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NO.18
2000年8月1日  -旅は道中なりの巻-

 旅の思い出は幾つかありますが、最も強く記憶に残るものは40年も前の旅です。山陰の城崎温泉でした。しかし城崎温泉への旅をした訳ではありません。たまたま城崎駅に降り立ってしまったのです。雪のちらつく寒い午後でした。
 強烈な記憶として残っているのは、そこで出会った信楽焼の狸のようなおじさんの笑顔です。そのおじさんは旅館の番頭さんでした。
 当時は駅前には沢山の客引きがいて、ホームから出てくる旅行者に声を枯らして呼び込みをしていたものです。まだ若くて旅慣れない私たち夫婦が、その騒々しさと強烈な勧誘にどぎまぎしながら、何人かの客引きをすりぬけてホッとした途端でした。狸おじさんが私たちの前でひょいと腰を屈めながら、ニコリと笑ったのです。そして私たちの前を歩きだしたのです。その後のことは何と言ったらよいのか、私たちは催眠術にかかったように狸おじさんの後について行き、数分後には彼のニコニコ顔に促されて宿帳に名前を書いていたのです。そしてそれはとても楽しい出来事だったのです。
 世の中には不思議な魅力と言うか能力と言うか、普通の人にはない特別なオーラを備えた人が居るようです。滅多にお目に掛かれませんが、そういう人が居ることは確かだと思います。その時の狸おじさんがそういう人だったのかどうか、それは今もって判りませんが。と言うのはそれっきり一度も会っていないのです。宿の中でも出発の時も見かけることはありませんでした。けれども今もその笑顔ははっきりと覚えています。何故かと言うと、その旅は私たち夫婦の初めての旅、つまり事実上の新婚旅行だったからです。私たちはその年の初夏に結婚したばかりでした。
 「たまたま城崎へ着いた」と書きましたが、本当に行き先の当ても無く、むろん旅に出ようと言う考えも無く、ふとしたはずみのまま汽車に乗った結果、どこか知らない所へ行きたくなってしまったのでした。今振り返ると何ともいい加減なことだったなぁと我ながらその若さが気恥ずかしくなりますが、旅は結構楽しく生涯忘れられない思い出の旅になりました。手元に一枚の写真があります。私が写した家内の写真です。それは日和山海岸近くの道で、小さな祠の中の素朴なお地蔵様と並んで写っています。
 「旅は道中なり」という感慨が頭から離れません。旅は目的地へ着くことも大事でしょうが、その道中の様々な体験の方がもっと素晴らしく印象深いのだと思います。あのときの私たちは目的地の無い旅をしたお陰で忘れ難い思い出を貰ったような気がします。
 秋風が吹きはじめたら山を降りて、何処か見知らぬ土地へもう一度気儘な旅をしてみたいなと思ったりしています。また狸おじさんに会えると良いのですが。  では、また。


NO.19
2000年8月5日  -雨蛙誕生の巻-

 七夕の日に新たなおたまじゃくしの誕生をご報告してからほぼ1ヶ月が経ちました。今日はその続報です。
 三匹の赤ちゃん蛙が誕生しました。多分雨蛙だと思います。若草色の滑らかな肌です。まだ尻尾のある二匹は池の中の布袋葵の葉にいますが、もう尻尾のとれた一匹は数メートル離れた蕗の葉まで移動していました。どれもじっとして動きません。辛抱強く観察を続けましたが全く動こうとはしないのです。まだ完全な一人前の蛙に成りきっていないのでしょう。今、敵に襲われたらひとたまりも無いのではと心配で、ちょっと指で触れようとしたら、なんと物の見事に20センチ余りも跳んで逃げました。神様はこの小さな生き物にちゃんと生きていく力を与えているのですね。
 さて、池の中の残りのおたまじゃくしですが、4センチ前後に成長し既に足の生えたものと、1センチ位のものや3ミリ程度のものとが混在しています。水草の根などを掻き分けてみれば、ゼリー状の卵も見つかるかも知れません。
 三世代か四世代か、確かなことは判りませんが、次から次へと増えているのです。しかし全体の総数としては目立って増えている訳ではありません。やはり自然淘汰の原則が働いているのでしょうか。池の広さに適応するよう、目に見えない力が調節しているかも知れません。
 ただ、前回と少し違うように感じられたのは、おたまじゃくしの大きさと色です。もっとも成長の早かった者の身体の色は成長につれ緑がかっていました。以前のヤマアカガエルではないかと思ったものは濃い黒褐色でした。そのほか身長も体型もかなり違うように感じられます。私の勘では少なくとも三種類の蛙ではないかと思われます。
 途中から何となく前回と違う蛙かなと予感はしていましたが、こんなに種類が多くなるとは予想外のことでした。なにしろ雨後の沢水以外には水の乏しい山頂なのです。恒常的に水のある場所は、今年になって私が造った庭の池だけという環境ですから、そんなに幾種類もの蛙が近くに居たとは驚きです。今まで何処にどのようにして繁殖し生活していたのでしょうか、今更ながら自然の持つ生命力の神秘と奥深さに脱帽です。
 この後どんな蛙が誕生し、どんなことを教えてくれるのでしょうか、小さな楽しみがまた増えました。  では、また。


NO.20
2000年8月11日  -ノックするのはだあれの巻-

 先日の真昼のことでした。かんかん照りの庭で草取りをしていると、玄関扉をノックするような音が聞こえてきました。家内が出てくれるものと思って草取りを続けていると、いつまで経っても止まらないのです。一定のリズムで七八回叩いてはほんの少し間があり、またそれが繰り返されると言った具合です。やれやれという気分で玄関の方へ廻ろうとして音の聞こえる方角が違うことに気づきました。距離も少し遠いようです。
 「なんだお隣さんか」と庭に戻りかけて、隣の別荘の家族連れが昨日帰っていったことを思い出し、取って返して40m位離れた隣家の前まで行ったのですが、訪問者の姿はありません。その間もコンコンと相変わらずリズミカルな音は根気よく続いています。
 次に思いついたのは、何処か近くの別荘で造作か工事をしているということです。しかし、最近滅多にやって来ない別荘が多いのにと、半ば不審な気もして音に導かれるまま近づいて、その建物を見つけました。我が家からは直線距離で約100mは離れているでしょうか、間違いなく音はそこから聞こえてきます。ところがその別荘は雨戸が閉まっていて、一目で無人だということが感じられました。にもかかわらず、同じ音がますます大きく聞こえるのです。
 傍で聞くとノックの音というよりは、ラテン系の小型の打楽器のような音です。でも音楽にしてはいかにも単調で気まぐれな感じです。少し緊張し用心しながら玄関に近づいた時、ぱたぱたと一羽のやや大型の鳥が軒先から飛び立ちました。カケスかヒヨドリくらいの大きさですが、黒い影に見えただけで種類までは判りませんでした。軒先を見上げて驚きました。ひさしに直径5cmほどの穴が二つ空いているのです。その下のウッドデッキには白いボードの小さな破片や粉がまき散らされたように落ちています。
 音の正体はこれでした。何をしようとしたのでしょう。営巣のためとも食餌のためとも思えません。単なる気まぐれか遊びなのでしょうか。
 何という鳥なのか、図鑑を見ながら判ったことが一つあります。それは、キツツキという固有名詞は無いということです。キツツキ目キツツキ科のなになにであって、私が今までキツツキと思っていたものは総称に過ぎなかったと言うことです。キツツキ目キツツキ科の数種類の分布・習性・体長等から推測して、アオゲラと考えるのが妥当ではないかと思います。
 ログハウスに穴を空けられる話を聞いたことはあります。それは多分巣作りのためだろうと納得出来ますが、ひさしの裏側に穴あけとは随分な悪戯者ですね。  では、また。


NO.21
2000年8月23日  -虫の教えてくれることの巻-

 毎朝のことですが、玄関から家の横の通路やウッドデッキを通って庭に出るまでの間に沢山の虫たちを見かけます。それは元気良く這い回っているものもあれば、じっとしているものや既に死んでしまったものもあります。なかには仰向けになって起きあがろうともがいているものもいます。今までに見かけたのはコガネムシ・アオカナブン・オオセンチコガネ・ニワハンミョウ・コマルガタゴミムシ・ベッコウバチ・ハサミムシ・数種類の蜘蛛や蛾などです。その他風の強かった日の翌日には、沢山の蚊の仲間が階段の隅に吹き寄せられて死んでいたりします。
 今朝は玄関のたたきの上でオオカマキリを見つけました。私の足先で羽を拡げ前足の鎌を構えて闘志満々という格好です。大概の昆虫はさっと逃げ出しますが、このカマキリだけは例外です。弓なりに反らした上体を左右に揺らせて威嚇のポーズです。しゃがみこんで暫くの間付き合ってみました。草の茎を突きつけると鎌を振って闘おうとします。彼の目にこちらの姿はどんな風に見えているのでしょうか、まさに「蟷螂の斧」と笑いたいところですが、間近でよく観察するとこれはこれでなかなかの勇姿です。見方によっては恐ろしい感じさえします。
 細く伸びた肢体に三角の頭、丸く飛び出た目、自在に動くアンテナのような触覚、まるで精巧なロボットのようにさえ感じられ、ふとSF映画の世界を連想させられます。もしこの昆虫が私たちと等身大であったらと想像すると、愕然たる思いです。
 私の執拗な草の剣の攻撃に、ついに彼は羽音を残して飛び去りましたが、私には自分の安穏な現在が当然のことではないという思いが残りました。たまたま人間に生まれてきて人間として当然とは言え、ついつい人間中心に物を見、感じて疑わない自分が情けないような気もしてきたのです。
 「蟹は甲羅に合わせて穴を掘る」と言いますが、所詮自分は自分の器量に合った生き方しか出来ないのか、世のため人のために何かをしたと言うことも無く、これから何か出来る当ても有りはしません。
 些か意気消沈した気分で庭を散歩していると、アオカナブンが道にひっくり返ってもがいています。良く見るともう何匹かの小さな蟻が取り付いています。ここにも生きるための闘いが有りました。
 さて、どうしたものかと思案しましたが、この答えはここには書きません。書きたくない気分なのです。  では、また。

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