『インド哲学七つの難問』のご紹介


出版したばかりの私の本です。「はじめに」の部分をご紹介します。インドの、とくに、哲学に興味のある方はどうぞ読んでください



宮元啓一『インド哲学七つの難問』選書メチエ、講談社、2002年11月


    はじめに


売春、この人間的なるもの
 世界最古の職業は売春であるという。そして売春は、いかなる法的規制をも乗り越え、今日にいたるまで世界中で行われてきて、およそ衰える気配がない。なぜそうなのかと考えをめぐらせば、それは人間の本性に深く根ざしているからではないか、との結論にいたる。では、人間の本性とは何か。
 人間の本性というからには、それは動物的なものではない。動物の世界に売春はない。動物は、子孫を残すために発情という性衝動を起こし、異性を求め、性行動に出る。人間も同じである。異性を求めることを恋とか愛とかエロスとかいうけれども、要するに性衝動にもとづくことに変わりはない。これが人間の、動物としての自然なのであり、したがって、それにともなう喜怒哀楽などのもろもろの感情、人情も、自然なのである。
 感情(人情)豊かな人が人間的だとよくいわれるが、じつはそれは、その人が動物性というみずからの自然に忠実だということと何ら変わりがない。人間的とは、それほど甘いものではない。
 これにたいして、売春婦(男娼については今は考えないことにする)は、子孫を残すために性衝動を起こすわけではなく、また、異性に恋心を抱いて性行動に出るわけでもない。子孫を残したり、発情したり、恋心を抱いたりしていては、売春という商売は成り立たない。売春婦は、性衝動を起こして女を求める男どもの自然を手玉にとることで商売をするのである。
 自然を手玉にとるということは、自然を超越しているということである。自然に埋没することなく、冷静に自然を対象として見るのである。ゆえに、売春とは、メタ自然の行為にほかならない。動物としての自然を超えること、これができるのは人間だけである。動物から人間を区別する人間の本性とは、みずからの自然を超えることができるということである。だからこそ、売春は人間の本性に深く根ざしているのであり、これほど人間的な職業はないのである。

哲学、この人間的なるもの
 一方、世界最古の学問は哲学である。「であるといわれる」ではなく、「である」なのである。
 では、哲学とは何か。それは、われ思うに、知りたいという以外のいかなる動機もなく、純粋に知ることを切望する営みのことである。そして、その営みは、その営みに用いられる論理への自覚的反省をまってはじめて確かなものとなる。論理への自覚的反省とは、メタ論理にほかならず、それが体系化されたものが論理学である。
 論理は、人間であれば、だれでも展開することができる。正しく展開しようが、ゆがめて展開しようが、それはどうでもよい。論理なしにわれわれ人間は生きていけない。幼児ですら、「だって」「だから」「それに」「じゃなければ」などという論理語を駆使している。ということは、論理を用いるということは、人間にとって自然の営みなのである。ところが今見たように、論理学というのは、その自然の営みにたいするメタ自然の営みなのである。いいかえれば、それは反自然的行為なのである。
 こういうわけであるから、論理学と不離一体の関係にある哲学という営みも、反自然的なものにほかならない。
 ちなみに、「思想」ということばがある。これは、英語でいうthoughtの翻訳語である。つまり、思想とは、考えられたものごとを意味する。ものごとを考えるのは、これまた人間にとって自然なことである。
 「思想」というと何かものものしいが、その本義からすれば、人間ならばだれでも思想はもっているといえる。熊さんや八つぁんも、ハタ坊もそうである。ただ、多くの場合、「思想」という語は、何らかのまとまりがあり、同時代や後世の人々に大きな影響を及ぼしたものに適用されるけれども。
 ともあれ、だから、思想と哲学とを混同してはならない。思想は自然であるが、哲学は自然ではない。いいかえれば、思想は、人間の、動物としての自然であるが、哲学はその自然を超えるのである。哲学こそは、したがって、もっとも人間的な営みなのである。
 ひるがえって、人間の、動物としての自然の典型は、人情である。人情はあくまでも人情でありつづけるのであって、人情の自己反省などということは語義矛盾である。人間にとっての自然である思想は、人情と切り離すことができない。
 したがって、論理学を生むことがなかった中国や日本には、自然を超えた、つまり人情を超えた、厳密な意味での哲学は生まれなかった。生まれたのは中国思想であり、日本思想である。中国思想や日本思想がわれわれの心を打つことが多いのは、それらが人情に根ざしているからである。老荘の思想、孔孟の思想、西郷隆盛の思想、岡倉天心の思想などなど、われわれ日本人が感銘を憶える思想はたくさんある。
 これにたいして、「心打つ哲学」などというのは、これまた語義矛盾なのである。人の心を打つようでは、哲学とはというていいえないのである。
 哲学は、このように、人間的な、あまりに人間的な営みであるがゆえに、人間の、動物としての自然に心地よく抱かれている人々からは、ほぼ必然的といってよいほど誤解を受ける。それは、同じく人間的な、あまりに人間的な営みである売春が、「正しい」人情の持ち主たちから、蛇蠍のごとく忌み嫌われるのと、まったく相似をなしている。

大学における哲学受難時代
 さて、異文化理解といえば、今日では、だれもが口をそろえて大切なことだという。世界が狭くなって、文化摩擦が国際紛争の火種になる昨今である。ここに、文化人類学、比較文明学といった、新規の「学問」が流行る温床がある。じつは、これら新規の「学問」が、哲学を学問の世界から排斥しようと企んでいる。すなわち、哲学を、異文化理解のための一分野、地域研究の一分野へと追い落とそうとしているのである。
 文化は人情の束である。文化を理解するとは、人情を受け容れることである。つまり、異文化理解とは、自然主義なのである。いくら力説しても足りないのだが、哲学は反自然主義なのである。知性の極北に立つ哲学が、異文化理解とまったく無縁だということが、ここから疑問の余地なく結論として導ける。
 なお、そうした新規の「学問」は、文化(文明)相対主義の立場をとる。文化相対主義は、研究者に、自分が属する文化の永遠の留保、判断中止というかたちでの自己否定を強要する。そして、いうことを聞かない人には、居丈高に脅迫的な態度をとり、「偏狭な自文化中心主義」との烙印を押してまわる。
 しかも、その自己否定であるが、まさか人情を含めて自己を全面否定すると人格が崩壊するから、結局それは、知性を否定する方向に走る。異文化理解から知性が欠落しては、脆弱ながらも昔からあった寛容の精神など、ひとたまりもない。
 じっさい、新規の「学問」の影響をうけ、欧米に追随するかたちで、近年、東大や京大の大学院を筆頭に流行りだしているのが、人文・社会系の学問を、地域研究という枠概念で再編しようとする動きである。ところが、地域研究という枠のなかで育ってきた若手の研究者たちは、研究対象に頭脳をあたら埋没させ、研究する者としてのみずからの主体性を省みることがない。その結果、かれらが書くものは、じつによく調べ上げたとはいえ調査報告書(レポート)ばかりで、論文(エッセイ)は皆無に等しい。新規の「学問」の非知性ぶりの影響には、じつにすさまじいものがあるといえる。
 ところが、これがほとんどの人、ほとんどの学者にはわからない。ほとんどの学者は自然主義的な人情家なのであり、新規の非知性的な「学問」に簡単にたぶらかされ、哲学を誤解してしまう。
 今日、哲学は、大学における学問体系再編の流れのなかで、地域研究という非知性的な枠概念に圧迫され、独立した学科として存続することが困難な状況にある。人情家につける薬はないのである。
 しかし、人間の本性に深く根ざしたものであるという共通性から、売春がこの世から消えてなくならないかぎり、哲学も永遠に不滅である。今はこの真理に賭けるしかない。

インド学の問題性
 さて、その地域研究ということであるが、わたくしが直接関わってきた、あるいは関わってこざるをえないできた分野は、インド学である。
 インド学(Indology, Indic Studies, Indian Studies)は、イギリスの東インド会社が、プラッシーの戦いに勝利したあと、本格的なインド攻略に乗りだし、そのためにインドの文物について広く調査研究する機関として、一七八四年にベンガル・アジア協会を創立したときをもって正式に発足したといえる。ここからわかるように、インド学という学問領域は、西洋による東洋の植民地化政策から要請されて成立したものなのである。
 インド学の内容は、法学、経済学、考古学、歴史学、ヴェーダ学、言語学、民族学、宗教学、文学、哲学(論理学を含む)というように、多岐にわたっている。それぞれの領域での研究は、それなりの成果をあげた。
 とくに言語学は、ヴェーダ語、サンスクリット語が、ヨーロッパを構成する主要な民族の言語と祖先を同じくすることを発見し、インド・ヨーロッパ語族という重要な概念を打ち立てた。インドの言語を調査した結果、言語学という普遍性をもつ学問そのものが、革命的な進歩を遂げたのである。
 しかし、これ以外の領域では、学問自身の革新、進歩に寄与するような研究が行われてきたかというと、大いに疑問である。それは、植民地支配をする側の研究者にとって、支配される側の文物は、ただの調査研究の対象にすぎず、研究者がみずからの主体性を省みながら研究するという態度は希薄であった。
 とりわけ問題なのは、インド哲学、インド論理学研究である。西洋の研究者たちは、それらを過去の遺物としか見なさなかった。せっかくのインド論理学も、アリストテレス論理学を矮小化したいわゆる西洋古典論理学に当てはめ、合致するところと合致しないところを区別した。そして、合致するところはただそれだけのものとし、合致しないところは非論理的な夾雑物のなせる愚劣な業だと決めつけた。インド論理学から、自分たちの論理学にないものを学ぼうという姿勢は、微塵もなかったのである。
 わが国では、オックスフォード大学のミュラーに師事した南条文雄が、帰国後、一八八五年に、東京大学に梵語(サンスクリット語)学を開講したときをもって、インド学が移入されたといえる。ただし、わが国では、インド学は、仏教学の補助学問という扱いを、長いあいだ受けてきたけれども。
 西洋のインド学がわが国にもちこまれたのには、それなりの理由がある。それは国策である。アジアで、西洋列強に伍して植民地主義、帝国主義の立場をとりえた唯一の国が日本である。同じく西洋からもちこまれた支那(中国)学が、国から大いに優遇されたのは当然である。インド学が国から大いに優遇されるようになったのは、少しあとで、大東亜共栄圏構想ができあがってからのことのようである。陸軍が、隠密作戦により、インド東部の詳細な地図を作製していたことは、よく知られている。
 太平洋戦争が始まり、インド「解放」が日程に上るようになった一九四二年に、陸軍は、莫大な予算をつぎ込んで、インド学研究者を総動員した。その成果は、その年、および翌年、翌々年、書物としても続々と刊行された。その調査研究の水準はきわめて高く、現在でも十分に通用するものが多い。
 戦後、戦勝国も敗戦国も、ともに、旧来の露骨な植民地主義的、帝国主義的な姿勢は捨てていった。これで、オリエンタリズム系の学問、すなわち、エジプト学、インド学、中国学、東南アジア学、日本学などは衰退してもおかしくはなかったとわたくしは思うのだが、歴史はそうは動かなかった。
 戦後、突出した経済力と軍事力とをもつにいたったアメリカは、朝鮮戦争を契機に突入した本格的な冷戦時代に対処するため、大学における人文・社会系の学問を大規模に再編し、地域研究中心主義をとった。そして、アメリカの世界戦略にとって、ソ連だけでなく中国にもにらみをきかす重要な戦略地域として急浮上してきたのが、インド洋をかかえる南アジアであった。インド学は、アメリカでは、南アジア研究へと変遷し、南アジア研究には、莫大な教育、研究予算が注ぎ込まれた。
 これと呼応するかたちで、わが国でもインド学が息を吹き返し、一九五一年には、全国規模の大きな学会として、日本印度学仏教学会が設立された。そして、よりアメリカ型のインド学研究を目指すものとして、一九八八年には日本南アジア学会が設立された。
 インド学、南アジア研究という枠概念のもとにいるわが国の研究者たちは、おそらくだれ一人としてそうは思っていないであろうが、こうした学問体系は、国益のための国家戦略を土台として成り立ってきたのである。インド学、南アジア研究にかぎらず、近年、欧米に追随して流行りつつある地域研究主義的大学再編を見るとき、大きな危惧を抱かざるをえない。地域研究は、学問および人間の知性に資するためにあるのではなく、あくまでも国益に資するためにだけ存在意義が認められるのである。

インド哲学は哲学である
 さて、話が大きくなったので、従来、インド学の一分野として位置づけられてきたインド哲学研究に焦点を絞ろう。
 一六年ほどの歴史をもつ北海道印度学仏教学会という活発な学会があり、それが刊行している機関誌を『印度哲学仏教学』という。しかし、面白いというか奇妙というか、この雑誌の英文名を見ると、「印度哲学」に相当するところはIndologyとある。このようにした真意はわたくしにはわからないが、インド哲学が、インド学という学問枠からけっしてはみ出るものではないことを、この事例はよく示している。
 インド哲学研究というのは、たしかに、ドイツ哲学やイギリス哲学などの西洋哲学の研究とは事情が異なるところがある。それは、インド哲学研究史がそれほど長いものではないこと、また、この研究に従事してきた研究者がきわめて少数しかいなかったこと、ほぼこの二点に関わることである。すなわち、インド哲学関連の厖大な数のテクストのうち、信頼できる批判校訂にもとづいて刊行されているものがあまりにも少ないということである。したがって、インド哲学の研究を志す者は、主要な研究対象となるテクストの批判校訂を行わなければならない。いわゆる古典文献学という手法をとらざるをえないのである。
 哲学研究は、それじたい哲学である。哲学することを、飛行機で自在に空を飛ぶことにたとえてみよう。すると、哲学研究が依拠するテクストは、ちょうど滑走路に当たると見てよい。滑走路がなければ、飛行機は飛べない。
 西洋哲学の場合は、ほとんどの滑走路がきれいに整備されているので、西洋哲学の研究をしている人々は、能力さえあれば、若いころから、飛行機の操縦を楽しむことができる。ところが、インド哲学の場合、研究者は、それこそスコップとモッコだけで、荒れ地をきれいな滑走路に変えていかなければならない。そのため、若いうちから飛行機の操縦を楽しむというわけにはいかない。
 ところが、それはそうなのであるが、わがインド哲学研究の領域では、古典文献学の重要性があまりにも強調されるきらいがある。じっさい、この領域の正統を自認する研究者たちは、古典文献学以外の作業をする人を異端視する。飛行機が飛べる程度に滑走路があらあら出来上がれば、どんどん飛行機を飛ばせばよいのであるが、滑走路作りの手堅さにあまりにも魅了された人々は、一寸の狂いもない、鏡のような滑走路を夢見る。そのようなものは夢であってできるはずがないのにである。かくして、多くの「正統派」インド哲学研究者たちは、飛行機を飛ばすという目的をすっかり忘れて、けっして完成しない滑走路作りの専門家となって安住してしまう。

地域研究からの飛翔
 このように、手段を目的と取り違えるという(あえていうが)愚を犯すというのも、インド哲学研究が、その発足当時から今日にいたるまで、インド学、南アジア研究という地域研究の枠概念のなかに押し込められてきたからにほかならない。地域研究で求められることは、研究対象を、みずからの主体性を省みることなどせず、ひたすら精密に調査し、整理し、陳列することである。
 「正統派」インド哲学研究者たちは、しばしば、インド哲学研究は、インド思想史研究でなければならないという。「思想」というのは、先にも述べたように、考えられたものごとであるから、いわば物である。インド人の作った物を、みずからの主体性を省みることなく、ひたすら調査、整理、陳列することを心がければ、これはまさしくインド思想史研究である。
 だから、地域研究という枠概念のなかに、哲学という学問を取り込むのはだめなのである。この点、わたくしは忸怩たる思いである。すなわち、インド哲学研究にたずさわる者の宿命として、滑走路作りは避けられない。この作業を行うときには、地域研究という枠概念のなかで、古典文献学とインド思想史研究の薫陶を受けなければならない。しかし、あらあら滑走路ができあがったなら、迷うことなく地域研究の枠から飛び出し、飛行機を飛ばすべきである。
 インド哲学研究を志した人のほとんどは、飛行機で自在に空を駆けることを夢見ていたはずである。ところが、そのほとんどの人は、その夢を忘れ、滑走路作りで一生を終えることに人生の意義を見出してしまう。
 わたくしは、少年のときの夢を忘れない。わたくしは完全主義者ではないので、自分が作ったものも含め、かなり粗削りではあるけれども、飛行機を飛ばすことのできる滑走路がいくつもあると考える。
 これまで、わたくしは、地域研究としてのインド学と哲学とを二股掛けにして研究者生活を歩んできた。このあいだに、基本的な飛行訓練を、地上の模擬装置によって積み重ねてきた。もうじっさいに空に飛んでもよいころだとわたくしは考えている。
 いつか墜落するかもしれないが、本書が、わたくしの処女飛行である。


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