インド哲学の愉しみ

インド哲学の愉しみ

                                                   宮元啓一


インド哲学は哲学である
 このたび、拙著『インド哲学七つの難問』が、講談社選書メチエの一冊として刊行された。この本は、名前だけは知られていても、内実がほとんど知られていないインド哲学の世界を、論題追究というかたちで簡潔に示したものである。これによって、世の多くの人々から、インド哲学はインドという地域に限定された特殊なものではなく、広く哲学として世界に通用するものであることの理解をいただければと考えている。
 古く哲学という学問を生んだ民族は、ギリシア人とインド人だけである。というのも、哲学は、みずからが用いる論理への自覚的反省、つまりメタ論理をまってはじめて可能となる。そのメタ論理が体系化されたものが論理学である。古く論理学の体系を確立したのはギリシア人とインド人だけである。このことから、世界の哲学は、ギリシア哲学とインド哲学を起源とするといえる。ちなみに、実用的算術で用いられる論理への自覚的反省から純粋な数学が生まれるのであるが、やはり古く数学を確立したのはギリシア人とインド人だけである。哲学と論理学と数学とは、深い関連しているのである。
 もっとも、ゼロを用いた十進法表記とゼロにまつわる計算法則を確立したインド数学は世界に広まったのにたいし、インド哲学はインドの地からほとんど離れることがなかった。インド哲学の内には仏教もあり、それはアジアの全域に広まったのであるが、チベットをやや例外として、インド以外のアジアでは論理学は受容されず、したがって、仏教がもつ本格的な哲学的要素も広まることがなかった。これは、ギリシア哲学(論理学も)が、イスラーム哲学を経てヨーロッパに継承されたのときわめて対照的である。
 そののち、ヨーロッパは植民地主義に立って世界を制覇した。そのため、哲学といえば西洋哲学という通念ができあがってしまった。かたやインドは、イギリスなどの西洋列強に制覇されてしまった。敗者の哲学など、植民地主義的な観点からの地域文化研究の対象にはなっても、普遍的な哲学としてまっとうに扱われることはなかった。また、負けて自信を失ったインドの知識人たちも、インド哲学を軽視し、西洋哲学に迎合していった。
 欧米人でインド哲学を「研究」する人は、いまだにオリエンタリズムの枠概念でしかインド哲学を見ようとしない。インドの知識人たちもまた、逆立ち現象を起こし、インド哲学を同じくオリエンタリズムの枠概念でしか見ようとしない。そこに、われわれ日本人がなしうる仕事がある。
 日本も植民地主義に走ったが、それはわずかな期間でしかなく、欧米列強に完膚無きまでに打ちのめされてしまった。したがって、一部の学者を除いて、われわれ日本人は、あまりオリエンタリズムの洗礼を受けていない。インド哲学を、オリエンタリズムなどとは無関係に中立、公正に眺め、素直にみずからの主体性を省みながら哲学として考察できるという点で、日本人はまことに都合のよい立場にいる。まことに愉しいかぎりである。


インド哲学は知性至上主義で人間主義
 西洋哲学はすばらしいのであるが、インド哲学の研究に長くたずさわっていると、そこに何か窮屈さを感ずることがたびたびある。それは、知性(理性)と信仰との問題であるように思う。
 すなわち、さまざまな神学は別にして、インド哲学は、知性の赴くところ、限りなくどこまでも進もうとする。インドの民族宗教であるヒンドゥー教では、絶対最高神というものを立てるが、インドの哲学者たちにとって、絶対最高神はけっして超えられない壁にはならない。つまり、知性に対抗しうる信仰などまったく認めないのである。さらに、インド哲学では、神は善しかなしえない、人間は善悪を選択できる、ゆえに自由意志は人間だけがもつ特権であり、神に自由意志はまったくないとさえいわれる。
 輪廻転生を認めるインド人は、生き物すべてを平等に見るとよくいわれるが、それは、宗教的感覚としてのことであり、哲学ではそのようなことはない。インド哲学では、絶対最高神すら押しのけて、人間だけが自由であり、よって輪廻から解脱できるのも人間だけだとする。それはもう強烈なまでの人間主義なのである。
 有名な逸話がある。それは、西暦紀元後一〇世紀の論理学者ウダヤナという人物にまつわるものである。ウダヤナは、仏教に対抗するために、絶対最高神の存在証明を、じつに精緻な論理を駆使して行った。ある日の夕方、ウダヤナは絶対最高神を祀っている寺院を訪れた。ところが、もう夕方だというので、寺院の門扉は閉ざされていた。ウダヤナはたいへん怒ってこういい放ったという。お前の存在を証明してやった我が輩を門から閉め出すとはいかなる了見か、と。つまり、ウダヤナにとって、絶対最高神よりも自分のほうがはるかに偉かったのである。
 こういう風であるから、インド哲学において、知性が信仰の下に置かれたり、両者がせめぎあったりということはまったくない。知性は、何の障害物もなく、ただひたすらおのれの論理だけに従ってどこまでも進むのである。純粋理性批判を行ったカントがインド哲学を見たら、きっと、インド哲学は知性(理性)の暴走族であるかのように目に映ったにちがいない。
 これにたいして、西洋哲学はかなり事情が異なる。古代ギリシア哲学では、まだ知性はのびのびしていたが、西洋中世の哲学では、知性は信仰の奴隷であったり、そこまででなくとも、知性は信仰と抵触しない範囲でのみ活動が許されるという状況に置かれた。近代哲学の祖、デカルトでも、知性の明晰性を保証するものは神であるとか、人間は不完全で、だからこそ完全な神の存在が認められなければならないとされた。それ以降でも、西洋の哲学者たちにとって、神は絶対に超えられない壁であり、知性は大なり小なり信仰による査察を受けなければならないものでありつづけた。マルクスの弁証法的唯物論は、「逆立ちしている」ヘーゲルの弁証法を正したものだとされるが、それはまた、逆立ちして神に支えられていると皮肉にもいうことができる。ニーチェは「神は死んだ」と宣言したが、そのような宣言をしなければならないほど、ニーチェは神や信仰と、いわば死闘を繰り広げ、廃人同様になって生涯を終えなければならなかった。キェルケゴールは、知性が信仰とバランスを保つようにするため、懸命の努力をした。
 神や信仰が知性にとっての壁ではなくなるには、西洋では、ウィトゲンシュタインを待たなければならなかった。西洋哲学の畑にいる人には少し不快に聞こえるかもしれないが、知性の自由と自立という点でいえば、西洋哲学は、最近になってようやくインド哲学のレベルに手が届いたといえるのである。インド哲学は愉しいのである。



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