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NO.53
2002年1月20日  -願はくばの巻-

 この山の元日は珍しく穏やかに明けました。雨も雪も降らず風邪も吹かず、まことに長閑な風景でした。でも、その後は大荒れの寒波に凍りつくような日が続いています。
 例の狸たちは相変わらず「おやつ」をねだりにやって来ますし、鳥の餌場もカケス・ヒヨドリ・シジュウカラ・ホホジロなどが代わる代わるに来て賑やかです。落葉樹が裸木になって、餌場に下りて来る野鳥の姿がよく見えるようになったのは嬉しいことです。まあその分、鳥たちにとっては虫や木の実などの餌が無くなって厳しい状況なのでしょうが、野生の生き物たちは逞しく冬場を生き抜いているようです。着膨れてただ春を待っている私には、獣も鳥も眩しいように健気な生命力の持ち主だと思われます。
 「願はくば 花の下にて 春死なむ その如月の もちづきのころ」−これは言うまでも無く西行法師のあまりにも著名な和歌ですが、特に最近私の心を捉えて離さないのは前半の五七五の部分です。
 新年早々縁起でも無いとお叱りを受けそうですが、ここ数年のうちに身近な人を何人か見送り、自分自身もその年齢に近づいて来ると、死は決して遠いものではなくなりました。むしろ、厳しいが親しい友人のように自分の傍に居る存在のようになりつつあるようです。
 人それぞれの運命があり寿命があって、そうありたいと思うようにいかないのは当然のことなのですが、凡夫の悲しい性はともすれば生かされていることを忘れて、自分一人の力で生きていると思い勝ち、そしていつまでも生きていけるような錯覚に安んじているのが現実です。こんなことではいけないと思いながらも、ついつい楽な方へ安易な方へと日常の暮らしが流れてしまいます。明日を思い夢見ることが少なくなって、過ぎ去った事ばかりが懐かしく想い出されてしまうのです。
 「自分の人生は何だったのだろうか」と、自分の実力を棚に上げて悔やむこともしばしばあります。ああもしていたら、こうもしていたらと後悔の種は尽きません。しかし、もう過ぎ去った時は決して取り戻せない、時間は容赦なく流れていく、こんな情けないことを感じているこの瞬間も刻一刻と消えてしまっているのです。
 はっと我に帰って静かに考えることは、残された時間がどんなに大切なものかと言うことです。西行法師のように哲学的に人生を凝視し達観し表現することは到底出来ませんが、無駄とは判っていても私なりに努力しなければいけないなと思います。願わくばそう在りたいと念じます。
 さて、こんな殊勝なことを感じさせてくれるのも、この山の自然の大きな力なのかも知れません。そこでこの自然の霊気に甘えてもう一つわがままを言わせて貰うなら「願わくば大好きな雑木林の陽溜まりの落ち葉に埋もれて、うとうととまどろむように逝きたいものだ」と思います。これは、まだ春も来ないのに贅沢な虫の良い願いかも知れませんが。  では、また。
 

NO.54
2002年1月28日  -続・いったい何匹いるのかの巻-

 狸たちは相変わらずやって来ます。一日も欠かさず夕日が西の山に懸かり始める頃に姿を見せます。少し早い時と少し遅い時と、その差は最大で約一時間位でしょうか、彼らの生活の中で「おやつ」の時間は定着したように見えます。所謂「餌づけ」とは言えませんが「おやつづけ」には成功したかなと思っています。
 私たちの与えるおやつの種類もだんだん増えてきました。最初の頃は柿や林檎の皮やパンの切れ端でしたが、今は殻つきピーナッツや目刺しの頭・鶏の手羽先の骨なども加わりました。メニューが豊富になるにつれて、彼らの好みも少しずつ判ってきました。
 一番喜び興奮するのは鶏の骨です。次がピーナッツとパンで、魚、柿、林檎と言った順でしょうか、果物でも蜜柑は実は食べますが皮は食べようとしません。
 さて、前にいったい何匹いるのか判らないとご報告しましたが、未だにそれは謎です。二匹いることは確実なのですが、一緒に来ることは稀で、大抵は一匹なのです。ただ二匹一緒に来た時の動作やちょっとした仕種に、それぞれの個性の違いのようなものを感じるのです。それは、片方がやや積極的でもう一匹の方が消極的と言うか用心深い感じなのです。餌を投げ与えると、その落ちる音を聞いて草むらから出て来るのですが、積極的な方はさっと姿を見せるのに、もう一匹の方は顔を出しても辺りをしきりに警戒してそろそろと現れると言った案配です。しかし、双方に共通しているのは殆どその場では食べない、大概の場合は餌を咥えて草むらに駆け込むのです。この点では二匹とも誠に用心深い性質と言わざるを得ません。このことは見たい私たちにとっては、やや物足りない気はしますが、本来の野性を失わないためには必要なことと思ってもみるのです。
 草むらに隠れてピーナッツの殻ををカリカリと割ったり、鶏の骨を噛み砕くガリガリという音を聞いていると、思わず頬が弛みます。そして餌場に出て来ても何も無い時には、窓際の私たちを見上げてまるでおねだりをする子供のように首を傾げたりします。それにつられて思わず少し余分に与えてしまうこともあります。
 こうして、この二匹と思われる狸たちは少しずつ識別出来たように思うのですが、時にはどちらとも区別出来なくて、全く別の三匹目の狸かなと思わせられる場合もあるのです。或いは四匹目がいるのかも知れないと感じることもあり、ますます謎が深くなっています。ものが狸だけに騙されているのかも知れませんが、まあ、この際は騙されるのも楽しいと言っておきましょう。
 狸たちと付き合い始めて三ヶ月近くになりましたが、今後どうなって行くのか、特に二匹一緒の組は夫婦であってくれると嬉しいなと思います。春になって子供を引き連れてやって来ると言う想像に今からわくわくしているのですが、果たしてこの期待は叶うでしょうか。叶わなくても、私たちは狸が可愛くて仕方ありません。  では、また。
 


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