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街中に暮らしていた頃の蝉の記憶は圧倒的に油蝉でした。夏の盛りの暑さの記憶と言い代えても良いでしょう。それは油照りのアスファルト道路や、白く眩しいシャツ、鮮やかな原色のパラソル、汗を拭きながら行き交う人々の記憶でもありました。 そして、夏の終わりを告げるように感じたのはツクツク法師でした。町外れの公園を通り抜ける時などにこの声を耳にすると「ああ、やっと秋が近づいたな」とホッとしたものでした。他の蝉については余り強い記憶が残っていません。 この山に暮らし始めて丸二年になろうとしていますが、奇妙なことに去年の蝉の鮮明な記憶がありません。いろんな蝉の声を聞いたことは確かなのですが、いつ頃、どんな鳴き声がしていたのか、きちんと思い出せません。初めての山の暮らしの面白さに夢中で、あれもこれもと気が移っていたものだと思います。特に初めて出会う野生動物たち−鹿や野兎や猿や猪や栗鼠や鳥などに気を惹かれて、蝉は漫然と聞き流していたようです。我流の庭造りに腐心し汗を流していたせいもあります。 二年目の今年になってから少し落ちついて蝉の声を聞けるようになったと言うことなのでしょう。 四月下旬の暖かな晴れた日にハルゼミが気だるい第一声をあげます。この頃は鶯の鳴き声が賑やかで、ともすればそれに掻き消されがちですが、声の主を捜して庭の松の幹にこの蝉を見つけた時は一種の感動を覚えました。山ではまだ山桜が咲かない時期で、蝉は夏のものとばかり思い込んでいたのですから。 七月中旬から八月になると、ヒグラシ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・クマゼミ・ツクツクボウシなどが次々に鳴きはじめますが、一斉にという訳ではありません。注意して聞いていると、晴れの日、曇りの日、朝夕、昼間など、それぞれ鳴き分けているように思えますが、特にツクツクボウシが夏の終わりを感じさせると言うことはありません。昔街中で聞いて秋の到来を感じたのは錯覚だったのでしょうか。 今朝は久しぶりに涼しい朝でした。この地方でもかんかん照りが続いて熱帯夜が多かったのですが、ここ三日ばかり雨続きで、昨夜はかなりまとまった雨が降り、今も降り続いています。多分まだ止まないでしょう。 人間にはホッとする恵みの雨ですが、地上の生活期間の極端に短い蝉たちにとっては厳しく辛い雨なのではないかと思います。 今朝は全く蝉の声は聞こえませんでした。あれほど賑やかに鳴き続けていたのに、生涯最後の晴れ舞台が雨のまま幕になるとは、この雨は文字通り涙雨なのでしょうか。 では、また。 |
庭の池の布袋葵がぽつりぽつりという感じで咲いています。薄紫の品の良い花です。15cmから20cmくらいの茎に五.六段の小さな花びらが付き、先端の花びらだけにアヤメに似た濃い紫の斑紋と淡黄色の点があります。花としては特に不思議はないのですが、その咲き始めと終わりに大きな特徴があり、不思議な謎があります。※布袋葵の写真はこちら 先ず蕾を持った茎がいつ出始めたか気付かないくらいの速さで立ち上がり、一、二日で開花します。花の開いている期間も一日か二日で、ゆっくり鑑賞する間もなくみるみる萎みはじめ、その後すぐ茎の根元が曲がり始めるのです。曲がりはどんどん進み、萎んだ花を付けたまま先端が水面に達します。さらに曲がりは鋭角になり、花は完全に水中へ没して見えなくなってしまうのです。 最初はこの事に気付かず、茎ごと虫に喰われたのかと思いました。それくらい呆気なく姿を消してしまったのでした。その後注意して観察すると、多少の時間差はあるものの基本的なパターンは全て同じです。何故水中に没してしまうのか、浮き草だけに水中で結実するものなのか、手元の簡単な植物図鑑には布袋葵が記載されていないので、知る術がありません。どなたか御存じの方があればお教え下さい。 この布袋葵は五月末に三株を池に浮かべたのが始まりで、凄まじいばかりの繁殖力で増殖したものです。今では大中小三つの池に二百株以上になっていて、水面が見えにくいくらいです。そして、この水草の根は色々な水中生物たちの生命の温床のようです。いつの間にかアメンボやトンボのヤゴやミジンコが住み着いていました。何しろこの根の豊富な量と言ったら、水上の葉や球茎の何倍もあるのです。 蛙が旅立ったあと淋しくなった池にメダカを十匹放したのですが、この寝に卵を産み付けたと見えて、何十匹いるのか数え切れないほどに増えました。2mmあるかないかの小さなものから2cm暗いに成長したものまで、布袋葵の間を跳ねるように元気に泳ぎ回っています。雨や日差しの強い時には葉陰に憩い、夜は多分根が安眠の褥になっているものと思います。 地球規模で考える森林のような役割を、私の池の布袋葵は果たしてくれているようです。水の浄化や酸素の供給、生命の発生や育成と、微小な生き物たちに素晴らしい環境を創っていると実感します。 それにしても、布袋葵の花は何故水中を目指すのでしょうか、もしかすると卵を抱える親鳥のように、水中生物の様子が気掛かりで覗き込んでいるのかも知れませんね。 では、また。 |