里の田園では成長した蛙達の合唱が賑やかなはずです。何かの原因で成長が遅れているのでしょうか。なにぶん種類も生態も全く判らないまま偶然始めてしまったことですから、無責任という誹りは免れません。
 もし、それが私の責任であったらと気になり始めました。観察して見ると、以前に比べて動きが不活発で、餌もあまり食べていないようです。これが変態する前の普通の状態なのか、環境の変化が原因か、飼育の方法に間違いがあったのか、気の揉めるところです。
 一つだけ思い当たることがあります。それは最初に彼らを発見した時の情景です。「何千とも何万とも知れない」数に驚き、この山に蛙がこんなに居たのかと不思議な感に打たれましたが、自然界では生まれた数がそのまま全て順調に成長する訳ではない、その多くは成長過程で自然淘汰されてしまうと言う事実に思い当たったのです。30数匹が全て立派な蛙に成長すると考えていたのは、私の認識の甘さだったようです。
 嵐の夜を境に姿を消したあの蛇にも、今は何か懐かしさを感じます。「弱肉強食」などと引き合いに出されて、蛇は迷惑だったかも知れません。  では、また。


NO.8
2000年6月15日  -おたまじゃくしはやはり蛙の子の巻-

 梅雨入りからずっと降り続いていた雨が昨日ようやく止みました。今朝はすっきりと晴れています。霧が静かに流れて、麓の村落や稲田がかすかに見えてきました。
 梅雨のわずかな晴れ間に、鳥たちの動きがにわかに忙しくなり、今朝はとても沢山の鳥たちを見ました。燕、四十雀、ヒガラ、カケス、鶯、ヒヨドリ、メジロ、ホホジロ、ホトトギスなどなど、みんな餌取りや縄張り宣言に大忙しと言った風情です。
 私の庭の餌場は、梅雨入りを境に閉店しましたが、それでもホホジロやヒガラは二度三度やって来て、気のせいか未練げに動き廻っています。餌の乏しくなる秋までは辛抱してもらわなければと、心を鬼にしています。
 さて、今日は嬉しいご報告です。
 蛙が誕生しました。三匹の小さな赤ちゃん蛙です。身体は菱形の頭より細く、足を折って座った形で約2cm前後、黒褐色で背に細いベージュ色の細い線が一本あり、瞼が金色の半円で囲まれているように見えます。まだ短い尻尾が残っているようです。
 池の中の石の上や布袋葵の葉にちょこんと座り、誕生して間がないためか、呼吸を整えているかのようにじっとしています。よく見ようと顔を近づけたらぴょんと跳ねて水の中に逃げました。まだ鳴き声は聞けません。
 何と言う蛙なんでしょうか。ある人が「ヤマアカガエル」ではないかと教えてくれましたが、図鑑が手元に無く、確認していません。しかし、とにかく小さく可愛い蛙です。
 思えば4月中旬から2ヶ月、色々なことがあり、色々な心配もしましたが、今こうして立派に一人前の蛙になってくれて、今更ながら生命の神秘というか、自然の力に感じ入ります。やはりおたまじゃくしは蛙の子でした。
 生命と言えば、池の中にはこの蛙よりもっと小さな生命がいっぱい居ます。何種類いるのでしょうか、目に見えないプランクトンの類も沢山いるのだと思います。その他、空中を飛んで来ていきなり水中へ飛び込み、池の底を泳ぎ回る昆虫もいます。ひとしきり潜った後岸辺に上がり羽を乾かして、再び空中へ飛び去るのです。これはおたまじゃくしの観察のおかげで発見しました。不思議な生き物もいるものですね。
 さあ、残りのおたまじゃくしたちも無事に蛙になってくれるでしょうか。日が高くなって水温の上がったせいでしょう、おたまじゃくしたちの動きが少し活発になってきたようです。  では、また。


NO.9
2000年6月19日  -蛙たちよ、何処への巻-

 再び梅雨に戻りました。しとしとと細い雨が降り続いています。
 おたまじゃくしは次々と小さな蛙に変身しています。まだ成長の遅いおたまじゃくしもいるのですが、これなら多分全員が順調に蛙になってくれることでしょう。それは自然の生態系や自然淘汰の考え方からすると、正しいことなのか、それとも良くないことなのかは、今の私には何とも言えません。しかし、この小さな生き物を見ていると、心が安らぎ自分が素直に謙虚な気持ちに成れることは確かな事実です。
 ただ一つ気掛かりなのは、蛙たちがどんどん姿を消していくことです。観察していると、最初は随分長い時間池の中でじっとしていますが、何かの拍子にぴょんと跳ねて池の外へ飛び出して行くようです。2センチ前後の小さな体ですが30センチ余りも跳ぶのです。池に残っているものも居るには居るのですが、暫くするとそのうちの数匹の姿が無くなっているのです。
 何処へ行くのでしょう。水辺に生きる蛙ではないのかも知れません。周辺の落ち葉や草の間を捜しても彼らの姿を見ることは出来ません。何しろ小さく地味な土色の蛙たちで、姿はおろか気配も無いのです。鳴かない種類の蛙なのでしょうか、まだ声も聞かせてはくれません。
 庭から林へと続く広い山野へ旅立っていくとすれば、その前途にはどんな世界が広がっているのか、どんな生活を送り、どんな生涯を終えるのか、知る術もなくぼんやりと立ち尽くすだけです。外の世界はこの小さな蛙にとって大変危険な環境だと思われます。蛇も鳥もそして肉食の大きな蜂たち(キイロスズメバチ・オオスズメバチ)も多いし、もし地上で生活するとすれば、多分蟻なども侮れない相手だと思います。その他にもまだ私の知らない敵や、様々な困難が待ち構えているは筈です。このまま庭の池に住み着いてくれればいいものを、何を好んで危険な世界へ飛び出して行くのでしょう。
 「謎の蛙たちよ、何処へ」と問いかけても答えはありません。
 はたして彼らは無事に成長し、そしていつの日か卵を産みに帰ってきてくれるのでしょうか。  では、また。


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NO.10
2000年6月22日  -ささ百合開花の巻-

 庭のささ百合が見事な花を開きました。六弁の花弁の長さ20センチ、黄色がかった渋いピンクで、草丈50センチに比べて余りにも大きな立派すぎる花です。強い芳香があり、そよ風に薄められて辺り一面に良い香りが漂います。
 この地方の南にもささ百合の名所があり、テレビの地方ニュースが開花を紹介していましたが、それは一本の茎に沢山の花を付けていました。草丈も高く人の腰の辺りまでもあったようです。画面では土手の斜面のような所に何百本も群生していました。
 この山のものは一本に一つの花で、ごく稀に二つ付けているものがあるだけです。百合の類は球根と種子と両方で繁殖する筈ですが、何年も経って球根が肥大すれば沢山の花を付けるのかもしれません。この山もかつては全山にささ百合が咲き乱れたそうですが、園芸ブームで採り尽くされようとしているそうです。心ない盗掘者達が売るために球根ごと根こそぎ持って行ってしまうのだそうです。盗掘と言っても盗掘者達自身にはたいしてその意識はないようです。つまり、昔からずっとやって来た生業のうちの一つに過ぎないと言うことのようです。
 私たちの住むこの山は「伊勢・志摩国立公園」の中にあり、その全てが私有地なのですが、ずっと昔からの入会権の意識が欲と共に根強く残っていると言うことのようです。それは、今お話ししているささ百合だけでは無く、神仏の供花のための榊・樒、薬草のセンブリ、山菜の蕗の薹・タラの芽、天然の椎茸・マイタケほか数種類の茸など、それを商売にしている人は勿論のこと、自家用にする人もごく当たり前のことのように行われているようです。近年、自然保護や環境問題が喧しくなってきて、さすがに白昼堂々では無いようですが、何分殆ど人目につかない山中であるのと、別荘地としての開発のために道路が整備されて、誰でも比較的簡単に車で登って来ることが出来るため、植物だけではなく猪や鹿などの密猟も後を絶たないようです。
 大変残念なことですが、美しい「ささ百合」のご報告の筈がこんな嘆きになって仕舞いました。
 せめて私の庭に自生しているものだけでも、大切に守ってやりたい、立派な球根に育てて、たくさんの花を咲かせてやりたいと思います。  では、また。


NO.11
2000年6月25日  -バナホーの話、その1-

 相変わらず梅雨の空が続いています。濃い霧に包まれて、目前の木々の緑以外は何も見えません。その雨と霧の中でも、鶯は元気に啼いています。鶯は鳴き声の賑やかさに比べて、姿は余りみせません。もともと灌木の茂みのなかで暮らす鳥で、くすんだ地味な色のために目立たないのです。目立たないと言えば、この山の動物たちもそれぞれ森の自然のなかに溶け込むような、巧みな保護色をしています。道で出会っても、一、二歩藪や林の中に入ると忽ち見えなくなるのです。それは、鹿も野兎も狸も栗鼠もみんな同じです。
 ただ一つ例外が有りました。それは離れ猿です。群れで行動する猿は実に用心深く、こちらの姿に気づくと、あっと言う間に茂みに隠れてしまいますが、一匹で暮らす離れ猿は違いました。
 今日はその離れ猿とのおつきあいをお話します。標題の「バナホー」は、私が彼につけた呼び名です。「彼」と勝手に決めているのは、私の乏しい知識では、野生の日本猿の世界で親離れした男の子は、群れを離れて「離れ猿」になると覚えていたからです。それが正しいかどうかは判りません。私の単なる思い込みかも知れません。
 初めて彼と出会ったのは二年近く前の秋のことです。雨戸を開けると目の前の塀の上に彼がいて、余りに近すぎて双方で驚いたためか、あっという間に逃げ出しました。
 その次は冬になってから散歩の途中で不意に出会ったのです。彼は道端のアザミの葉を毟って食べていました。私に気づいてはっとしたようでしたが、私が立ち止まり動かずにいると、じっと見つめたまま手も口も休めようとはしません。「よほど空腹なんだ」と気づいたのは大分後のことです。冬毛に覆われてふっくらと丸く見えましたが、実際は痩せていたに違いありません。何しろ零下の寒さで、食べ物らしいものは見当たらない厳しい真冬の世界です。どうしていいのか判らないまま立ち尽くしていると、彼は上目遣いにちらちら見ながら少しずつ移動し食べ続けています。突然彼が傍らの木に駆け登りました。その原因は車でした。下の方から微かに車のエンジンの音がしたのです。車が近づくと、木から木へ飛ぶように姿を消してしまいました。
 それから散歩の度に出会いを願いましたが、常に期待外れに終わりました。二週間ほど後のある朝、何時ものように散歩していると、前方の陽溜まりに日なたぼっこをしている彼がいました。少し近づいても逃げる素振りはありません。更に近づいてもじっとしています。思い切って5m位まで寄りましたが、ちらと視線を向けただけで毛繕いをしています。そのまま随分長い時間が流れたような気がします。私は我慢できなくなって彼のすぐ傍に座ろうとしました。すると、彼は手を挙げ、歯を剥いて、私を威嚇しました。「それ以上近づくな」と言われたようでした。「甘えるんじゃない」と言われたような気もしました。初めて野生の荒々しさに触れた思いでした。  続きは、また。


NO.12
2000年6月29日  -バナホーの話、その2-

 私を威嚇した後、彼はゆっくり立ち上がり歩き始めました。
 私は一定の距離を保ってついて行きました。彼は時々振り向いて見ますが、殊更慌てる様子もなく平然と歩き続け、やがてまた陽溜まりに座りました。今度は私に背を向けたまま座っているのです。私は何か不思議に穏やかな気分に包まれて、知らず知らずのうちに彼の隣に座っていました。何とは無しに、彼が私を「受け入れてくれた」のだと直感しました。
 彼は毛繕いをしながら、時折こちらへ顔を向けたり、足元の小石に手を触れたり、いかにも所在無げな寛いだ様子です。陽溜まりの静かな暖かさが、小さな喜びを次第に膨らませていくような幸せな時間でした。私は思わず彼の頭を撫でていました。彼はじっとしています。意外に小さな頭の骨の感覚に驚きました。何かいとおしさのような想いがこみ上げて、更に背中を撫でると、痩せた身体の背骨や肩の骨が痛々しく感じられます。ふっくらと見えた長い冬毛の下は、まるで肉や脂肪を全て削ぎ落としたような痩身でした。
 彼は相変わらずじっと目を閉じたままです。この時ほど彼の孤独な生活を感じたことはありません。この厳しい寒気の中にたった独りで、乏しい食べ物を探して生きていくのは並大抵のことではあるまいと、身震いするような感情に圧倒されました。
 この時も、彼は不意に立ち上がって姿を消してしまいました。やはり車が近づいていたのです。私には聞こえなかった車の音が近づき通り過ぎて、長い間私はその場を動けませんでした。今にも茂みの辺りから再び出てきてくれそうな気がしたのですが、それきりでした。
 それから時々出会う回数を重ねるうちに、彼は私の声を覚えたとみえ「おーい、おーい」と呼ぶと、いつの間にか私の前方に姿を見せるようになりました。いつも同じように毛繕いをしながら、何気ない風を装っているように感じられました。近づくと背を向けるのも同じです。ある時、思いついてわざと傍を通りすぎてみました。すると今度は彼が私の後をついて来るようになったのです。
 ある日、私はバナナを持って散歩に出ました。彼に会ってバナナを手渡すと、よほど空腹だったのでしょう、ひったくるように手に取ってかぶりつきました。その合間に「ホッ、ホッ、ホー」とせわしなく声と息を発しながら、一気に貪り食べてしまいました。その様子は、おかしくもあり、哀れでもあり、私も思わず「ホッ、ホッ、ホー」と声を上げていました。
 彼の呼び名「バナホー」は、「バナナ」と「ホー」の合成です。  続きは、また。

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