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この所台風15号と16号の影響で毎日のように雨模様です。その上、風も強くて時折は烈しい吹き降りもあり、散歩もままなりません。最近の楽しみは子狸たちの訪問です。「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」窓を開けて呼べば必ず藪の中から飛び出して来ます。ただ何時も四匹一緒と言う訳ではありません。成長するに従ってそれぞれ自立的な行動をとるものと見え、二匹だけだったり三匹だったり、母親の兄弟か姉妹であろうと思われるクロやシロと一緒だったりしますが、不思議なことに母親が全く姿を見せなくなってしまいました。もう三週間以上前になるでしょうか、暑い日に喘ぎながら出てきたのを最後にぷっつりと姿を消してしまったのです。この母親を私たちはコロと呼んでいました。 コロに何か異変が起こったのでしょうか、とても心配です。思い出すのは最初の夫婦狸たちです。つまり現在の子狸たちの祖父母にあたる狸たちです。今やって来るクロやシロやコロの両親に当たる訳ですが、ある日を境に全く姿を見せなくなりました。あたかも子供たちにテリトリィを譲ったかのように消えてしまったのですが、これがこの一族のきまりでもあるかのように、今度も母親のコロが来なくなってしまったのです。 無邪気におやつを取り合ったり、お互いに毛繕いをしたり、組み合って相撲をとるようにして遊ぶ子狸たちを見ていると、母親がいなくなってしまったことなどどこ吹く風と言った感じですが、成長の早い狸たちにしてみると来年はこの子狸たちが多分親になる訳なのでしょうから、私たちの思いは狸たちにとっては無用の心配なのかも知れません。 私が動物図鑑などで教えられていた、親の子離れ−親が子供を追い出すのと全く逆の現象に少々戸惑っているのですが、今度は一体どうなるのでしょうか。 体格の小さい方から、チビクロ・チビリン・チビシロ・チビポンと名付けた四匹はそれぞれ特徴的な性格を持ち、面白い反応と行動を見せてくれます。とても同じ親から生まれたとは思えないほど、際立った違いを感じさせます。即ち愛嬌たっぷりの可愛いチビクロ、おとなしいが落ちついた感じのチビリン、素早い動作で強引なチビシロ、引っ込み思案で臆病なチビポンと言った具合です。この性格の違いはおやつを与える時とても重要なポイントになります。つまり公平に行き渡るようにしようとすると、投げ与えるタイミングや位置を考えないと上手くいかないのです。何しろ狸たちの自然な採餌能力を損なわないようにほんの少ししか与えないおやつなので、その与え方にも私たちなりの工夫や努力が必要な訳です。 しかし、そんな気遣いも知らぬげに育ち盛りの子狸たちはやんちゃの限りを尽くしていますが、ついつい人の子に話しかけるように喋ったり叱ったりしている自分に気付いて、思わず苦笑いしてしまいます。いい歳の大人がこんなに入れ込んでいて良いのでしょうか。 では、また。 |
9月15日敬老の日のことでした。その日は朝から何となく楽しくない日でした。その予兆があったのかも知れません。だいたい敬老の日と言うのが私には気に入りません。これは年取った私の僻みでしょうか、一年の内のたった一日だけが敬老の日とは。自治体の首長が最高齢の老人にプレゼントをしてお祝いをすると言う、お決まりのニュースを見ながら少々腹を立てていました。心身ともに元気で溌剌としたお年寄りには頭が下がりますが、何で一日だけちやほやするのか、普段は年寄りを馬鹿にし笑い物にする風潮が横行しているとしか思えないのです。私は自分が社会の役に立たぬ厄介者になったことを認めたくないと言うだけの事かも知れません。 さて、この良くない予感は狸たちにおやつをやっていた妻の悲鳴と絶叫で現実のものとなりました。駆けつけた私が目にしたのは、大型の白い犬に噛みつかれ咥えられたまま振り回されている一匹の子狸と、四方八方へ散り散りに逃げ惑う狸たちでした。私は血が逆流し呼吸が苦しくなるような感覚の中で、必死に大声を上げ、その場に向かって走りました。石を広いその犬に向かって投げました。犬は咥えていた子狸を放し藪へ逃げ込み、興奮がそうさせるのか、唸り声を上げながら走り回ります。 噛まれた子狸はぐったりと土の上に横たわったまま動きません。藪のあちこちで狸たちの悲鳴が聞こえ、更なる悲劇が想像されて気が気ではありません。夢中で藪の中へ駆け込み、拾った木の枝でそこら中を叩きながら犬を追い払いました。やがて犬が道に姿を現し、飼い主の別荘に向かって走り去りました。 私は喘ぎながら後を追い、まだ寝ていた飼い主を起こして抗議しました。寝起きで事情が良く呑み込めなかったと見えて、私には予測出来なかった返事が返って来ました。「それはすまなかった。でも、それはお宅のペットなの?」 不意にボディブローを喰らったような感覚でした。ペットではありません。野生の狸です。どうも私の興奮や怒りや抗議は的外れであったようです。私たち夫婦の勝手な思い込みや考え方は偏っていたのかも知れません。要するに物の考え方の相違であって、野生の狸の生死など大した事ではないに違いありません。私は犬を放し飼いにしないでくれと頼むのが精一杯で、家に戻りました。散歩中の人が噛まれたりしたら大変だと尤もらしい理由を言いながら、自分自身に腹が立ち、何か不消化の物を飲み込んだような、生理的な不快感が残りました。妻は心臓がドキドキして頭が重苦しく痛いと言い、「噛まれた子狸が暫くして立ち上がりよろけながら藪の中に消えたので、生きていてくれれば良いが」と顔を伏せました。翌日姿を見せた子狸は一匹、翌々日は三匹、まだ姿を見せてくれないのはチビリンちゃんです。近くの林の上を舞う烏の群れを見ながら気が気ではありません。何故なら烏は森の葬儀屋さんだからです。 では、また。 |