〜川風の便り〜
あまのじゃく通信

ほんどたぬきちプロフィール
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今年の「一字漢字」は「命」でした。万有が死に帰すのは当然のこと、死も命もありふれた文字ですが、この一字漢字の意味するものは、そんなにありふれたものでは無いと思います。この一年間に我が国で、そして世界の国々で、不当に奪われた命を想い、無意味に亡くなった命を惜しみ、今ある命を大切にしようと言う願いと誓いを込めた文字であった筈です。毎年のことですが、この字を書かれる清水寺の管長さんの字の見事さには感嘆の念を禁じ得ません。 ところで「総理にとっての今年の一字漢字は何ですが」と記者に感想を聞かれた安倍総理は、最初に「変化」と答え、「いや、一字漢字ですよ」と再度聞かれ「責任」と答えました。その場面に呆気にとられたのは私だけだったでしょうか。何ともお粗末と言うか、悲しいと言うか「ああ、この人は官僚の作文を読むだけの人なんだなあ」と可笑しくもあり、一国のリーダーとして情けないとも感じたのでした。何かことある毎に意地悪く噛みついているようで嫌なのですが、「しっかり」とか「きちんと」とかが口癖のこの人の言葉の使い方の軽さと嘘っぽさ加減にはうんざりです。この方にとって「命」とは政治生命であり人気であって、それは急落する内閣支持率のように「変化」し、自分を総理総裁にしてくれた与党議員への恩返しの「責任」感で頭が一杯だったのであろうと拝察します。 さて、話は「命」の方へ戻りますが、今朝の朝日新聞に哲学者の鶴見俊輔さんと医師で「野の花診療所」の所長の徳永進さんの対談が載っていました。そのテーマが「生き死に学びほぐす」と言うのです。誠に示唆に富んだ深い意味のある会話に引き込まれて感動しました。鶴見さんは84歳、徳永さんは58歳、私から見ると片や遙か年長で、もう一方はかなり年下の壮年ですが、お二人ともにその思想性の深さと実生活から生まれ出たであろう死生観の見事さに感銘を受けたのでした。特に「学びほぐす」(ヘレン・ケラー)と言う言葉に強く共感させられました。学ぶことは出来てもそれを更に学びほぐすのは大変に難しいと思いました。学びほぐす為に必要なことは何でしょうか、私はしばしそのことに取り憑かれ、時を過ごしてとても疲れました。ふと紙面に目を戻した時「あきらめる力が減っている」と言う文字がありました。ふっと張り詰めていたものが消えて、なんだか少し判りかけたような気持ちになったのです。そうだもっと謙虚にならなくてはと、自分に言い聞かせました。とても難しいことではありますが、そうありたいと思います。しかしながら、多分まだまだ迷い続けることでしょう。残念ですが、蟹は甲羅に似せて穴を掘るしか無いのです。この対談で徳永さんは死について「しょうがないかな、とどこかで手を打つ」「死と取引できたりする」と語っています。野の花診療所と言う名前も人柄を感じさせて素敵です。私がそう出来る日はやって来るでしょうか。それが問題です。残り時間は少ないのですが、私も「変化」し「責任」を取らなければなりません。 もう今年もあと僅かです。貴方の一字漢字は何ですか?私のは結局のところ「迷」になりそうですね。でも何だかんだと言っても「命あっての物種」。せいぜい正しく生きて行きたいものです。良いお年を。 では、また来年。 |
最近は耳を疑うような話しが氾濫しています。前回も取り上げた偉い人が、気色ばんで言った言葉には特に驚きました。TMのやらせ問題の責任とけじめをつけるためとして、3ヶ月分100万円の報酬を返納した首相に対して「お金を返してこれで終わりと言うのはおかしい」という野党女性議員の発言に「そういう言い方は失礼だ」と声を荒げたのには呆れるほかありませんでした。彼は本気で責任を取ったつもりでいたのですね。こんな責任の取り方は使い込みをした小役人程度の感覚です。こんな程度の認識しか無い人に日本の舵取りを任せていいものか、とても心配です。今更知性や感性や徳性を磨こうったって間に合わないでしょうが、何とかしてもらえませんか。 また、連日のように新聞が知事の汚職と逮捕を報じています。福島県、和歌山県、宮崎県と続きました。これだけなんでしょうか。まだまだあると言う声があります。いやいや日本中同じだと断言する人がいます。「天の声」は公平に日本中に響き渡ったのでしょうか。ワイドショーが東京都区議会議員の「政務調査費」の不正使用を繰り返し伝えています。記者会見した議員が「申し訳ない」と言う申し訳をしていました。返金したんだからもういいじゃないかと言うような顔をした議員もいました。返せば済みと言うような問題では無いと思うのは変ですか?他の自治体には無いことですか? その他「いじめと自殺」「親殺しと子殺し」「様々なハラスメント」「飲酒運転と轢き逃げ」「振り込め詐欺」など犯罪と不祥事の話が絶えることなく続いています。復党問題と言う呆れた茶番劇、くの一、刺客などと劇画並みの演出に踊って現政権を支持した選挙民は今、どんな気持ちでどんな顔をしてこの結果を見ているんでしょうか。 官製談合事件での前宮城県知事の発言「選挙では敵陣営よりも味方が怖い」ってどういう意味なんでしょうか。言葉だけでなく精神が死んでいるのではありませんか。いや、死んでいると言うより「腐敗」の方が当たっていると思います。こちらの方が厄介ですね。その他、教育基本法の改正問題とその採決のやり方、石油揮発油税道路特定財源の一般財源化とか、防衛庁の「省」昇格など、挙げればきりがありません。あれもこれも「美しい国づくり」や「国民の為の政策」なんでしょうか。私にはどうしても判りません。 さて、先日ぼんやり再放送のコメディタッチのドラマを見ていたら、ヒロインが自分の生き方について「負けても後悔しない闘い」をしようと決心するシーンがあったのです。最初は他愛もない恋愛ドラマと思っていたのですが、主演女優が魅力的だったせいか、この台詞が妙に心に引っかかって新鮮に感じられたのです。「負けても後悔しない闘い」を私は出来るかどうか、自信はありませんがそうしたいと思います。私は生まれつき天の邪鬼です。若いときから年取った現在も変わらず天の邪鬼です。その為に損することはあっても得することはありませんでした。私のような弱い人間は、本当は「長いものには巻かれる」「寄らば大樹の陰」と言う生き方が相応しいのだとは思いますが、力も無い癖に何が正しいか、何をしなければいけないか、と恰好いいことを考えてしまうのです。失敗することが多いのに、こんな観念に恋してると、これは死語風に言えば「お医者様でも草津の湯でも」なおりそうもありませんね。 では、また。 |
65年前の今日、私は父母と共に正座してラジオのニュースを聞きました。日本軍が真珠湾攻撃をしたと言う放送でした。太平洋戦争の始まりです。当時8歳の私にはそれがどう言うことなのか、良く判りませんでした。判らないままに異常な興奮を感じたことは覚えています。「大本栄発表、帝国陸海軍は本未明米英と戦闘状態に入れり」と言う言葉が記憶に残っています。 この時の「大本栄発表」は事実無根では無かったと思います。しかしその後、戦局が不利になり敗戦へと転落していくにつれ、その内容はどんどん不利な事実を隠蔽し歪曲し、遂には嘘まみれの報道へと代わって行ったのでした。けれども私がこの事の真実をきちんと知ったのはそれから5年も後の敗戦後だったのです。「大本営」とは戦時下に設置された天皇直属の統帥部の名称で、「大本営発表」はその後、嘘の代名詞のように揶揄されて使われました。しかし、笑い事ではありません。「大本栄発表」のような嘘が無くなってはいないからです。「敗戦」を「終戦」と言うのも似ていると私は感じています。こういった意味で言葉の在り方を考えてみたいと思うのです。 今日は寒い朝でした。ニュースを見ていると日本中が寒かったようです。寒さに弱い私はこの季節が苦手です。ウォーキングや外出もついつい億劫になってしまいます。全てのことに消極的になると、心身の健康も徐々に損なわれて行きます。これではいけないと気合いを入れて頑張ろうとするのがこれまでの生活でした。何度こんなことを繰り返したか判りません。 さて、今回の標題は「死語の世界」です。なんでこんなことを思いついたのか上手く説明出来ないのですが、気合いを入れるのに必要な言葉を考えていたら、何か妙に虚しい感覚に襲われてふと浮かんだのが「死語」と言う観念だったのです。 辞書をひくと「以前は使用されていたが現在では全く用いられなくなった言語または単語」とありますので、この際はちょっと意味が違うのですが、要するに本質を美辞麗句で誤魔化している類の言葉が氾濫している現在が気になっていたからかも知れません。それは死んだ言葉と言うより「嘘」と言った方が正しいかも知れません。その言葉の持つ本来の意味は正しいことであるのに、実際には正しく使われていない言葉が最近多くなっていませんか。例えば「原点に帰って」「しっかりと」「きちんと」と言うような言葉が、全然そうでは無いところで無闇に使われているのを見聞きします。特に「偉い人」または「偉いと思われたい人」にそれが顕著だと思います。政治家とか長と名の付く偉い人達は嘘でも立派なことを言えば良いと思っているのでしょうか。 最近の言葉の中で最も酷いのは「美しい国 日本の創造」「再チャレンジ」などではないでしょうか。今美しくないから美しくしようと言うことなんでしょうか。そんな奇麗事の前にもっともっと本当にやらなければならないことが沢山あるでしょう。再チャレンジ出来る社会のシステムは何処にありますか。原点に帰ってきちんと教えて下さい。 さて、私のこれまでの提言もまた「死語」かも知れません。どなたか本当のことをお教え下さい。 では、また。 |
ここ一週間のニュースで最も印象的だったのが、徳島の「崖っぷち犬」救出劇でした。たかが野良犬の子犬一匹のことなのに、自分の身内のことのようにハラハラドキドキしていました。おそらく見ていた人すべてが同じような心境だったでしょう。無事にネットの中に落ちて救われた瞬間の「ああ!良かった」と言う安堵の気持ちは、最近のニュースの中では数少ない感動の一つでした。 何故なのでしょうか。その犬が可愛い子犬だったからでしょうか。危険な崖に飲まず食わずに一週間も健気に頑張っていたからでしょうか。私には色彩の感覚が強い印象として残りました。レスキュー隊員の制服の鮮やかなオレンジ色です。あの新潟地震の時、崩落した岩石の隙間から奇跡的に救出された幼児の場合も、鮮やかなオレンジ色のレスキュー隊員の決死の活躍がありましたね。あの色は生命の輝きのように見えました。 何故なのでしょうか。イジメや幼児虐待や子供の自殺や殺人傷害事件がいっぱいあり、内戦やテロによる死者の無い日はありません。もう私達はこのような状況に不感症になってしまったのでしょうか。毎日何千何万という犬や猫が殺処分されているという事実を私も知っています。崖っぷち犬も引き取り手が無ければ処分される運命でした。このことを考える時、知ることと知らないことの大きな差を感じます。私達の知らない間に人も動物も沢山死んでいるのに、私達は知らないから平気でいるという現実があります。 さて、犬と言えばこのHP「やぶいぬ王国」のそもそもの発端になった犬は言うまでもなく「ヤブイヌ」ですが、最近画面上ではほとんど更新されなくなりました。これは少々淋しいことですね。そこで少しヤブイヌのことを書いてみようと思います。 私は最近ずっと一日一万歩を目指してウォーキングを続けています。我が儘なようですが、どうせ歩くなら気持ちの良い所を歩きたいのです。ということは自然が一杯で空気の良い所、風景の美しい所、歴史的に由緒ある所、そして一万歩を継続的に歩ける所ということになります。ここ名古屋にはたくさんの広い公園や緑地があり、歴史的な建造物や寺社も多いので、暇に任せてその悉くを歩き尽くしました。初めての時はそれなりに楽しく興味を持てた所も、二度三度となると飽きてくるのも事実です。そして我が家から近い場所だけでは物足りないので、交通機関を利用して出掛けることになります。すると時間がかかったり食事の都合が起こったり、暑さ寒さにつけ様々な面倒なこともあったりします。その中で唯一飽きないで歩きやすい場所が東山動植物園でした。この一年ほどの間に十数回は通ったと思います。歩くのは専ら植物園の方なのですが、正門から入ると動物園を通って植物園へ行くことになるので、否応なく道筋にある幾つかの動物舎を見て歩くことになります。その中でも「ヤブイヌ」君は最も面会回数の多い動物なのです。 最初に会ったのは数年前で、そのヤブイヌは雌で老齢と病気のため亡くなってしまい、現在の子は若い男の子です。彼は大概の場合、せわしなく歩き回っています。一定のコースをとるためその足跡が砂地に細い道になって残っています。絶えず子犬のような可愛い鼻声で鳴いています。舎屋の全面の金網に沿って右に左に行ったり来たりしますが、その様子は一心不乱と形容したくなります。しかし、良く観察すると彼の目は虚ろです。何かを見たり感じたりしているという風ではありません。私は何度か声を掛けたり手を振ったりして反応を見ようと思いましたが、全くの無反応で、期待は常に裏切られています。こういう行動と様子は他の動物にも数多く見られます。熊や豹やチーターなど、狭い獣舎で飼育されている動物に共通していると思います。動物心理学的に言うと拘禁性抑鬱反応とでも言えば良いのでしょうか、無意識に無意味な行為を続けているようで哀れでなりません。出来ることなら彼らの本音と悩みを聞きたいものです。これは開放的な広い場所で飼育されている動物、象・ライオンなどにはあまり見られません。 それともう一つ動物園で感じることは、人気の有るものと無いものとの扱いが露骨だということです。人気の動物には愛称が付けられ、生まれた赤ちゃんは名前が公募されたりします。有料ですが「おやつ」をやることも出来るようです。食事時間の表示もあって、その気があれば猛獣の昼食を見学することも出来るようです。 でも、残念ながら我が「ヤブイヌ」君には他の多くの人気薄の仲間同様特別扱いはありません。無論、私の知らないところでいろいろな配慮や工夫がされているのだろうとは思います。珍しい動物ではあっても特に可愛い訳でもなく、これといって良く知られた特徴がある訳でもないので、仕方の無いことだとは思いますが、ヤブイヌファンとしては残念でなりません。 先日、もう少しヤブイヌのことを調べたいと思い、事前に電話の問い合わせをして東山動物園へ出掛けました。応答してくださったのは図書室カウンターの年配の職員の方でした。教えられた動物会館の図書室で二冊の参考書(平凡社 動物百科・データーハウス 野性犬の百科 今泉忠明)を借りて筆記していると、ご親切にコピーを取ってくださいました。その文書はかなり以前の出版で、余り目新しい情報は得られませんでした。つまりヤブイヌの研究者は少なく、記事も1ページほどしかないのです。「寿命も不明」とある位です。 ただ、一つだけ面白いことを発見しました。それは一度聞いたのに忘れていたことなのですが、ヤブイヌが「後ろ向きに走る」と言うことです。その記事は(アニマ 1989年3号)からの引用らしいのですが、「東山動物園の外部一也氏によれば」として「捕獲用の網を持ってヤブイヌの檻に入るとこちらを向いたままバックで走るという。その速度は前向きの時と変わらないほどで、ヤブイヌはそのまま走り去るという。向きを変える余裕のない巣穴生活への適応だろうという」とあり、「もちろんこの走法は、森林でジャガーなどに出会ったとき、きわめて有効なはずだ。水辺を好み、泳ぎ、潜水が得意で、趾の間には蹼(ミズカキ)状の皮膚がある。ダックスフントのような短い四肢と長い胴で、カワウソのように泳いだり潜水したりする。飼育下で人間に慣れたものは投げた棒切れだけでなく、小石まで拾ってくるようになる」(以下省略)と続きます。更に詳しいことはこのHP「やぶいぬ王国」の「やぶいぬ? 日本一詳しいかもしれないヤブイヌガイド」を読んでください。 さてさて、私は日本一ヤブイヌの好きな人間の一人かも知れません。好きでなければこの通信も書きません。つい最近、朝日新聞の「今さら聞けない」欄で犬の起源として「イヌとオオカミのDNAがほとんど同じとわかった。両者は同種である」と書いてあり「祖先は東アジアのチュウゴクオオカミで家畜化されたのは2万から1万5千年前」などとあったのですが、ヤブイヌのことには一言も触れられていませんでした。さすがの朝日新聞もヤブイヌのことはご存知なかったのでしょうか。ヤブイヌがもっとも原始的なイヌという定説を、私は信じているのですが。 では、また。 |
「最近この世に流行るもの」・・・と言いたくなるのが、イジメと自殺と謝罪会見です。新聞もテレビも一斉に取り上げています。様々な状況や理由があって、一つ一つが異なる事件の筈なのに、記者会見で当事者が言い訳をしたり責任回避をしたり、あげくは皆同じように決まり文句で謝罪すると言うワンパターンの繰り返しです。そして、この問題について識者とよばれる人の意見を聞くと、教職員の質の低下とか教育行政、特に教育委員会や官僚の無責任体制が指弾され、家庭の躾けの不在が言われるようです。 確かにごもっともです。「識者」のおっしゃる通りでしょう。しかし、そんな上っ面のことだけで終わって良いのでしょうか。政府は「教育基準法案」を強行成立させると解決するとでも思っているのでしょうか。いいえ問題の根はもっともっと深く広汎な所にあると考えます。とてつもなく深刻な心の闇とでも言うべきものが、日本中にはびこっていると思います。多くの組織は腐敗し、システムは形骸化し、不正や悪は隠蔽されています。多くの人は理念や哲学を失い、正義感や公正な気持ちを捨て去って恥じないと言わざるを得ません。 敗戦後61年、与えられた民主主義と平和の中で、私たちはいつの間にか人間として最も大切な正しい精神を失ってしまったのではないでしょうか。「愛」という言葉は掃いて捨てるほど見たり聞いたり出来ますが、本当の愛は何処に存在するのでしょうか。 さて、あるドキュメント番組が取り上げた学校の現状を見ていて、とても気になる場面がありました。それは小学校の高学年のクラスで、授業が始まるとすぐ一人の生徒がトイレに行きたいと言い、次々と六、七人が続いて退席し、先生が簡単にこれを許可したことでした。やがて席を離れて暴れ出す者が現れ、これを取り囲んで囃し出す始末、もう授業の出来る状態ではありません。為す術も無く呆然と立ち尽くす若い女性教師、その教師を横目に数人が黒板に落書き、机に伏して寝ている子、紙飛行機が飛び、笑い声や怒鳴り声も飛び交い、信じがたい情景に唖然とするばかりです。これが学級崩壊の現場なのでした。先生の告白と解説者のコメント曰く「トイレを禁じることは体罰と見なされる。暴れる者を掴んで引き戻すのも体罰とされ、父兄からすぐ抗議がくる、教育委員会に通告すると言われる」とのこと。本当のことなんでしょうか。見終わって腹立たしいと言うより悲しくなってしまいました。幸か不幸か私の家には学校に通うような子供はいませんが、こんな子供を持つ親たちはどんな躾けをし、どんな気持ちでいるのでしょうか。 最初に引き合いに出した台詞は、私の大好きなテレビドラマ「必殺仕置き人」の冒頭の決め台詞を真似したものです。仕置き人達のように胸のすくような解決の望めない私は、今日も消化不良と便秘を併発したような不快な気分でいる訳です。 さて、現在の日本と言う国は学級崩壊どころか、社会のありとあらゆる部分で腐敗と誤魔化しと恥知らずが横行していませんか?このままでは絶対に学級崩壊程度では終わらないと思います。映画やドラマではなく、日本崩壊が現実のものになりそうですね。それもそんなに遠くはない時期にやって来そうな予感がします。こんな予感は外れて欲しいものですね。 では、また。 |
二日前は文化の日でした。文化と名の付く様々な行事が行われました。いや、行われたかどうか精査した訳ではありません。多分行われただろうと想像しただけです。それほど沢山の文化が私たちの身のまわりに氾濫しています。逆に言うとこの国では「文化」がことほどさように軽々しく扱われているのかもしれません。 そもそも「文化」って何なんでしょうか。辞書を引いて見ました。「@世の中が開け進んで、生活内容が高まること。A自然に対して学問、芸術、道徳、宗教など、人間の精神の働きによってつくり出されたもの。」とあり、「文化の向上・文化生活・日本文化」などの文例が示されています。その他、文化遺産・文化財・文化人などは一つの項目として掲出されていました。 窓から見える青空と木々の梢の緑をぼんやり眺めながら、文化ということについて考えていると、大概の名詞に文化を付けることが出来ることに気付きました。ということは、人は文化が好きなんでしょうか、文化的であることが良いことだと思っているんでしょうか、これは日本だけなのか世界中そうなのか、少なくとも非文化的であるよりは文化的な方が上等であると思われていることは確かだと思います。何故なら文化人は尊敬の対象ですし、文化勲章なんていうものもありますからね。尤も文化勲章を辞退するへそ曲がりの人も無いではありませんが、私はこういうへそ曲がりは大好きです。中でも固辞する理由を言わない、寡黙な人は心から尊敬してしまいます。 そうです。この逆の勲章を有り難がる人の何と多いことか。そして素晴らしい謙虚のお手本のようなコメント、更に誓う精進。立派ですね。しかし時には叙勲を狙って汚職まがいのことも行われるとか。やれやれ、文化の世界も大変ですね。 最近目立つ嫌な事の一つに評論家とコメンテーターの無責任で浅薄な発言があります。特にどんな問題でもまるでその道の専門家のように発言し断定して憚らない何でも屋さんがいます。長くこれを続けているある有名人物のコメントを分析してみると、その起承転結には一定のパターンがあって、その時々の固有名詞や事件や問題などを置き換えると全部同じだと言うことが判りました。これはなかなか頭の良いやり方ですが、内容は詰まらないですね。尤もそれはその人物、と言うよりはそれを起用しているテレビ局や新聞社の方針に問題があると言った方が正確かも知れません。いずれにしてもこういう文化の担い手達に依って、文化らしきもの文化的な雰囲気が喧伝されているのは確かです。ただそれだけではなく、それを利用したり利益を得たりする動きがあるのも、残念ながら事実です。「世の中が進んで生活が高まる」という定義を思い返すと、果たして本当に内容は高まっているのでしょうか、最近のニュースが伝える凶悪犯罪や不祥事の数々、自己本位で恥知らずな言動やマナーも氾濫していませんか。 斯くして私の「文化の日」とその前後の数日は公園と緑地の散歩と木陰のベンチでのビールとサンドイッチの昼食で過ぎました。ビールは本当に美味しかった。サンドイッチも旨かった。でも、これはあんまり文化的とは思えませんね。 では、また。 |
数ヶ月前、朝日新聞の「折々のうた」を目にして強い衝撃を受けました。突然匕首を突きつけられたように感じたのです。メモ帳に書き留めて時折読み直しては「凄いなあ」と感心していました。その短歌は小池光さんという方の作品で、 「人間ができるまで 十七年か七十年かは 人によりけり」 というものです。その率直な用語と作歌法は単純明快誠に見事で、参りましたと言うしかありません。私は私自身の経験と実感から、人間の感性の最も鋭い時期は十代の後半だと思っていましたが、人間の出来上がり方としてこういう考え方があるとは夢にも思っていませんでした。私自身が七十歳を越えている今、こう言われてみると内心忸怩たる思いで思わず顔を伏せざるを得ません。 あらためて「人間ができる」とはどういう状態を言うのか、考えさせられました。と言うのもここ何ヶ月かの間、自分がかなりボケて来たのではないかと本気で心配に成っていたからです。記憶力の著しい減退、ちょっとした立居振る舞いのぎこちない動き、根気の無さや浅い睡眠など、否応なく心身の衰えを自覚させられていたのです。つまり自分自身の終末の近いことも実感していた訳です。にもかかわらず人間としては全く未熟なままで、とても出来上がっているとは言えません。しかし、本当に出来上がることなんて、誰にでも出来ることではないのではとも感じるのです。もしかするとこの作者自身もこんな表現を用いて人間の在り方を揶揄し自嘲しているのかも知れないと納得したい気持ちです。 さて徒に歳だけ取ることを馬齢を重ねると言いますが、これは馬に失礼でしょう。こんなことを取り留めもなくぼんやり考えながら朝日新聞の切り抜きを見ていたら、天声人語に亡くなった指揮者の岩城宏之の言葉として「いまだに大人になることを拒否し続けている」「自分ではいまでも大きくなったら何になろうかと思っているようなところがある」とあるのを読みました。70歳を過ぎて「大きくなったら何になろうかと思う」気持ちの瑞々しさには感嘆の念を禁じ得ません。私が愕然としたのは私が自分の終末の方へしか向いていなかったと言うことです。これから何になろうかなんて考えたことはありません。もうそれだけで完全に負けですね。 また、岩城宏之さんは私と同じ12歳の時敗戦を体験し、大人たちへの強い反発を抱いたのだそうです。このことを読んではっと気付いたことがあります。それは私の反体制精神は、この感性豊かな少年時代の同じ経験から生まれ培われたのではないかという思いです。しかし、それから60年経った現在の自分はなんたることか、ただの爺むさい年寄りでしか無いのです。もしこのまま人間として出来損ないのまま終わってしまったらと思うと、少なからず焦らずにはおられません。今からでも一人前の人間に近づけるように努めたいと思います。ただ、最近は目も悪くて何かと投げ遣りな気分なのです。 そこで思い立ったのが「目に合う眼鏡」の調整です。眼鏡士に様々な検査をしてもらって、2種類の眼鏡を作りました。これで新聞や本をしっかり読み、怠けず文章を書こうと思ったのです。かくして、8ヶ月ぶりのこの「あまのじゃく通信」を書いたという訳です。少しは人間に成れるでしょうか。 では、また。 |
前回、俳句同人誌を探したがどれもレベルが高すぎて、私の身の丈に合うものが見つからなかったことを書きました。各誌とも同人の推薦が必要だったりするようで、そういう仲間や知人を持たない私にはちょっと敷居が高く思われたのです。 そこで新聞の広告で見た「俳句入門講座」の資料請求をして取り寄せてみました。そこには俳句の世界がどんなに素晴らしいか、その講座を受ければどんなに早く上達するか、体験者の賛辞と感想が溢れ返っていて、この資料を見ただけで忽ち俳句名人になれると錯覚しそうでした。しかし、冷静に考えてみるとそんな魔法のようなことが起こるはずも無いし、更に特別な記念サービスの恩典を挙げて申込みの締め切りを急かせる文句を読んでいるうちに、持ち前の「天の邪鬼」精神がむらむらと頭を擡げてしまいました。結局、この講座も私には無理だと思わざるを得ませんでした。 では、どうするか、私の結論は独学しか無いなと言うことになりました。ただ、独学というのは決して楽ではないと思います。まして私のような才能に恵まれない者が、分不相応な願いを実現するのは至難の業であろうと思います。特に独学というのは、批評や添削などの指導が受けられないだけに井の中の蛙に陥る懸念が拭えません。それではどうすれば良いか、思いついたのは公募している所への投稿です。新聞や雑誌などの俳句欄とか、NHK俳壇などが思い浮かびます。 早速いろいろ探してみました。ところがこれがなかなかレベルが高そうで、とても挑戦出来そうもないのです。採用されている句も見事ですが、選者の批評や解説の深さは、云われてみて初めて理解できると言った感じで、到底私には及ばない世界だと絶望的になってしまいました。 斯くして私のささやかな望みは儚く消えそうになっています。そこで思い直してもう一度俳句に関係のある本を読んでみようと思い立ちました。近くの大型書店に出掛けて探しましたが、なかなか適当なものが見つかりません。俳句関係のコーナーを全て見終えて、他の書棚を見回しながらふと手にしたのが、我が敬愛する五木寛之さんの「人生の目的」で、読むともなくぱらぱら頁をめくっていたら「俳句」と言う文字が目に飛び込んで来ました。意識が俳句に集中していたからでしょうか、不思議なことにまるで天の啓示のようにその一節が心に刺さったのです。それはアウシュヴィッツの強制収容所から奇跡的に生還した人の記録「夜と霧」について書かれた文章の中で、人間の生きていく力について、「強い意志、真の信仰心、希望」の持続と同時に「生活の片隅の小さなこと」を大切にすることが大事な要件であると云われ「つまり、生活のディテールを愛することがいかに大事かと言うことです」と述べておられたのです。そしてその具体的な例として俳句や絵画、音楽などの趣味が大きな力になると書いておられました。 「そうか、もう一度俳句をやろうと言う私の決心は実は大事な事だったんだ」と私は久しぶりに心が豊かになった気分で、一種の高揚感に浸ったのでした。そして気付いたのは、同人誌とか投稿とかの前に、先ず真面目に生活し、真剣に自然や生活を観察し、集中して句を作り続けよう、と言うことでした。 では、また。 |
今日は春分の日です。寒波続きの近頃ですが、今日は少し暖かで穏やかな感じです。先日、地元の図書館へ出掛けました。何のために行ったかと言うと、地元の俳句同人誌を調べたかったのです。更に言うと自分に適した同人があって入れて貰えるならば、俳句を学びたいと思ったからです。でも、何か敷居が高い感じで見つかりませんでした。 私が俳句を知ったのは14歳、旧制中学2年生の頃、国語の教科書で芭蕉の俳句を詠んだ時だったと思います。それは少年の私には何とも不思議な句でした。「行く春や 鳥啼き 魚の目は涙」と言う句です。授業の中で先生がしてくれたであろう解釈を私は全く覚えてはいません。記憶に僅かに残っているのは非常にシュールな感覚の断片です。と言うのはその時のもう一つの句は「古池や 蛙とびこむ 水の音」だったと思うのですが、この平凡過ぎるほど平凡な墨絵のような風景と対比して「魚の目は涙」と言う下五の句は理解しがたい非現実的な描写に感じられたのだろうと思います。だろうと思うのは、今思い返してみてそうでは無かったかなと思うということで、はっきりした自覚や記憶がある訳ではありません。なにしろ半世紀近くも前のことです。 さて、その後俳句に接したのは文芸部に親友とともに入部してからのことです。月例句会と言うのがあって、出席すると否応なく句を作らなければならない訳です。その当時自分がどんな句を作ったか、記憶は定かではありません。多分記憶から消してしまいたいほど幼稚な句だったのだろうと思います。 その後「奥の細道」を読んで「蚤虱 馬の尿する まくらもと」 「ひとつ家に 遊女も寝たり 萩と月」などに強く触発された所為もあって、少しずつ俳句の世界に興味を持ったのでした。同人誌は約10年余り続き、私の句作も20代後半まで続けましたが、故郷を離れて就職したり結婚したりで、平凡な日常や仕事に紛れてだんだん離れてしまったのでした。時折思い出したように句帳を取り出してみたりすることはありましたが、日常の観察を怠け感性を磨いていなかった悲しさ、半端なものしか出来ないまま詩心もいつしか忘却の彼方へと消えてしまっていたのです。 最近、日本語の乱れが言われ、間違った言葉の乱用や奇妙な新語が横行しています。若者の乱雑で下品としか言いようのない言葉遣いに、何時の間にか大人たちが迎合しているような傾向もあります。言葉は世相やその時代の表現であると思うので、あながち全否定するつもりはありませんが、あまりにも酷い醜悪な言葉は精神の頻廃や人間の優しさを失わせるようで悲しくなります。また、反面一方では「美辞麗句」の偽善性や不実も気になる所です。最近の数々の不祥事や事件と、当事者の弁明や謝罪を聞いていると、言葉が軽々しくて虚しくて、人間や社会全体が信じられなくなってきます。こんな風に悲観的になるのは自分が弱いからなのでしょうか。でも、希望は持ちたいものだと思います。 十七文字の「世界で一番短い詩」は言葉の少なさ故に、その一語一句が選りすぐられ、その意味が大切にされている美しく繊細な、そして人間の優しさや強さの究極の表現世界だと思います。これからもう一度初心に返って俳句の世界を探してみたいと思います。何処かにこんな私を受け入れて下さる俳句同人は無いものでしょうか。 では、また。 |
新しい年が明けました。どんな年になるのでしょうか。良い年であって欲しいものですが、果たしてどうなりますか。大寒波と50年振りの豪雪に見舞われているのは日本だけでは無いようです。地球規模の異常気象が世界中で起こっています。地球の温暖化とその危険性が警告されて久しいのですが、自然は人間の愚かな智慧や行動を嘲笑うかのように厳しい気象現象を突きつけています。地震や津波、大雨と洪水などがあるかと思えば、別の地域では高温や乾燥が続き農産物や牧畜に影響があるとか、人間がどんなに技術革新を誇っても気象や地震などには無抵抗です。自然は決して人に優しいだけではありません。 さて、昨日は「成人の日」でした。ひところの荒れる成人式は少し収まったようですが、ニュースを見ているとやはり全く無くなった訳ではなく、騒ぎを起こす若者はいたようです。成人とは文字通り「人に成る」ということの筈ですが、幼稚で「人でなし」な行為を繰り返す若者は後を絶ちません。「一人一人はそんなに悪い子では無いんですが」と言うコメンテーターの解説を聞きながら、ふと疑問に思ったことがあります。それは騒ぎを起こしているのは確かに一部のグループなのですが、大多数の出席者たちはただ傍観しているだけで何故か止めようとはしていません。醒めていると言うか、危険なことや面倒なことに巻き込まれたくないといった感じなのです。そしてそれはその若者たちだけでは無く、今の日本では大人も含めて何処にでもある風景なのだと言うことに私は気が付いたのです。悪い子も良い子も、若者も大人も、自分だけ良ければ良いと言う風潮が多すぎると思われてなりません。 そしてもう一つ、「とにかくメダカは群れたがる」と言いますが、何をするにも皆と一緒に同じようにしようとする傾向が強いと思うのです。個性の尊重とか個性を伸ばせとか言われる時代なのに、自分自身の考え方や判断よりも周囲との調和の方を優先する、右を見て左を見て同じように生きて行くのが無難だと思っている人が多いのではありませんか。「和を以て貴しとなす」とは聖徳太子の教えですが、ここで言う「和」は現在安易に使われている「なあなあ的」な事勿れ主義とは全く違うものだと思います。本来は「和して同ぜず」が真意だと思うのですが、間違っているでしょうか。 先の衆議院議員選挙の結果には驚かされました。国民が本当に望む問題から逸らした争点と劇場型の演出とに踊らされて、思考喪失した結果としか思えない大差の勝敗でした。勝った与党も誉められませんが、負けた野党の「日本をあきらめない」と言うマイナスイメージとしか思われないキャッチフレーズが暗示した情けなさは何とも象徴的でした。 異常気象だけではなく、異常な社会現象や犯罪が次々と続発しています。暗雲立ち込めるこの世界に果たして光は射して来るのでしょうか。その光を見たいと思いますが、見えるでしょうか? 大きな変化を実は望まないと言う国民性からして、この国では革命的な変化や劇的な進歩は望みうべくもありません。 今年はどんな風が吹き、何が観えてくるのでしょうか、貴方には光が見えますか? では、また。 |
あと十日で今年も暮れます。大変な一年だったと思います。世界も、日本も、そして私自身も。カレンダはめくればそれで新しくなりますが、私にはとてもそんな風には出来ません。例年以上に後遺症が後を引きそうです。消しゴムで消しても消してもざらざらと消し跡が残って落ち着かない、火傷の後のケロイドが何時までも痛むような感じなのです。我ながらいい年をして情けない、悟り切れない、相変わらず溜め息の連続です。 さて、「今年の漢字」は「愛」だそうです。私には些か意外な感じでした。私はむしろ「狂」とか「乱」とか「腐」とか「怒」が相応しいと思ったのですが、多分そんなものを全て振り払って「愛」のある世界を希求したいと言う願望なのでしょう。そうあるべきだと思います。じっくり落ち着いて考えれば、確かにそうですね。 清水寺の管長さんの見事な大文字の書を見ていると、心が洗われる思いです。あんな立派な字が書けると良いなと思います。昔、「書は人なり」と教えられたことがあります。しかし考えてみると字を書くことが極端に少なくなって仕舞いました。無いものねだりでしょうか、下手な上に書かなくなっては救いようがありませんね。 来年のことを言うと笑われそうですが、来年は一念発起して写経でもしてみたいと思いました。実はもう何年もそう思っているのです。でもあれこれ言い訳をして、出来ない理由を正当化しています。曰く「硯や筆が何処にしまってあるか判らない」「足が痛くて正座が出来ない」「どのお手本が良いのか」「本当におまえは字を書きたいのか」などなど。 お手本と言えばすぐ連想するのは般若心経です。最近、柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」を手元に置き折に触れて読んでいます。今までに読んだ般若心経の解釈のなかでは一番理解出来るものです。ただ、その文章が理解できると言うことと、本当にその神髄が理解できたり実践できると言うこととは全く別のことだと思い知らされました。 私達は、いや私には雑念が多すぎて、あまりにも囚われるものがあり過ぎて、頭では判ったような気がしていても、到底真の理解に達することは出来ません。やはり凡人は凡人なりに、身の丈相応に生きていくしか無いと思います。 毎日の日課の散歩でお寺に立ち寄ることがあります。最近の経験では無人の所が多くて、荒れた感じのものばかりです。あまりお参りする人も無いようで、ごくたまに老婦人に出会ったりするとほっとします。先方さんも同じような気持ちと見えて、気候の挨拶や軽い世間話を交わしたりすると何だか嬉しくなったりもします。 古びた本堂の扉の隙間から及び腰で中を覗いて御本尊を探したりしていると、暗い空間に僅かに金色の光るものが見えたり、射し込む明かりの中に赤い布のようなものが浮かんでいたりして、とても不思議な神秘的な思いに駆られます。それは般若心経の解釈の入り口であれこれ悩んだり迷ったりしている及び腰の自分の姿と同じなのかも知れません。 でも、何も見えなかったとしえも、やはり見ようとする努力だけはしなければと思っています。それが私なりの「愛」なのかも知れないと、自分に言い聞かせて、今年最後の「あまのじゃく通信」を終わります。 愛をこめて、では、また来年。 |
さて前回、家を買って下さいと書きましたら「もう少し詳しく建坪とか庭の面積とか、何より値段とか、そういうことを書かなくては駄目だ」と親切な方からご意見を頂きました。そこでいろいろ考えて書こうとしたのですが、これが大変難しいのです。先ず第一に「価格」なんて客観的にこれが正しい価格と言うようなものがあるのかどうか、私にはよく判りません。自分が買い物をする時のことを考えてみると、その品物に払う金額が自分の価値観に合うかどうか、そしてそれだけの支払い能力があるかどうかで決めていると思うのです。と言うことは、私にとっては願ってもない素晴らしい環境だった筈の山の自然は、ある人にとっては淋しくて不便でどうしようもない土地と言うことはも知れません。また、私にとって適当な価格と思われる金額は、価値観の違う人から見ればとんでもない金額ということになるのでしょう。だからと言ってそれを無視していい加減なことを言っていても始まらないので、出来るだけ事実だけを述べてご理解を頂くしかないと思いますので、以下にデータを書き出してみました。宜しくお願いします。 ☆所在地 三重県伊勢市上野町(標高約480m・伊勢神宮内宮の南で神宮林に隣接。 鷲嶺頂上528mまで徒歩15分の場所) ☆地目 山林、周辺は分譲地雑木林 ☆環境 別荘分譲地、県道に隣接する舗装道路完備、簡易水道、 現況別荘:山麓90戸・山頂付近40戸、永住者:山麓10戸前後・山頂付近なし、 管理会社あり、出入口ゲートあり(8時開門、17時閉門)ゲートより車で約13分。 ☆気候 気象台発表の気温より4℃〜5℃低い、積雪は年に2,3回程度。 夏期の冷房不要、冬期の暖房は必要。 ☆敷地面積 529u(約160坪)緩傾斜地。 ☆家屋 木造平屋建て2LDK(建坪24坪・ロフト3坪)和室6畳。 ソーラーシステムにより夏季はお湯取り、冬季は床暖房、 ガラス障子は全てペアガラス。雨戸付き。 ☆付属建物ほか 車庫・物置・ブロック塀・庭は1,5mのフェンス囲い。合併浄化槽。 ☆その他 直近のスーパーまで家から車で20分、伊勢市内中心部まで30分、 伊勢自動車道玉城インターまで25分、五ヶ所湾まで25分。 野性の鹿・猿・猪・狸・兎・リスなど多数、庭にも自生の笹ユリなど山野草多数。 ☆最寄交通機関 近鉄宇治山田駅(25分)・三重交通バス停開平橋(15分) ★希望価格 1.600万円(取得価格の約45%)応相談。 ※見学ご希望の節は打ち合わせの上、現地をご案内いたします。 こちらまでメールでご連絡ください。メールの件名は変えずにお願い致します。 |
伊勢の山に別れを告げ、名古屋に移り住んで早くも半年余りになりました。地方とは言え、名古屋市と言う大都会の暮らしにもようやく慣れてきたところです。まだ馴染むという所までは行きません。落ち着くに従い、何かにつけて思い出されるのは6年6ヶ月の山での濃密な生活と経験です。懐かしく楽しい思いがこみ上げて尽きないのです。夢の中で庭の「笹百合」が咲きました。四十雀や鹿の鳴き声も聞きました。私の愛した狸一族にも逢いました。私達が名づけて呼んでいた狸の「しろちゃん」や「くろちゃん」に呼び掛ける自分の声で夢から醒めたこともあります。真夜中に寝床のなかであれやこれやととりとめもなく思い出していると、最後は深い溜め息の連続です。でも溜め息が良くないとは思いません。何かじわっと幸せを噛みしめるような感覚の溜め息なのです。 さて、先日ある機会に恵まれて、敬愛する作家の五木寛之さんの講演を聞かせて頂きました。五木さんは私より一つ年上で早生まれの私とは同学年、同世代なのです。従って物の感じ方考え方に共感する所が多かったのですが、その講演はさすが一流の作家だと感心させられました。お話はそのまま文章にして一点の誤りも無いと言えるような見事なものでした。その中で大変共感できた話しの一つに「溜め息」の効用がありました。人間の性格や値打ちを判断するのに「明るい」か「暗い」かで決めつける最近の風潮に触れて、暗いことは決して悪いことでは無いと主張され、人間には生きていく上で苦しいことや悲しいことが沢山あり、辛さに耐えて生きていくには素直な感性が必要で、悲しい時は悲しむ、辛い時には溜め息をつきなさいと語られたのでした。 最近のお笑いブームでTVの娯楽番組は何が何でも面白ければ良いとばかり、中には眉をひそめたくなるものも多く、見る気がしません。底の浅い馬鹿笑いには真の楽しさも無いと私は思っています。従って人生の最終ラウンドに差しかかっている私が、夢から醒めて深い溜め息をつくのは、当たり前の事なんだと勇気づけられたのでした。 つい最近、親しくして頂いている数少ない知人の御夫婦と素敵な喫茶店でお茶を飲んで歓談する機会がありました。「お元気でしたか?」と聞かれ「ええ、とても元気ですよ」と答えはしたものの、元気とは言ってもその元気の基準は当然のことながら、年齢と持病の割には元気で、日常の生活や行動が自分自身で出来るという程度のことで、これ位のことで良しとせざるを得ないのが正直な所なのです。ちなみに年齢は72才と8ヶ月、持病は糖尿と高血圧で、何時倒れても不思議ではない状態なのです。 こんな状況の中でも、私には私なりに護るべき家内との大切な生活があり、心配無用と言われても気に懸かる中年の息子や娘たちがいます。年金生活の覚束ない未来には、経済的な重圧は決して軽いものではあり得ません。終生住むつもりでなけなしの貯金をはたいて建てた山の家は、目の不具合で車の運転に支障が起きて手放さざるを得ないと言う残念な状況となってしまったのです。どなたか私の伊勢の山の住居を買って下さい。自然に同化して生活し風と緑と野生の生き物たちと山野草を満喫したい方、こう言う価値観の持ち主にお勧め出来ます。詳しくは私の「伊勢たぬき通信」(全93編)をどうぞ。宜しくお願いします。 では、また。 |
9.11総選挙が終わりました。「小泉劇場」とか「マドンナ」とか「刺客」とか「落下傘候補」とかマスコミの劇画風のふざけた報道が過熱するなか、その結果は「サプライズ」だそうです。たしかに誰もが予想出来なかった現政権の圧倒的な大勝でした。こんな田舎芝居に酔った拍手喝采の雪崩現象みたいな結果で本当に良かったのでしょうか。日本はこれで大丈夫なのでしょうか。なにか底知れない不安を感じるのは私だけでしょうか。 体制に反発する少数派の私としては、国民の総意と言われるものが本当に本当なの?と俄には信じられない思いです。議会の三分の二を占めた与党は理論上どんな法律もどんな政策も思うように実現可能な条件が整った訳で、これを白紙委任した有権者はこの後どうやってその責任を取ることが出来るのでしょうか。私が最も懸念するのは民主主義の本質が多数決であると言うことです。極論すれば多数が正義で少数は正義ではあり得ないと言うことです。本当にそうなのですか? この数日「勝ち組」とそれを持ち上げる人々の「これが民意だ」と言う発言が目立ちます。確かに投票の集計結果を見ればそう言わざるを得ません。が、しかし、本当にそうなのですか?今朝の新聞の投書欄に「信託したのは郵政だけ」と言う趣旨のものがありました。多分この辺りが大部分の人の真意だったのではと思われてなりません。何か迂闊にも嵌められてしまったと感じる人が多いのではないでしょうか。こんな考え方は穿ち過ぎでしょうか?ひねくれ過ぎていますか? 小泉総理が旧来の政治家では無いことは確かです。しかし、その周辺の取り巻きたちは本当に新しい改革派の政治家なのですか?ほんの少し前まで旧来の古い政治手法で自己保身に身をやつしていた人なのではありませんか? 烏合の衆と揶揄したくなるような人たちの集まりでは無かったのですか?そしてこの人々に担がれて満面の笑みを振り撒いている小泉総理は、投票した有権者の付託に本当に応えられるのですか?残念ながら私には信じられません。何故なら今回の郵政族排除のやり方を、道路族や厚生族やその他の族議員にも全て適用出来るとは思えないからです。そんなことを徹底的にやればかなりの議員が姿を消すことになるでしょう。それでは今回の大勝も泡のように消えてしまうでしょう。郵政の民営化で全てが解決するかのような言辞は幼稚なレトリックに過ぎないと思います。みんな少し頭を冷やせといいたいですね。冷静に真剣に考え行動したいものです。 さて、今朝は涼しい爽やかな空気でした。気のせいか窓の外の小鳥たちの囀りに透明感がありました。やっと秋の気配が感じられました。暑い夏と熱い喧騒が終わって、早く清明で堅実な日常が戻ってほしいと思います。 「これでいいのだ」とバカボンパパのように自信満々な肯定的な生き方をしたいものですね。評論家の桜井よし子さんのお母さんは「何があっても大丈夫」が口癖だったそうです。あんまり悲観的にならない方が良いのでしょうね。 今朝の風は本当に気持ちの良いそよ風でした。本当に良い明日が来ると信じて行きましょう。 では、また。 |
また今年も暑い8月がやって来ました。8月6日のヒロシマ原爆忌・9日ナガサキ原爆忌・そして15日敗戦記念日、記憶の消しようの無い日々の連続です。 60年前の私は12才の少年でした。疎開先の広島県の旧制中学一年生で、軍需工場の敷地建設の勤労奉仕に駆り出される毎日を送っていました。今になって思えば、全く意味の無い虚しい作業に従事させられていたのでした。私は15日に戦争が終わったことは知りませんでした。知ったのは翌日です。天皇の玉音放送と言われるものは、ラジオの雑音が酷くて全く聞き取れず、勤労奉仕の監督をしていた退役軍人は「陛下が苦しくても頑張るように激励されたのだ」と大声で訓示をしました。私は直立不動の姿勢でそれを聞き、額や頬を汗が止めどなく流れていたのを記憶しています。そしてもっと真剣に頑張らなくてはと素直に思ったのです。その先に夢見ていたのは少年航空兵でした。そして国のために命を捧げる、大空の華と散るのが理想だったのです。 翌日敗戦と言う本当のことが判って、家庭でも学校でも大混乱が起こりました。今でもその時の衝撃が脳裏を離れません。原爆がそうであったように、一瞬に目の眩むような閃光と衝撃が身体中を貫きました。その時12才の軍国少年は、ありとあらゆる価値観や人生観を失ったのでした。 ヒロシマの原爆では18才の叔父が死にました。義勇兵として招集され広島市に集結したその翌日に被爆したのです。遺品は焼け焦げて灰になったベルトのかけらと溶けかかった真鍮のバックルだけでした。死ぬために行ったとしか思えません。祖母は三日間遺品を膝にしたまま仏間から出て来ませんでした。 この夏さまざまな追悼行事が催され、不戦や平和への祈りと誓いが行われました。本当でしょうか?本当に人間は人間を信じられるのでしょうか。現在の世界は決してそうとは思えません。内戦やテロが絶えることはありません。宗教の対立から、利益の奪い合いから、意見や立場の違いから、人は人と争い、戦い、殺し合います。私は本当は人間は争いや殺し合いが好きなんではないかと思うことがあります。人類の歴史が始まってからずっと戦争が絶えたことがありません。平和は決して長続きしないのです。こんな絶望的な考えが良くないことは明らかですが、そう思わざるを得ない現実が有ることも事実です。地球の温暖化が言われて久しいのですが、今年の夏は特に暑かったように感じられます。おまけに拉致問題や中国や韓国の反日、世界的な異常気象、総選挙を巡る様々な主張と反論、街頭演説、街宣車など、暑い夏は益々暑くなっていきます。 クールビズや打ち水くらいではとうてい涼しくなりそうも無い厳しい現実があります。しかし一方では相も変わらないごく平凡な日常にかまけている自分の惰性的な生活も事実なのです。もうこの年になってなんにも出来ないという無力感が一層暑さを増幅させているのかも知れません。 たまたま今朝92才の女性が布の貼り絵作家として紹介されていました。その生き生きとした感性と鮮やかで美しい作品に目を奪われました。到底92才とは思われない若々しい表情と言葉に感動しました。情熱の凄さに圧倒させられました。暑さに参っていては申し訳ありませんね。あと20年頑張らなくては。 では、また。 |
その女の子は泣きじゃくりながら若い母親の後を追っていました。随分長い間泣き叫んだと見えて、泣き声は掠れ息が苦しそうでした。母親は振り返りもしないで歩き続けています。ふと気づいたのは女の子の履いている黄色い長靴でした。少し大き過ぎてぶかぶかです。その靴音が大きく通路に反響して痛々しく聞こえました。雨の日ではありません。外はかんかん照りの夏日でした。 若い母親です。子供は2,3才でしょうか、何かおねだりをしていたように見えました。立ち止まった母親が「ダメ!」と怖い顔で叱り、縋りつく小さな手を払いのけて歩み去り、泣き声は一段と高くなります。その繰り返しが延々と続いていたようです。 そこは大手スーパーの広い売り場の通路なのです。家内の買い物に付き合って散歩がてらやって来て、汗ばんだ肌にエアコンの涼しい風が心地よくほっと一息ついた所でした。そんな良い気分が一瞬に凍りついてしまったのです。思わず立ち止まって見つめる私達の前を母と子は通り過ぎ、泣き声も遠ざかって行きました。 コーナーのベンチに座って、家内と遣り切れない思いに沈んでいると溜め息が出ました。その私達の前を対照的に幸せそうな母と子が手をつないで通り過ぎました。子供が何かを尋ねて、母親が歌うように答えている会話の断片が聞こえました。 「同じような親子でも相当な違いだね」「あの子はどんな育ち方をするのか気になりますね」「可哀相になあ」こんな会話をしていると、またあの泣き声が聞こえて来ました。いや、もう泣き声とは言えない掠れた悲鳴のようになっていました。 どんな事情があるかは知りません。他人が容喙する筋合いでも無いとは思いますが、何とも言いようの無い怒りと無力感に打ちひしがれました。この子はどうあってもこの親に縋って生きて行くしか無いのです。自力で生きられるようになるまでに、この子が無事に素直な良い子に育つ可能性はあるのでしょうか。周辺に適切な手を差し伸べてくれる誰かが居るのでしょうか。してはいけない連想ですが、母親の育児放棄や子殺し、少年少女の殺傷事件など、最近の殺伐たるニュースを想起しない訳にはいきませんでした。考え過ぎなのでしょうか、私は自分のことには楽観的になれるのですが、最近の世情は全く不毛の絶望的な世界としか思えません。 さて、あれからもう数週間が経ちましたが、何かにつけてこの事が気になって仕方ありません。あの子は無事に暮らしているのでしょうか、あのお母さんは優しい気持ちを取り戻しているでしょうか、あの子の宙をさまよっていた手は温かい手に包まれたでしょうか。 そんな思いでいると、様々な記憶の映像がちらつきます。その多くは戦争と深く関わっているのですが、今の日本は少々きな臭い風潮はあるものの平和でこの上なく良い条件と環境に恵まれているはずなのに、一体どういう訳なのでしょうか。 「世界の中心で愛を叫ぶ」と言うのが一時流行ったような気がしますが、そんな大袈裟なものではなくて結構ですから「世間の片隅で小さな愛を育む」ことを流行らせたいものですね。 では、また。 |
私は日本蕎麦が好きで、美味しいそば屋さんを探しては遠くまで出掛けることもしばしばです。初めての店では必ず「かけ」と「もり」か「ざる」を食べます。蕎麦以外に個性の強い具の無いものが好きなんです。その上で自分の好みに合った良い店には暫く通うことになります。県外でも、片道数時間かかる遠距離でも厭いません。それは味だけでは無く店の雰囲気や接客のさりげない態度や言葉も御馳走だと思うからです。 ここ名古屋に来てからも、転入や住所変更の手続きなどで出掛ける度に美味しい店を探しました。しかし、有名店が必ずしも美味しいとは限りませんし、評判店の雰囲気が楽しいとも言えません。むしろ期待して行くだけに裏切られることの方が多いようです。むしろ行き当たりばったりに入った店が思いの外感じの良い店だったりすると嬉しくなってしまいます。ただ、蕎麦が旨くてその上接客も良いと言う両立しているような店はそうそう見つかるものではありません。 先日二軒の店でとても対照的な経験をしました。どちらも蕎麦は美味しかったのですが、片方は所謂行列の出来る店で、アルバイトとおぼしき若い店員さんが大声を出して忙しく走り回っていました。待つことしばし、注文の品が運ばれて来て「こちらざるになります。こちらかけになります。」これは最近の若者の常套用語で、今更驚くには当たらないのですが、注文した二つのものが一度に出てきた訳です。思わず心の中で「ざるになる所を見せてもらいましょう、かけになる場面を見ようじゃないか」と言う気分になってしまいました。と言うのはもう一軒の店では年配の女性が「どちらを先に致しましょうか」とこちらの希望を聞き、こちらの食べ具合を見計らって次の品が出てきたからです。この店は後に知ったのですが、そば屋仲間がわざわざ食べに行く老舗だとのこと、やはり流石だなと思いましたし、店の雰囲気とか風格と言うものは一朝一夕には生まれないものなのだなと感じ入りました。 感心したと言えば、伊賀上野の名店の主とその店で修業して伊勢に暖簾分けをした弟子のことが思い出されます。簡単に経緯を説明すると、伊勢に住んでいた頃地元の情報誌で知った店が気に入ってちょくちょく通ったのですが、その店の師匠が伊賀上野の超有名店だと聞いて泊まり掛けで食べに行ったのです。評判に違わず満員で漸く席に着けたのはカウンターでした。いつもの「かけ」と「ざる」を食べ終わった時、厨房で忙しく立ち働いていた主人が「混み合って申し訳ありません」と声を掛けてきました。見慣れない顔だと思ったのでしょうか「何方から?」と問われて「伊勢から」と答えると「○○は元気にしてますか?」と言われました。ごく当然のように○○さんの名前が出て、私もごく自然に「ええ」と返事していました。実はこの時私は伊勢の弟子の名前が○○さんと言うことは知らなかったのです。伊勢に戻って暫く経ってその店に行った時お茶を運んで来た若い女性に「おたくのご主人は○○さん?」と聞くと「はい」と言う答え。「実は先日伊賀上野へ行って来ました」と切り出すと「師匠は元気でしたか?」と二人でニコニコしているのです。「ああ!この弟子にしてあの師匠あり」自分達の店と腕と師弟関係に絶対の自信と信頼があると言うことなのですね。この二軒の店では蕎麦は蕎麦のままで、他のものにはならないのです。そういう店を探したいと思います。 では、また。 |
伊勢の山を下りて住みついたのは、名古屋の中心部に近い川風の吹き上げる中層マンションの中階です。眼下に流れているのは矢田川と言って豊田市の辺りから発して庄内川に合流する一級河川です。この地方は日本有数の大河木曽川・長良川・揖斐川など所謂木曽三川をはじめとして多くの河川に恵まれています。河川が運んだ砂が造った広い平野が豊かな農業を育て、この地の発展に寄与したのだと思います。更に工業用水としての役割は大変なものだったろうと想像できます。私は川の近くに住むのは初めてで、広々とした河川敷と土手の続く風景は目新しく見飽きませんし、川原の植物や生物にも興味津々です。 そこで少しこの川のことを知りたいと思い、私の次女にインターネットで調べてもらいました。どの分野にも熱心な研究家がおられるもので、笹倉信行さんの「名古屋川ものがたり」の抜粋が送られて来ました。それに依ると矢田川は庄内川の単なる支流ではなく、嘗てはなかなかの暴れ川であったとのこと、名古屋台地の形成に大きな役割を果たしたそうです。今は水量も少なく穏やかでゆるやかな流れで、その指摘を意外に感じたのですが、この辺りに今も残る多くの地名を挙げての川との関連を解説されており、地図を片手になるほどなるほどと納得させられました。眼前の矢田川はまるでそんな素振りも無く慎ましやかに流れています。広い川原には西洋タンポポとセキショウとツボスミレが平和に咲いています。何処からか飛んで来たと思われる園芸種の花も咲いています。 サイクリングロードや遊歩道に囲まれて、野球場やゲートボール場や芝生の広場など市の管理する緑地の施設が幾つもあって、多くの市民に親しまれている様子が見られます。 先ず早朝明るくなり始めると、ジョギングやウォーキングの人々が元気のいい姿を現します。続いて犬と散歩する人や、そぞろ歩きの老人などが見えます。やがて川の土手を自転車が行き交う頃になると、サイクリング専用道を走る通勤通学の自転車が多くなり、いかにも社会生活が活動し始めたことを感じさせるのです。尤も毎日が休日の私は、そんな風景を眩しくぼんやりと眺めているしかありません。以前住んでいた山では野性動物との出会いや山野草を観察するのが楽しみでしたが、これからは人間ウォッチングでも始めようかと思っています。但し、もともと人間嫌いで住人のいない山に移り住んだ私ですから、余り楽しく平和な微笑ましいウォッチングにはなりそうもありません。 さて、川原を散歩してすぐ目につくのがいろいろな禁止看板です。曰く「ゴミ捨て禁止」「犬を放さないで」「ゴルフ練習禁止」等々。それも幾つも幾つも、これでもかと言わんばかりに多いのです。と言うことはこんな簡単な初歩的なルールやマナーが守られていないと言うことなのでしょうか。この疑問はすぐに解けました。川原の一見美しい草原のあちこちに空き缶や弁当殻が捨てられているだけではなく、信じ難いことに大きなゴミ袋がかためて積まれていました。散歩中の犬も半数はリードから放されて走り回っています。座敷飼いの小型犬が殆どですが、中にはギョッとするような大型犬もいて思わず身構えてしまいました。ゴルフ練習の姿もあちこちに見え、身の危険を感じます。 伊勢の山から下りて来た狸には、最初から少々きつい試練が待っているようです。態勢を立て直しぼつぼつ「天の邪鬼」振りを始めたいと思います。 では、また。 |