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NO.74  
2003年5月11日  -アナグマ君登場の巻-

 この山に移り住んで4年8ヶ月になりますが、昨日の朝の散歩で初めてアナグマに出会いました。私の歩いていく道の前方にその後ろ姿を見た時はてっきり狸だと思ったのです。道の脇の側溝に積もった落ち葉の中を体半分埋めるようにして、虫かミミズを探していたものと思います。がさがさと音をたてて進んでいたので、私の近づく足音に全く気付かなかったものと見え、2m位の至近距離まで寄ることが出来ました。そして狸とは違うことに気付いたのでした。先ず尻尾が黒くないこと、頭が小さいこと、耳の先端が丸くて小さいことなどで「おやっ、これは狸じゃ無いな。何だろう?」と思いました。するとその時側溝からひょいと道に飛び上がって歩き始めました。その姿を見ると身体全体が狸より一回り小さく、足が太くて短く、毛色が狸より薄いのです。そしてその目の傍らの黒い模様が斜めに長いのが判りました。「あっ、これはムジナだ」と思いました。私の田舎ではこの動物をムジナと呼んでいました。
 今まで一度も出会わなかったのは何故なのでしょう。出会っていても気付かなかったのかも知れませんが、大変不思議な感じもします。「この山にもムジナが居たんだ」と言うのが正直な感想です。
 さて、家に帰ってさっそく動物図鑑で確認して見ると「アナグマの異名、狸の誤称」とあります。更に解説に曰く「地方によってはアナグマをムジナと呼んだり、狸をムジナと呼んだりする」と言うのです。つまりムジナの本来の正しい名前はアナグマなのでした。しかも、分類の科目によると狸はイヌ科でアナグマはイタチ科なので、どうして混同したりすることになったのか、良く判りません。やはり見た目の所為なのでしょうか。
 この話を妻としていたら「ムジナと言うのはラフカディオ・ハーンの怪談に出てくるノッペラ坊なのよ。英語の教科書で読んだ」と言うのです。外国人の作家は神秘の国の話として何かそういう得体の知れない怖い雰囲気をムジナに感じていたのかも知れません。
 しかし、私の見た感じではむしろ愛嬌たっぷりの生き物に見えたのです。ただ、足掛け5年で初めて目にした事実からも、かなり人目に触れ難い動物なのだろうと言うことは推測できます。そしてそのために様々な情報が飛び交いあらぬ誤解が生じたりするのではないかと思います。こう言うことは世の中の他のことにも沢山あるような気がするのですが、どうでしょうか。
 さて、このアナグマ君は私に全く気付かぬまま200mあまりつかず離れず同行して存分にその姿を見せてくれた後、急な斜面の藪の中へ消えて行きました。この時の観察結果から、多分アナグマは視力があまり良くないのではないかと思われます。
 内股で身体を左右に揺すりながらゆっくり歩く様子は、何か一人歩きを楽しんでいるようで誠に可愛いものでした。彼を見送った後、私が肩を揺すりながら帰って来たのは誰にも見つかりませんでした。  では、また。


NO.75 
2003年6月28日  -特許許可局は花盛りの巻-

 この所、霧と小雨と風の毎日です。折角のささゆりの花も陽の目を見ること無く散ってしまいそうです。ウツギや山法師やヤブデマリの花も濡れそぼって弱々しく見えます。気温が上がってくると室内も黴が生えそうです。
 こんな鬱陶しい日々の中でも、鶯は明け方から啼き始め終日賑やかです。ホホジロや四十雀も賑やかに鳴き交わしています。時折少し舌足らずのような妙な鳴き方が聞こえるのは、多分アオゲラが未だ熟練していない鳴き真似をしているものと思われます。アオゲラはキツツキ科のやや大型の美しい色の鳥です。アオゲラが物真似上手だと言うのはつい最近知りました。そのきっかけは変な「ホーホケキョ」を聞いてからでした。普通の場合、鶯は灌木の繁みや藪の中を移動しながら啼くので、なかなか目に触れることは少ないのですが、その時アオゲラは庭の松の木の幹に縦に留まって啼いたので気付いた訳です。かなり長時間「ほーほー」とか「ほっほっほっけー」とか辛抱強く繰り返していたのです。
 梅に鴬と言うのが日本画などでは定番だと思うのですが、この山には野生の梅の木も無く、普通の鴬は「声はすれども姿は見えず」で、しかし数だけは群を抜いて多いのです。従ってアオゲラも先ずは鴬の真似に夢中になるのかも知れません。
 ところが最近アオゲラの鳴き真似が少し様変わりしてきました。我が家の傍らに暮らしているアオゲラだけなのかも知れませんが四十雀の「つーぴぃ、つーぴぃ」やホホジロの「一筆啓上仕り候」などをレパートリィに加えたのです。ずっと以前に七色の啼き声の鳥を百舌ではないかと書いたことがありますが、もしかするとアオゲラだったかも知れないと思います。
 その時はもう秋も深かったと思うのですが、実に洗練された美しい啼き声で、その後も何度も聞いて感心した記憶があります。これから秋まで習練を積んで、美しい音色を聞かせてくれるのでしょうか、そうであって欲しいと願います。
 さて、そのアオゲラはごく最近になってホトトギスに協力し始めたようです。つまり「トッキョキョカキョク」の舌足らず版が聞こえ始めたのです。人間でも「特許許可局」は難しい早口言葉の一つですが、アオゲラにとってもあまり易しくはないようで、突っかえながら何度も試みています。その姿と声を見ていると、吹き出しそうになることさえあります。何とも一生懸命でその割に間抜けに思えて仕方がないのです。
 かくして、この山の上では今、特許許可局の本家本元とその真似師と言うか、協力者と言うか、両者が入り乱れて解説のラッシュとなっています。
 こんな私の揶揄を当のアオゲラが知ったら、何と言うでしょうか。もう二度と啼いてやるもんかと怒られてしまうかも知れませんね。  では、また。


NO.76  
2003年9月28日  -有り難くない兄弟の巻-

 長い間お休みをして仕舞いました。多くの方からご心配やら励ましのお便りを戴き大変恐縮しています。少しは元気を出さねばと自分に言い聞かせているところです。
 私ごとですが、最近体調が良くありません。この夏の異常気象も影響しているとは思うのですが、様々な症状に悩まされています。周囲の人達は「病院に行って検査を受けろ」とか、「病は気から、気にするな」とか助言してくれますが、現実に体調が悪いと、気持ちまで落ち込んでどうにもならない状態です。検査を受けて良くない結果だったらいっぺんに本物の病気に成ってしまいそうで不安です。こんな時に限って変なことが起こるもので、ますます心配が増幅されてしまいます。
 先日、こんなことがありました。外出から帰って寛いで椅子に座っていたら、妻が悲鳴に近い叫び声を挙げました。靴下とズボンの裾が真っ赤に染まっていたのです。恐る恐るズボンを上げ靴下を下げて見ると、足首の辺りが血だらけではありませんか。少し痛痒い感じはあったものの怪我をした覚えもなく、心当たりは全くありません。急いで濡らしたティッシュで拭って見ると、小さな傷口が現れ拭いても拭いても血が滲むのです。暫くしてやっと気付きました。蛭にやられたのでした。この山に住み始めて丸5年になりますが、初めての経験でした。蛭が居るという話は聞いていましたが、吸い付かれたことも無く、見るのも初めてのことだったのです。山蛭は濡れて湿った草や木の葉に居て、動物が近づくと素早く取り付くのだそうです。木の葉にいるものは、下を通る動物に敏感に反応してぽとりと落ちて取り付くのだと言います。そして薄いシャツや靴下だったらその上からでも血を吸うのだとか、聞いただけでも血の気が引くような話です。そのことが現実に自分の身に起こったのでした。文字通り血を分けた、有り難くない兄弟ですね。
 これも異常気象の所為かなと思われてなりません。本当に雨がよく降り、湿度120%の状態が続いたのですから、山蛭にとっては最も活動のし易い環境条件だったに違いありません。山蛭ぐらいならたいしたことでは無いでしょうが、この異常気象は世界的にも様々な不安な現象を起こしているような気がしてなりません。超大型ハリケーン、エルニーニョ、雨台風、そして世界の各地で発生している水害、洪水、農産物の不作などなど、何か普通でないものを感じてしまいます。テロや犯罪までも頻発していますね。
 さて、私の不安をよそに私たちの愛しの狸一家は、長雨の後例年より4週間遅れで子供たちを引き連れてお目見えしてくれました。驚いたのは子狸3匹が親たちと一瞬同じような大きさに見えたほど成長していたことです。去年までの小さく可愛い姿と違い、立派な少年と言うか凛々しく成長した姿を見せてくれました。相変わらずおやつのパンの耳と殻付きピーナッツ欲しさに朝夕やって来て甘鳴きしては催促しますが、その態度や動きも少しづつ個性が目立つようになってきました。毎年の例だとそろそろ親たちが姿を消していく時期ですが、今年はどんな別れが待っているのでしょうか。  では、また。


NO.77  
2003年10月18日  -良い時は短いの巻-

 気候不順だった夏が終わり一気に秋が深まるこの頃です。毎日抜けるような青さの晴天で、朝夕の気温も肌寒さを感じさせます。今日は風もやや強く月初めまでの暑さは何処へ行ってしまったのか、不思議な感じです。何時も季節の変わり目に感じることなのですが、良い季節は短いと思います。これは人生についても同じような事が言えそうですね。
 ところで、自分にとって良い季節は何時なのか、好きな季節は何時なのかと考えてみますと、これが案外に難しいのに驚きました。なんだかんだと理屈をこねてみても、要するに気が多いのか、あれもこれもと必ずしも一定しないのが本当のところです。
 春、長く感じられた冬の寒さがほんの少し弛み始めた時の嬉しさ。春、盛りの花々に囲まれる喜び。夏の初め、積乱雲が立ち上がり風が光るという感じに吹き抜ける時の清々しさ。夏の終わり、ふと感じる淋しさもまた捨て難いです。秋は何故か旅心を誘いますね。私は秋になると「山の辺の道」を歩きたいと毎年のように憧れるのですが、実は一度も実現したためしが無いのです。そしてもう一つの望みは「お遍路」です。これもなかなか難しいことかも知れません。そして冬、木枯らしの音、寒月の明かりに凍りついたような夜の森の風景、雪の朝の野生動物のたちの無数の足跡を探して歩く散歩。数え上げると殆ど無限と言っても過言では無いようです。
 こんなに未練が多いと、これはなかなかすんなりと死ねそうもないなと呆れるほかありません。こうして見ると「見るべきほどのものは見つ」と切って捨てた英雄がいましたが凛とした覚悟が感じられて立派だなあと頭が下がります。私も一度こういう格好いい台詞を吐いて見たいものだと思いますが、叶わぬ夢でしょうね。
 さて、色々想いは乱れて迷いますが、今この季節が何と言っても一年の内で一番素敵な時だろうと思えます。実りの秋と言いますが、何か物事が充実し結果を見せてくれる時候だと感じます。もっとも私には見事に結実してくれるようなものは何一つ有りませんが、そういう風であったらいいなぁと人並みに感じさせてくれることは確かです。
 我が愛しの狸たちは丸まると太って一回りも二回りも大きくなってきました。親の世代と子狸たちの体格差が時として見分けのつかないことがあります。子狸の成長の速さは目を見張らせるものがあります。それは見ていてとても嬉しいことなのですが、同時に老いていく私には眩しくて目をそらしたくなるような瞬間でもあります。
 そんなことは何処吹く風と言う風情で、子狸たちは無邪気に遊んでいます。まだ名前はつけていません。この通信を書いている窓辺の下の草地で毛繕いをしたり、相撲のように組み合ったり、親や叔父叔母に甘えたり、そして窓硝子をこつんこつんと叩くと一斉にこちらを見上げて「おやつ」のパンか殻付きピーナッツが落ちてくるのを期待してそわそわと落ち着きなく走り回ります。この子狸たちには何時が一番良い時なのでしょうか。話が出来たら聞いてみたいものですね。  では、また。




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