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狩猟の解禁から1ヶ月余りが過ぎました。今年はハンターの数が少ないと喜んでいたのですが、やはりこれはぬか喜びでした。休日の度に例年通りのことが起こっています。即ち車の騒音、猟犬の鳴き声、鉄砲の発射音、弁当殻や飲み物のゴミなど、こちらの神経を逆撫でするような我が物顔の騒乱です。法律がそれを許し認めている以上、狩猟そのものは当然の権利であり自由なのでしょうが、だからと言って他人に危険や不快を押しつけ、自然を汚す権利があるのでしょうか。まして単に殺生をする楽しみの為にであったり、肉を食べたい一心であったりするのは許されることなのでしょうか。 そして、今年の際立った特徴は飼い主に見捨てられて放浪する猟犬の多いことです。この1ヶ月余りの間に、もう3匹も迷い犬が発生しました。その内の2匹は飼い主からの依頼が管理事務所に届け出られていたので、様々の経緯はあったものの生きて無事引き取られて行ったのですが、骨と皮だけに痩せ衰えて見るも哀れな極限状態でした。その発見と飼い主との対面を片方は直接立ち会い、もう一方は保護して飼い主に渡した知人から話を聞いたのです。その二つの両極端な事実をお話しましょう。 まずは感動の情景です。連絡を受けた飼い主が現れた時の犬は、そんなに興奮して大丈夫なのかと心配になるほどの喜びようで、前足で飼い主の足を抱き締めて千切れそうに腰を振り、声にならない鳴き声を発し続けたのです。思わずじーんときて呆然と見守るしかありませんでした。飼い主の方も犬の名を繰り返して呼びながら、身体中を撫でさするだけでした。この救出劇には多くの人の善意が働いたのですが、立ち会った人々が口々に「良かった、良かった」と喜び合い、私は思わず涙が溢れました。 もう一つの方は一晩保護して助けた知人の話です。飼い主と対面して名前を呼ばれても犬は後ずさりして、飼い主に近寄ろうとはしなかったそうです。知人は「完全に人間不信に陥っていた」と言います。「それまでの接し方に問題ありだ」と愛犬家の知人は断言します。犬は三日飼われると三年恩を忘れないと言い古されていたと思うのですが、やはり真の愛情をもって接していたかどうかが犬の純粋な感性と記憶に反映したものと見えます。 あるプロハンターの話では「最近のアマチュアハンターはゲーム感覚で鉄砲振り回すので怖い怖い。鹿と間違えて馬を撃ったと言う事件があったが、ルールも常識も無く訓練もされていない連中がわーっとお祭り気分で山に入るんだから危なくて仕方ない」とのこと。私はハンターに特別な偏見を持っている訳ではありませんが、客観的に公正に見ても、現在この山での彼等を認め肯定することはできません。 つい最近、行政に陳情書を提出して幾つかの要望をする機会があり、その内の一つに禁猟区の指定をお願いしました。結果はにべも無くNOでした。伊勢志摩国立公園なのですよ!ここは!国立公園って一体何なのでしょうか。 では、来年また。 |