やぶいぬ王国トップへ      たぬき通信indexへ

←8月分を見る                   10月分を見る→

NO.22
2000年9月1日  -山の蝉たちについて-

 街中に暮らしていた頃の蝉の記憶は圧倒的に油蝉でした。夏の盛りの暑さの記憶と言い代えても良いでしょう。それは油照りのアスファルト道路や、白く眩しいシャツ、鮮やかな原色のパラソル、汗を拭きながら行き交う人々の記憶でもありました。
 そして、夏の終わりを告げるように感じたのはツクツク法師でした。町外れの公園を通り抜ける時などにこの声を耳にすると「ああ、やっと秋が近づいたな」とホッとしたものでした。他の蝉については余り強い記憶が残っていません。
 この山に暮らし始めて丸二年になろうとしていますが、奇妙なことに去年の蝉の鮮明な記憶がありません。いろんな蝉の声を聞いたことは確かなのですが、いつ頃、どんな鳴き声がしていたのか、きちんと思い出せません。初めての山の暮らしの面白さに夢中で、あれもこれもと気が移っていたものだと思います。特に初めて出会う野生動物たち−鹿や野兎や猿や猪や栗鼠や鳥などに気を惹かれて、蝉は漫然と聞き流していたようです。我流の庭造りに腐心し汗を流していたせいもあります。
 二年目の今年になってから少し落ちついて蝉の声を聞けるようになったと言うことなのでしょう。
 四月下旬の暖かな晴れた日にハルゼミが気だるい第一声をあげます。この頃は鶯の鳴き声が賑やかで、ともすればそれに掻き消されがちですが、声の主を捜して庭の松の幹にこの蝉を見つけた時は一種の感動を覚えました。山ではまだ山桜が咲かない時期で、蝉は夏のものとばかり思い込んでいたのですから。
 七月中旬から八月になると、ヒグラシ・アブラゼミ・ミンミンゼミ・クマゼミ・ツクツクボウシなどが次々に鳴きはじめますが、一斉にという訳ではありません。注意して聞いていると、晴れの日、曇りの日、朝夕、昼間など、それぞれ鳴き分けているように思えますが、特にツクツクボウシが夏の終わりを感じさせると言うことはありません。昔街中で聞いて秋の到来を感じたのは錯覚だったのでしょうか。
 今朝は久しぶりに涼しい朝でした。この地方でもかんかん照りが続いて熱帯夜が多かったのですが、ここ三日ばかり雨続きで、昨夜はかなりまとまった雨が降り、今も降り続いています。多分まだ止まないでしょう。
 人間にはホッとする恵みの雨ですが、地上の生活期間の極端に短い蝉たちにとっては厳しく辛い雨なのではないかと思います。
 今朝は全く蝉の声は聞こえませんでした。あれほど賑やかに鳴き続けていたのに、生涯最後の晴れ舞台が雨のまま幕になるとは、この雨は文字通り涙雨なのでしょうか。  では、また。


NO.23
2000年9月9日  -私の夢・心眼曼陀羅の巻-

 また3日続きの雨です。降ったり止んだり、常に霧が巻いていて近くの樹々の緑が僅かに見えるだけです。あの先日までのかんかん照りが嘘のような冷気と静寂の風景です。 「幽明境を異にする」とは、この世からあの世へ行く、つまり死に別れる事を表す言葉ですが、ふとそんな想いに囚われる情景です。
 ところで、当たり前のことですが私には死んだ経験がありません。「死」とは何なのか、この未経験の確実な未来は秒刻みに近づいています。しかもそれがいつか判らないところに怖れもあり救いもある、と思っていますが、自殺でもしない限り死期を自分で選ぶことは出来ません。寿命とか天命としか言いようがないのですが、もし天がそれを決めているとしたら、天の神様はさぞかい忙しくて大変だなと同情したりもするのです。
 残り時間が少ないと言うのに、何と能天気なことかと自嘲したり、時にはこんな不真面目なことではいけないと反省したりする今日この頃です。
 私は死後の世界を信じません。従って不滅の霊魂などと言うものも信じてはいません。大変淋しいことではありますが、死は私にとっては無に帰することでしかないのです。つまりは生物学的な現象の一つに過ぎないと思っています。よく言う霊魂なども、単に残された者の記憶と感情に過ぎないと思います。要するにそれぞれの人の持つ価値観がすべてを決定するし、その尺度は基本的に一定ではあり得ないと言わざるを得ません。従って様々な意見や死生観があっても良いのだと思いますが、私は前世も死後の世界も信じません。
 さて、私の心中深く埋もれている希いに、死ぬまでに私の曼陀羅を描きたいと言うのがあります。でも私は仏教に帰依している訳ではありません。たまたま曼陀羅と言う言語の響きに魅せられたのと、その様式美に惹かれたからなのです。罰当たりめと叱られるかも知れませんが、それは「心眼曼陀羅」と私が勝手に名付けているものです。
 密教の世界で言う定型的な曼陀羅ではなく、私自身の心象風景の枠の中に私自身の第三の目(そんなものがあればの話ですが)ーが観たものを描きたいと言う、一種思い上がったと避難されそうな途方もない夢です。とても描けそうもないとは思います。しかし、そう思えば思うほど執着が募るのです。”あーあー果てしない夢を追い続け  ああーいつの日か大空駆けめぐる”とは「大都会」と言う歌の一節でしたが、この自然一杯の山中で大空ならぬ日常空間をのたうち回っているのが私の真の姿かもしれません。
 美味しいものも食べたい、旨い酒も呑みたい、楽しい話を聞きたい、あれをしたい、これも・・・と際限ない欲望に苛まれる自分を発見し、こんな曇った心眼では、当分第三の眼の曼陀羅など描けそうもないなと、未練たらしく濃い霧が晴れるのを待っています。  では、また。


NO.24
2000年9月15日  -布袋葵の花の不思議-

 庭の池の布袋葵がぽつりぽつりという感じで咲いています。薄紫の品の良い花です。15cmから20cmくらいの茎に五.六段の小さな花びらが付き、先端の花びらだけにアヤメに似た濃い紫の斑紋と淡黄色の点があります。花としては特に不思議はないのですが、その咲き始めと終わりに大きな特徴があり、不思議な謎があります。※布袋葵の写真はこちら
 先ず蕾を持った茎がいつ出始めたか気付かないくらいの速さで立ち上がり、一、二日で開花します。花の開いている期間も一日か二日で、ゆっくり鑑賞する間もなくみるみる萎みはじめ、その後すぐ茎の根元が曲がり始めるのです。曲がりはどんどん進み、萎んだ花を付けたまま先端が水面に達します。さらに曲がりは鋭角になり、花は完全に水中へ没して見えなくなってしまうのです。
 最初はこの事に気付かず、茎ごと虫に喰われたのかと思いました。それくらい呆気なく姿を消してしまったのでした。その後注意して観察すると、多少の時間差はあるものの基本的なパターンは全て同じです。何故水中に没してしまうのか、浮き草だけに水中で結実するものなのか、手元の簡単な植物図鑑には布袋葵が記載されていないので、知る術がありません。どなたか御存じの方があればお教え下さい。
 この布袋葵は五月末に三株を池に浮かべたのが始まりで、凄まじいばかりの繁殖力で増殖したものです。今では大中小三つの池に二百株以上になっていて、水面が見えにくいくらいです。そして、この水草の根は色々な水中生物たちの生命の温床のようです。いつの間にかアメンボやトンボのヤゴやミジンコが住み着いていました。何しろこの根の豊富な量と言ったら、水上の葉や球茎の何倍もあるのです。
 蛙が旅立ったあと淋しくなった池にメダカを十匹放したのですが、この寝に卵を産み付けたと見えて、何十匹いるのか数え切れないほどに増えました。2mmあるかないかの小さなものから2cm暗いに成長したものまで、布袋葵の間を跳ねるように元気に泳ぎ回っています。雨や日差しの強い時には葉陰に憩い、夜は多分根が安眠の褥になっているものと思います。
 地球規模で考える森林のような役割を、私の池の布袋葵は果たしてくれているようです。水の浄化や酸素の供給、生命の発生や育成と、微小な生き物たちに素晴らしい環境を創っていると実感します。
 それにしても、布袋葵の花は何故水中を目指すのでしょうか、もしかすると卵を抱える親鳥のように、水中生物の様子が気掛かりで覗き込んでいるのかも知れませんね。  では、また。
 

やぶいぬ王国トップへ      たぬき通信indexへ

←8月分を見る                   10月分を見る→