『仏教かく始まりき----パーリ仏典『大品』を読む』のご紹介


出版したばかりの私の本のご紹介です。はしがきを挙げています。興味のある方はどうぞ読んでください



宮元啓一『仏教かく始まりき----パーリ仏典『大品』を読む』春秋社、2005年11月

はじめに


■本書の目的
 パーリ律蔵に、『大品』(マハーヴァッガ、「大いなる章」の意)と名付けられた文献があります。律の文献ですから、律、すなわち、出家僧(比丘、比丘尼)の生活規律および作法、出家教団の運営規則についての、その起源についての話も含む解説書という体裁を取っています。いわゆる教義や哲学に関心のある人には、あまりに具体的に過ぎ、なかなか読み通せる文献ではありません。
 ところが、この『大品』の最初の方、全体の七分の一ほどは、いわば最古の「仏伝」となっています。菩提樹の下でゴータマ・ブッダが成道を得た(目覚めた人、ブッダ、つまり仏になった)というところから始まり、サンジャヤの徒であったサーリプッタ(舎利弗)とモッガッラーナ(目連)が、サンジャヤを除くすべてのサンジャヤの徒二百五十人とともに、仏教の教団に入るまでが、詳しく描かれています。
 本書は、全部で一〇部より成る『大品』の第一部の第一章から第四章の半ばまでを全訳し、解説を加えたものです。
 この中には、初転法輪(ゴータマ・ブッダが初めて教えを説いたこと)における教えの内容が、じつに明快に分かりやすく説かれたところがあったりして、ゴータマ・ブッダその人の哲学(実践哲学といってよいでしょう)を知る上で、大変に貴重な資料となっています。
 よく知られていますように、ゴータマ・ブッダは対機説法という説き方をしました。説く相手の能力、資質、およびTPOに応じて、変幻自在に説き方を変えたということです。ですから、パーリ仏典の和訳などを読んだ経験のある人なら分かると思いますが、ゴータマ・ブッダの教えがまとまった形で、いわば教科書風に説かれるということはほとんどなく、ゴータマ・ブッダの説き方の変幻自在ぶりに惑わされがちになります。そして、ついには、読めば読むほどゴータマ・ブッダの教えの核心が分からなくなって行くという不満を憶え、不満が昂じた末に、ゴータマ・ブッダは行き当たりばったりに(ただし弁舌さわやかに)適当に説いていただけではないかと邪推したくなる人も出てきます。
 そういう不満を憶える人にとっての、救世主的な文献こそ、この『大品』の最初の部分なのです。
 私は、ここでは、他の文献との比較対照やらの、いわゆる初期仏教をめぐる伝統的な仏教文献学を用いることはいたしません。『大品』に示されるゴータマ・ブッダのことばは、後世の仏教徒の創作になるものではなく、まちがいなくゴータマ・ブッダその人のことばであったという前提に立って読み、仏教学者ならぬ一般の読者の理解に供するかぎりの、あまりうるさくない簡潔さを旨とする解説を試みたいと考えています。
 本書を「ゴータマ・ブッダ哲学入門」と捉える人も出てくるでしょう。たしかに「入門」であるにちがいはないかもしれませんが、しかし、本書は、ゴータマ・ブッダ哲学の入り口あたりをうろつくものではなく、その哲学の核心に単刀直入に斬り込むものだと、私としては密かに自負しております。  なお、ゴータマ・ブッダ哲学の全貌について、多くの著名な仏教学者たちの学説を批判する形で私が著したものに、『ブッダが考えたこと----これが最初の仏教だ』(春秋社、二〇〇四年)がありますので、参照していただければ幸いです。また、ブッダの頭の中にあった論理学が、現代論理学をも凌ぐ卓抜なものであったことを、畏友・石飛道子氏が、その著『ブッダ論理学五つの難問』(講談社選書メチエ、二〇〇五年)に、闊達な文体で明らかにしていますので、併せて読まれることをお薦めします。

■複数の文献に共通する部分は成立が古い、という文献学の常識について
 今日、わが国で行われている仏教文献学は、大正時代から昭和時代にかけて宇井伯寿博士が確立したものを基礎にしています。そして、とりわけ初期仏教に関わる仏教文献学を精密化したのは、宇井博士の愛弟子・中村元博士です。その中村博士の文献学の手法が顕著な形で見られるのは、『ゴータマ・ブッダT、U』(中村元選集〔決定版〕第一〇、第一一巻、春秋社)においてです。
 その文献学は、二本の柱から成っています。一つは、複数の文献に共通する部分は成立が古く、そうでない部分は後世の仏教徒による加筆・挿入(伝統的にこれを「増広」といいます)であるとする柱、もう一つは、韻文(偈頌)は成立が古く、散文は成立が新しいとする柱です。
 まず、複数の文献に共通する部分は成立が古く云々についてですが、これがじつは、ゴータマ・ブッダの真説を探る上で、重大な障害になるのです。  たとえば、ゴータマ・ブッダ自身が目覚め(いわゆる「さとり」)に関わると思われることばを述べていることになっている文献が四つあるとします。第一の文献の文章は、A、C、Eの要素から成り、第二の文献の文章は、B、D、Fの要素から成り、第三の文献の文章は、B、G、Iの要素から成り、第四の文献の文章は、Hの要素から成るとします。
 すると、要素Bだけは第二の文献と第三の文献に共通して出てきますが、他の要素は、どの文献にも共通して出てくることはありません。すると、中村博士の文献学によれば、A、C、D、E、F、G、H、Iは、後世の増広になるものだと断定されます。しかもなお、たとえば、第一の文献の、問題となる個所の直後あたりに、古形を保った韻文があるとしますと、第一の文献の核心部分は成立が古く、そこに要素Bがないということは、要素Bですら、後世の増広になるのだとほぼ断定される、という結論に至ります。
 かくして、目覚めに関わると見られる文章は、みな後世の増広になるものであり、ゴータマ・ブッダその人が、目覚めをいかなるものと考えていたかを知る術はまったくない、ということになります。
 そこで、中村元博士はこう結論づけます。
  「まず第一に仏教そのものは<特定の教義というものがない>。ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じて異なった説き方をしていた。だからかれのさとりの内容を<推しはかる>人々が、いろいろ異なって伝えるにいたったのである。」(『ゴータマ・ブッダT』四一七〜四一八ページ)
 右の仏教文献学の常識の一つは、かくもニヒリスティックな結論を導き出すのです。
 私が思うに、AもBもCもDもEもFもGもHもIも、みなゴータマ・ブッダが発したことばを伝えたものと考えて差し支えありません。  第一に、中村元博士もしばしば言及するように、ゴータマ・ブッダの説き方は対機説法でしたから、同じ事柄に関するもののはずなのに、文言がきわめて多様なのは当然です。
 第二に、ゴータマ・ブッダは仏教の開祖であり、弟子や信者たちからは、「バガヴァット」(幸あるお方、世尊)と呼ばれていました。この尊称は、後のヒンドゥー教では世界を主宰する最高神の尊称にもなっています。インドは、古くはヴェーダ聖典の伝承のしかたからも分かるように、記憶力大国で、丸暗記の訓練の厳しさ、それによって養われた記憶力では、インド人は、世界に他の追随を許しません。  仏教文献学者は、何か自分の頭で不明なところに遭遇すると、すぐにこの個所は後世の増広に成るものだと、むやみやたらに言いたがります。しかし、ゴータマ・ブッダの弟子、孫弟子、ひ孫弟子たちが、バガヴァットのことばを忘れたり、勝手に捏造したりすると考えるのは、ことインドという場にあっては非常識なのです。
 ゴータマ・ブッダのことばがどのような形で伝えられたのか、そして、結果としてどうしてこれほどたくさんの仏典が私たちの手に遺されているのか、その真相は、記録がありませんので、確かなことは言えません。
 しかし、ゴータマ・ブッダは、対機説法でしたから、同じ文言を用いたり(むしろ多くの場合は)用いなかったりという説き方をしました。ゴータマ・ブッダ入滅の後、遺された弟子たちは、ゴータマ・ブッダのことばを忠実に伝えたはずですが、ある一連の話をつなげたり、別の一連の話にまとめたりするさいに、あるいは同じ文言を採用したり、あるいはしなかったりしたのです。パラレル・パッセージ(同一、あるいはほぼ同一の文言)が、色々な仏典に重複して出てくるのはそのためだと考えられます。
 伝統的な仏教文献学は、右に見たように、徹底して消去法を取りますから、ゴータマ・ブッダの世界は、拠って立つ場所すらもないほど狭く、貧相なものとなります。そして、その結果として、ゴータマ・ブッダの真説探索において、驚くほどニヒリスティックな態度を取ります。中村博士のゴータマ・ブッダ論は、ゴータマ・ブッダ哲学解体論にほかなりません。仏教の開祖の哲学を解体して、何の益があるのでしょうか。  私の方法に従えば、ゴータマ・ブッダの世界は、その豊かで大きな拡がりを保持したままです。その豊かで大きく拡がった世界にちりばめられているゴータマ・ブッダのことばを拾い、点と点とを結んで線にし、線と線とを組み合わせて図形にする、というのが、ゴータマ・ブッダ哲学を明らかにする学問的な作業だということになります。論理的な明晰さだけを頼りにこの作業を行えば、有機的に美しく重なり合った図形が得られるはずです。

■韻文は成立が古く、散文は成立が新しい、という文献学の常識について
 中村元博士を始めとして、少なからぬ仏教学者は、とりわけ初期仏教の文献研究にさいし、新層・古層というカテゴリー区分を行い、それを判定する一つの重要な基準として、韻文は成立が古く、散文は成立が新しいという仮説を立てています。
 しかし、これもいかがなものかと思われます。
 といいますのも、たしかに、韻文は歌として朗詠されますから、そして、歌というものは、古今東西を問わずそうなのですが、当然と言えばあまりにも当然のごとく、古い語形を残す傾向を強く持ちます。
 たとえば、韻文の中でゴータマ・ブッダがマガダ語で「ちゃいますねん」と語ったならば、パーリ語になっても、それに近い語形がずっと残るという可能性は非常に高いと言えます。
 それにたいして、散文は、唱うように朗詠されることはありませんから、時代とともに大きく語形が変化すると考えてよいでしょう。マガダ語での「ちゃいますねん」が、パーリ語で「違いますよ」となっても、何の不思議もありません。  ここから言えるのは、韻文は古い語形を比較的よく保つ傾向にあり、散文は新しい語形へと変化しやすい、ということです。
 言えるのはそこまでで、ここから、韻文は「成立が古い」、散文は「成立が新しい」と言ってしまっては、それは大きな勇み足、重大な誤謬となってしまいます。
 ゴータマ・ブッダは、韻文、散文を取り混ぜて教えを説きました。つまり、ゴータマ・ブッダのことばとして伝えられるものは、明らかに後世の作成と見てよい『ジャータカ』類を除くほとんどすべてのパーリ仏典において、ゴータマ・ブッダその人によって成立したと考えるのが筋というものです。それが、現在、私たちが見るような文字に写して文書化されて固定されるまでの間に、韻文の部分は語形の変化が少なく、散文の部分は語形の変化が著しい、という結果になったと考えるべきでしょう。
 語形・表現法が古い、新しいというのは、その語形・表現法を持つ文献の成立の新古とは、はっきり言って無関係だということです。
 このように、私たちは、宇井博士、中村博士が採用した仏教文献学の常識を覆し、一部を除くほとんどすべてのパーリ仏典に見られるゴータマ・ブッダのことばを、語形の新古に関わらずまず真説だとして受容し、それらの間の整合性を追究していけばよいのです。そうすれば、ゴータマ・ブッダが天才的な哲学者であったことを基盤として仏教の教義が成立・発展していった様を、その豊かな内容とともに明晰に知るに至るでしょう。
 ゴータマ・ブッダの一々の教説は、法門と呼ばれます。真理(正しい教え)のオルターナティヴな入り口というほどの意味です。ゴータマ・ブッダは、対機説法でしたから、じつに多くの法門をもって人々を導いたわけです。門をくぐれば、そこには、奥行きの深いゴータマ・ブッダが発見した真理の大殿堂があるのです。
 中村博士のように、ゴータマ・ブッダにはまとまった教義(考え、哲学)がなく、ケースバイケースで(行き当たりばったりに)人を導いたということだと考えてしまうと、じつに奇っ怪なことになります。つまり、中村博士説では、法門はたくさんあるけれども、そのどの門をくぐっても、あたかも映画のセットのように、そこにあるのはただの空き地だということになるのです。
 ゴータマ・ブッダの教えには、門ばかりやたらにあって肝心の家がないというのでは、いったい仏教とはどういう教えなのか、困惑するほかありません。



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