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夕べは久しぶりに星が見えていました。今朝はすっきりと晴れた青空です。梅雨の晴れの日の光は殊の外眩しく、有り難く感じられますが、湿度の高い空気は暖められると靄が発生して、時が経つにつれ風景がぼんやりと淡彩色の絵のようになっていきます。こんな時とか霧が立ち込めた時には、どう言う訳かよく鹿に出会うのです。 今日お伝えするのは、まだ幼い鹿のお話です。その鹿には同じ場所で何度も会うのです。それはゴミの野焼きに使われている空き地の入り口近くで、どちらかと言えば野生の鹿に相応しいとは言えないところなのです。何故かと言えば割に開けた地形で見通しも良く、すぐに姿を隠すのが難しい場所だからです。 初めてここで見た時は「えっ、こんな所に」とびっくりしました。二度目には「あっ、この前の子だ、なんで?」と不思議に思いました。三度目は「また居るかも知れない」と思いながら通って、期待通り居たのでかえって驚かされました。その後は「会いたい」と思って出掛けて、三度に一度は願いが叶うことになりました。 その鹿は背格好から見て多分去年の春誕生した女の子だと思います。華奢で小さく、表情に幼さと何とも表現しがたい可愛さが見られます。でも好奇心は旺盛と見えて、前足で首の辺りを掻いたり、顔を上げて振ったりしながら、時には五、六分もこちらを見つめて逃げようとせず立っています。灌木の茂みに去る時も特に急ぐでもなく、振り返り振り返り静かに帰っていくのです。 こんな幼い子がいつも独りでいるのは珍しいことです。今までの経験では子鹿はいつも母親と一緒か兄弟姉妹に囲まれていました。普通は道で出会うと母親がさっと林の中に姿を隠し、「ピュー」と啼いて子供達を呼び、子鹿たちも急いで母親の後を追うのです。鹿たちの去った場所を見ていつも感心させられます。と言うのは登りでも下りでも、とても急な斜面であることが多いのです。よくこんな急坂を走れるものだと驚くことしばしばです。よほど足腰のバネが強いのだと思います。雨上がりの道に鹿の足跡がついているのを見かけますが、急斜面を駆け降りて足を滑らせた跡がとても長くついていたりして、まるで砂スキーを楽しんだのかと思うほどです。 ところで、先日のことです。今日の話題の主「子鹿の少女A」が、私たち夫婦の目の前で、突然転んだのです。散歩道の脇の茂みから跳びだしてきて、斜面を駆け降りた途端、ものの見事に横転してしまったのです。予期せぬ出来事に唖然としましたが、彼女の方はもっと驚き恥ずかしかったのでしょう、一目散に灌木の林に隠れてしまいました。 猿が木から落ちるのを見たことはありませんが、時には鹿もこけるのですね。 では、また。 |
今朝、窓から霧の流れをぼんやり見ていると、庭の松の枝に1羽のホホジロがやって来ました。枯れ草をくわえています。密生した松葉の中にもぐり込み、暫くして出てくると傍らの林の縁に降り、再び枯れ草をくわえて戻ってきます。何度もそれを繰り返しています。 ホホジロが巣作りを始めたのだと思いました。わくわくする瞬間でした。今度こその思いで見守りました。以前ヒガラが巣箱に巣作りを始めて、途中で不意に止めてしまったことがありました。肩透かしを食らったような淋しさを味わったことが思い出されます。 邪魔をしないように、刺激しないようにと慎重に見守ったのですが、ふと気づいたのは時期が余りにも遅すぎるということです。「野鳥ポケット図鑑」を拡げてみると「普通3月から7月が繁殖期」と大まかなことしか書いていない、個々の鳥については記載が無いのです。ホホジロの繁殖期が7月であれば可能性がある訳です。少し不安ながら思い直して観察を続けることにしました。 ところが、その後ぴたりと姿を見せなくなってしまいました。観察されていることに気づいて警戒しているのでしょうか、それともちょっと中断しただけなのか、或いは何らかの理由で放棄してしまったのか、さっぱり判りません。 松の枝の下から見上げると、ほぼ20cmの円形の巣の形が確認できます。完成しているのか、未完成なのか、それは判りません。しかし、姿も無いし,卵も産んではいないようなのです。 あのホホジロは一体どうしたのでしょう。気まぐれに巣作りをしたり止めたりする習性なのでしょうか。自然は謎が一杯ですね。まだ日も浅く未熟な自称自然観察者はまごまごするだけに精一杯です。 では、また。 |
今日は七夕です。でも台風が近づいていて、牽牛と織女の年に一度の逢瀬も叶わぬことになりそうです。思うことが思うように成らないのが世の常とは言いながら、自然の気まぐれは厳しい奥深さを感じさせますね。 ところで、これは自然の気まぐれなのか、在るべき姿なのか、実は私の庭の池にいつの間にかまたおたまじゃくしが誕生していたのです。その数、三百か五百か数えることが出来ません。まだ5mmから1cmの小さなものですが、元気に泳ぎ回っています。 以前、山の池から連れて来たおたまじゃくしが無事に成長して、一人前の蛙になって旅立っていったことは、数回にわたってご報告しました。最後の蛙がいなくなってからすでに3週間あまりになりますが、すっかり淋しくなった池は暫く見ることもなく忘れていたのです。この多数のおたまじゃくし達はいったい何なのでしょう。 今になって思い当たることがひとつあります。それは、2週間くらい前の雨の夜から近くの藪の辺りで、蛙の鳴き声が聞こえていたことです。それは昨夜も続いていたのですが、かなり大きな鳴き声で、旅立っていった2cm前後の小さな蛙のものとは到底思えなかったのです。私の勘では、少なくとも体長5cm以上はある別の蛙ではないかと思っていました。私の勘が正しいかどうか、それは不明ですが、いずれにしても鳴き声の主がいつの間にか池に産卵したのだとしか思えません。 今にして思えば、あの毎夜の蛙の合唱は恋の唄だったのでしょうか。さて、そうなるとこの数百或いはもっと多いかも知れないおたまじゃくし達は誰の子供なのか、時期的に普通のことなのか、そういう種類の蛙なのか、疑問は後から後から湧いてきます。 いずれにしても、水は生命の根源であるという感を深くせずにはいられません。それが例え小さな水溜まりの様な池でも、地球の大部分を占める大海原でも、間違いなく命あるものの母であることを教えてくれているのだと思います。 このおたまじゃくし達が全部蛙になったら、そしてこれが度々繰り返されるとしたら、今に我が家の庭は蛙だらけになるかも知れないと想像すると、些か心配でもありますが、はたしてどんな結果が待っているのでしょうか、興味は尽きません。 では、また。 |
まず正直に白状してしまいますが、私はヤブイヌの実物を一度も見たことがありません。京都か名古屋の動物園に出かける機会があれば、先ずは何をおいてもあってみたいと思っていますが、今のところは「やぶいぬ王国」を見せてもらった知識だけしかありません。そこで少し勉強してみようかと書店で参考書を探したのですが、これがなかなか見つからないのです。ヤブイヌは稀少種のようですが、ヤブイヌに関する文献も稀少なのでしょうか。専門の研究者も居ないようですね。 この点で「やぶいぬ王国」は少ない資料の中から実に良く調べていて素晴らしいし、実際に動物園に行って話を聞くなど、地道な努力も評価できると思います。 また、イラストや漫画の楽しさ可愛らしさも抜群です。ファンが多いというのも頷けますね。何より全体に明るく健全なのが嬉しいですね。 そして、私が応援したい第一の理由は「ヤブイヌ」という所詮マイナーな生き物に光を当てたこと、しかも何が何でもヤブイヌ専門といったマニアックな臭みに堕さないで、ごく自然なあるがままの姿勢という所に共感させられます。そこに制作者の素朴さや闊達さを汲み取れるからです。と、ひとまずは自分でも気恥ずかしくなるような賛辞を送っておいて、と・・・・。 更にもう一つ付け加えて言い訳になりますが、なにしろ私の身辺雑記に過ぎない「伊勢・たぬき通信」を連載してくれているのですから、褒めない訳にはいかないではありませんか。ただ「伊勢・たぬき通信」は「やぶいぬ王国」の為に書いているのでは無く、たまたま田舎暮らしの様子を報告したのを取り上げられて、戸惑いながらその気になってしまったと言うのが実は真相なのです。ヤブイヌとは全く関係のないことが取り込まれるとは思ってもいなかったのですから。 制作者に近い人から「やぶいぬ王国」がおすすめHPとして紹介されて賞品をもらったとか、専門誌にランク付けされたとか、アクセスがひきもきらずで驚いているとか聞かされて、「なるほどなぁ」と感心したり、「まだこの国も棄てたもんじゃないな」と妙な感慨に耽ったりしています。 ただ、最後に一言だけ気になることを言わせてもらえば、肝心のタイトルのヤブイヌネタが無くなってしまう日が近いのではないかということです。しかし、今の懐の深さから言って生々流転・千差万別「かつてはヤブイヌと言う動物のHPだったんだよ」と言う伝説が生まれたりしてもいいかなと思ったりするのです。 では、また。 |