| 一、はじめに 阿部慈園さんが、道元禅師と同じく享年五四という若さで他界されたことは、同年齢のわたくしにとっては、まさに人生の無常に直面させられるできごとであった。しかし、それにもかかわらず、わたくしには「悲痛」という感情はまったく湧かなかった。というのも、他界される一月半ほど前に、ご本人から電話があり、もう長くはない、そのときになったら、友人代表として弔辞を読んで欲しいと依頼されていたからである。その口調はいつもと変わるところがなく、まるで世間話をしているような錯覚すら憶えるほどであった。泰然自若としてみずからの死を受け容れておられた阿部さんのおかげで、わたくしも、阿部さんの死を、あたかも静かに無常観を行じているかのごとき心境で受け容れることができた。阿部さんは、わたくしにとって、この上ない善知識だったのである。 本稿は、論文というにははなはだ拙いものかもしれないが、故人のご冥福を祈り、かつ故人を偲ぶよすがとして、心をこめて認めるつもりのものである。 本稿の主題は、ゴータマ・ブッダの有名な苦楽中道説の深層に何があるか、つまりゴータマ・ブッダは何を見出してそのような説を唱えたかという問題である。つまり、これは、無数いた沙門の一人であったゴータマ・ブッダが、やがて世界宗教のひとつになるまで発展することになる仏教を開いた、その根拠となる根本的な独創性はどこにあったのかという問題である。 と、大仰なことをいったが、本稿の結論を見て、多くの人は、何を今さらと思われるかもしれない。しかし、わたくしの知るかぎり、その独創性が、どのような理由で明確に独創性といえるのか、その理由が手にとるようにわかるほどはっきりと示した論考は、意外なことに、今までなかったように思う。もっとも、浅学非才の身でこのように思っているにすぎないのであって、もしもそのような論考がすでにあったならば、まことに申し訳ないことなのだが。 なお、本論集では、阿部さんがもっとも力を注いで研究してこられた頭陀行にも関説することが求められている。そこで、苦楽中道説のなかで、頭陀行はどのように位置づけられたかについても、言及させていただくことにする。本当は阿部さんにご高評願いたいところであるが、今はかなわぬこととて、大方のご叱正をたまわりたく、よろしくお願い申し上げるしだいである。 二、ゴータマ・ブッダの修行----一度は捨てた瞑想の道 二九歳で出家となったゴータマ・ブッダは、まず、令名高い宗教指導者を訪れることにした。最初に訪れたのは、瞑想によって解脱にいたると説き、多くの弟子を従えていたアーラーラ・カーラーマ仙人のもとであった。この仙人がどこに住んでいたのかは、仏典によって大きく異なる。ヴィンディヤ山脈の麓という説もあれば、ヴァイシャーリー(ヴェーサーリー)市の近郊という説もある。ただ、中村元博士は、ゴータマ・ブッダは、仙人のもとに訪れる途中で、王舎城でマガダ国王ビンビサーラと出会ったことになっているので、王舎城とかブッダ・ガヤーとか、いずれにしてもその近辺、現在でいえばビハール州の南部に仙人はいたのであろうと推測されている。おそらくそう考えるのが無難であろう。 いくつもの伝承から、アーラーラ・カーラーマ仙人が、これによって解脱にいたることができるとしたのが、無所有処を最高の境地とする瞑想(禅定)であった。 後の仏教では、無所有処定は、四無色定の第三番目とされ、この境地に達するというのは、無色界の無所有処と呼ばれる場所(無色界であるから本当は場所は特定できないことになっているが)に住することであると解釈される。しかし、アーラーラ・カーラーマ仙人がいたったとされる無所有処に、無色界うんぬんという意味がついていたかどうかとなると、大いに疑問である。 おそらくアーラーラ・カーラーマ仙人のいう無所有処というのは、瞑想の果てにたどりつく、見る者も見られるものも何もないという心境のことである。これは、はるか後世の『ヨーガ・スートラ』における「心のはたらきの停止」という意味でのヨーガ、三昧に相当するものと思われる。心のはたらきが滅するとは、感情も思考も停止することである。 ゴータマ・ブッダは、仙人のいうとおりに実践してみたところ、速やかに仙人いうところの最高の境地、つまり無所有処を体得してしまった。ところが、それで何かが大きく変わったかといえばそうでもないことがわかってしまったゴータマ・ブッダは、仙人の教えに飽きたらず、かれのもとを去った。 つぎにゴータマ・ブッダが訪れたのは、ウッダカ・ラーマプッタ仙人のもとであった。この仙人は、非想非非想処こそが最高の境地で、アーラーラ・カーラーマ仙人と同じく、瞑想によって到達できると説いていた。 この境地も、後の仏教では、四無色定のうちの第四番目に数えられているものである。文字どおりには、「識別するのでもなく、識別しないのでもない、という境地」というほどの意味である。先の無所有処では、「識別作用は消えた」というかたちでまだかすかに残存している識別作用そのものが、ここでは完全に消える、つまり、識別する、しないがまったく意味をなさないほどにまで心のはたらきが停止する、ということなのであろう。これも、感情と思考の停止を目指す瞑想で得られる境地である。 ゴータマ・ブッダは、この境地も速やかに体得したが、やはり何の益もないことがわかり、仙人のもとを去った。 しかし、では、アーラーラ・カーラーマ仙人といい、ウッダカ・ラーマプッタ仙人といい、なぜ瞑想によって思考停止の状態を体得することを高く評価していたのであろうか。それは、かれらを含め、当時の出家たち一般が考えていた輪廻のメカニズムによるのである。 当時、出家たち一般の常識としては、輪廻的生存の直接の原因は、行為(業)であった。「善因楽果、悪因苦果」「自業自得」というようにいい表せられる因果応報では、業が輪廻の原動力とされるのである。 では、われわれは、どうして善悪の業を起こすのであろうか。それは、そうしたいと思うからそうするのである。つまり、業は、われわれの欲望を原因として起こるものだということである。 このような輪廻のメカニズムを図示すれば、つぎのようになる。 輪廻←--行為(業)←--欲望 すると、輪廻的な生存をやめるためには、つまり解脱にいたるためには、善悪の業を滅ぼせばよく、善悪の業を滅ぼすためには、欲望を滅ぼせばよいことになる。この解脱のメカニズムを図示すれば、つぎのようになる。 欲望の滅--→業の滅--→輪廻の滅(解脱) ところで欲望は、感情と思考の所産である。すると、感情と思考を停止すれば、欲望もなくなるというのは道理である。右の両仙人が、感情と思考の停止を目指す瞑想に、夢中になって打ち込み、それをみずから称賛したわけは、まさにここにある。 ところが、ゴータマ・ブッダは聡明であったため、すぐに気がついてしまった。すなわち、たしかに瞑想を行い、感情と思考が停止する状態にいたれば、欲望は起こらない。しかし、その状態というのは一時的なものに過ぎず、瞑想を止めればまた元の黙阿弥となる。これはしたがって最終的な解脱ではなく、完全な心の平安(涅槃、寂静)をもたらすものではない、と。 こうして、ゴータマ・ブッダは、瞑想の道に見切りをつけた。 三、ゴータマ・ブッダの修行----苦行に入り、苦行を捨てる 瞑想の道を捨てたゴータマ・ブッダは、今度は、当時、出家たちのあいだでおそらく瞑想以上に流行していた苦行の道に進むことになった。 ゴータマ・ブッダは、ガヤーの地にあるウルヴェーラー村に接した苦行林(タポーヴァナ)で、五人の比丘を修行仲間として、激しい苦行に打ち込んだ。(この五比丘は、ゴータマ・ブッダの父、スッドーダナ王が、釈迦族のなかから選び、王子を守るために派遣した人たちであるという伝承が有名であるが、真偽のほどは確かでない。) 苦行といっても多種多様であるが、ゴータマ・ブッダがとりわけ熱心に行ったとして伝えられているのが、断食行と止息行とであった。伝承にもとづいて後に作成された苦行釈迦像は、すっかり肉が落ち、まさに骨と皮だけになった、すさまじい形相のゴータマ・ブッダを描いている。また、止息行では、しばしば仮死状態に陥ったという。 このような、死の寸前にいたるまで身を苛む苦行は、では、なぜ解脱にいたる道であると考えられていたのであろうか。それは、先に述べた、当時、出家一般の常識になっていた輪廻のメカニズム、その裏返しとしての解脱のメカニズムの構図による。 すなわち、その常識的な輪廻のメカニズムによれば、輪廻的な生存を引き起こす究極の原因は欲望である。アーラーラ・カーラーマ仙人やウッダカ・ラーマプッタ仙人など、瞑想の道を歩む人たちは、感情と思考を停止状態に持ち込むことで、欲望の消滅を目指した。これにたいして、苦行は、身を苛み、極度の禁欲で心を鍛えることによって、欲望を、いわば力ずくで抑え込むということを目的としている。 たしかに、苦行という禁欲主義的な修行によって、心身は清澄となり、欲望が起こることは著しく減少する。これは、ゴータマ・ブッダ自身がいっていることであるから、確かであると思われる。しかし、ゴータマ・ブッダは、成道以前に修行にかけた六年(七年という伝承もあるが、満六年、足かけ七年ということであろうか)という歳月のほとんどを激しい苦行に打ち込んだにもかかわらず、欲望が最終的になくなることがないことに気づくようになる。 苦行では、欲望は少なくなるし、出てきた欲望をかなり効率よく抑え込むこともできる。しかし、いっさいの欲望の最終的な終結には、いつまでたってもいたらない。この根本的な疑問は膨らんでいくばかりで、ついにゴータマ・ブッダは苦行に見切りをつけ、それを捨てた。 そのときに、ゴータマ・ブッダは、あまりにも強く張った糸は切れてしまうという譬えにより、いわゆる苦楽中道こそが修行の本道だということを発見する。 そして村里に下り、沐浴し、村の娘から美味な食べ物の提供を受け、衰弱した体を十分に養ってから、ネーランジャナー河を臨むアシュヴァッタ(のちに菩提樹と呼ばれる)の大樹の下で静かに瞑想に入り、ほどなくして目覚めた人、ブッダになった。 このあたりの話はあまりにも有名で、今さら何も説明を付け加えることはないようであるが、従来の学術的な研究でも、またましてや一般向けの通俗解説書でも、ここからいきなり、「ではゴータマ・ブッダは、菩提樹の下で何をさとったのか」という話に飛んでしまう。しかし、これでは、ゴータマ・ブッダは、ともかく苦行はだめだからといって突如それを止め、闇雲に瞑想に突入したら、いきなり真理がひらめいて、という筋の、何か荒唐無稽な話でしかなくなるのではないだろうか。 苦行を止めたには、それなりの重大な理由があり、また、かつては捨てた瞑想の道にまた入ったことにも、もちろんそれなりの重大な理由があるはずである。つまり、ゴータマ・ブッダは、苦行に根本的な疑問をもちはじめたときに、すでに真理は直感していたと考えるのが自然というものではないか、ということである。そして、ゴータマ・ブッダは、苦楽中道こそが本道であること発見したとき、その真理を確信し、その確信のもとに苦行を止めて瞑想の道に入り、その確信を不動のものになし終えた、そのとき目覚めた人、ブッダになったと、こう考えるべきではなかろうか。 四,ゴータマ・ブッダは何を発見したのか では、苦行に根本的な疑問をもちはじめたとき、ゴータマ・ブッダはどのような真理を直感したのであろうか。 その真理は、アーラーラ・カーラマ仙人たちの瞑想の道を否定し、今や苦行を否定する、そのなかから見出されたものであると考えられる。 すなわち、ゴータマ・ブッダは、当時、出家のあいだで常識となっていた輪廻のメカニズムと、その裏返しである解脱のメカニズムに不備があることに気がついたのである。 ここにゴータマ・ブッダの天才的な発見があった。すなわち、輪廻の究極の原因は欲望であるとされていたが、そうではなく、その欲望を引き起こす根源的なものがまだ奥に控えている、それは、ふつうの人間が自覚すらできず、したがって、ほとんどコントロール不能な根本的な生存欲であると、ゴータマ・ブッダは見たのである。そして、その根本的な生存欲を、渇愛とか、癡とか、無明とかと呼んだのである。(「無明」という語の真の原義やその語義解釈をめぐる議論には、まだ最終的な決着はついていないようであり、わたくしもその点では非力であるが、少なくともゴータマ・ブッダのいう無明とは、文脈的に、根本的な生存欲ないしその根本的な生存欲を自覚できていないことを意味することは明らかだと考える。) ゴータマ・ブッダは、煩悩を総括して、貪瞋癡(の三毒)にまとめた。この三者は同列に並ぶのではなく、同列に並ぶ貪と瞋を引き起こす根源として癡があるという構造になっている。つまり、ゴータマ・ブッダは、輪廻のメカニズムの根源に根本的な生存欲を置き、欲望を貪(求める欲望)と瞋(避ける欲望)とで代表させたのである。これを図示すれば、つぎのとおりである。 輪廻←--善悪の業←--欲望(貪、瞋)←----根本的な生存欲(渇愛、癡、無明) このメカニズムを発見したことにより、ゴータマ・ブッダは、アーラーラ・カーラーマ仙人たちの瞑想の道も、苦行も、なぜ最終的な心の平安をもたらさないかが得心できたのである。すなわち、そうした旧来の修行法は、ただひたすら欲望という項目をターゲットにするばかりで、欲望のよって起こる根源を叩くものではないということである。 では、欲望のよって起こる根源である根本的な生存欲を滅ぼすにはどうしたらよいか。それは、ふつうの人間には自覚できないことをはっきりと自覚すること、根本的に無知だった状態から最終的に脱出することである。これを可能にするものこそが、無自覚、無知の対極にある智慧であると、ゴータマ・ブッダは見たのである。すると、解脱のメカニズムは、図示すれば、つぎのようなものに改められることになる。 根本的な生存欲の滅--→欲望の滅--→業の滅--→輪廻の滅(解脱) この、根本的な生存欲の滅を達成するには、完全な智慧を獲得する必要がある。そのためには、輪廻的な生存のありかたにまつわるすべての事実を徹底的に観察し、考察しつくさなければならない。そのための修行法は、瞑想の道以外にはない。ただし、その瞑想は、アーラーラ・カーラーマ仙人たちが追求していたような、思考停止を目指す瞑想ではなく、徹底的に思考する瞑想でなければならない。 今まで誰も気がつかなかった輪廻の究極的な原因はわかった、それを滅ぼすものもわかった、そして、それを滅ぼす方法もわかった、と、この確信をしっかりと得たとき、ゴータマ・ブッダは、苦行を捨てる決断を下したのである。 つまり、ゴータマ・ブッダは、苦楽中道こそ本道であると見たとき、すでに右の大発見をしていたのである。そして、確信を得た方法である徹底的に思考する瞑想に入った。闇雲に菩提樹の下に坐って瞑想に入ったのではなく、きわめてはっきりとした目算があったのである。だからこそ、ゴータマ・ブッダは、速やかに、目覚めた人、ブッダになることができたのである。 『マハーヴァッガ』では、ゴータマ・ブッダは、無明からはじまり老死にいたる十二因縁を順逆に観じて成道を得たとある。十二項目を連ねるのは、まちがいなく後世の創作である。ただ、ゴータマ・ブッダが、無明という根本的な生存欲にはじまり、老死という、輪廻的生存の本質である苦に終わる因果関係を、徹底的に観察、考察したことは、右のわたくしの考察からも、疑う余地はない。 また、初転法輪における最初の教えは、四聖諦の教えだという伝承があるが、それもおそらく真実なのであろう。なぜなら、苦聖諦は、輪廻的生存が本質的に苦であることをいっており、苦集聖諦は、苦の原因は根本的な生存欲であることをいっており、苦滅聖諦は、根本的な生存欲求を滅ぼせば苦が滅びることをいっており、苦滅道聖諦は、そうする方法があるといっており、これらは、内容的に、右にわたくしが述べた、ゴータマ・ブッダによる偉大な発見に直結しているからである。 五、結語 ゴータマ・ブッダは、真理(法)を、突如として見出して覚った人、ブッダになったのではない。(突如、宇宙の真理と合一したというのが「さとり体験」だとする、独りよがりの神秘主義的理解は、およそ漫画的であり、正気の沙汰とは思えない。)アーラーラ・カーラーマ仙人たちの瞑想に疑問をもってそれを捨て、苦行の道に入って激しくそれを修しいるうちに苦行にたいする根本的な疑問を抱きはじめたとき、ゴータマ・ブッダは、すでに真理を直感していた。その直感が確信となったとき、ゴータマ・ブッダは苦行を捨て、独自に考案した新しい瞑想に入った。そして、その真理が揺るぎないものとして自覚され、骨の髄まで浸透して完全な智慧が生じたとき、ゴータマ・ブッダは、目覚めた人、ブッダになったのである。 その真理の核心とは、輪廻(=苦)の究極的な原因は根本的な生存欲であり、それを滅ぼすものは智慧であり、そのためには徹底的に輪廻的生存にまつわるすべての事実を観察、考察しなければならない、というものである。これは、ゴータマ・ブッダ以前、誰も気がつかなかった真理であり、これこそゴータマ・ブッダがはじめて発見したものであり、ここにこそ、ゴータマ・ブッダの独創性がある。仏教は、この独創性を根拠にして開かれたものなのである。 この独創性をじかに表現したものが四聖諦説や縁起説であり、それに教育的配慮を加えて出来上がったのが、戒定慧の三学という仏教独自の修行体系である。そして、この独創性を補完するものが無常観であり、その無常観をさらに補完するものが非我観である。これに、経験的に知られる事実のみを直視すべしというゴータマ・ブッダの基本姿勢である経験論が加わり、形而上学的問題への関与の拒否(十難無記など)が出てくる。おおよそこれで、最初期の仏教は骨太の体系を完成したのである。 このように、ゴータマ・ブッダが苦楽中道を発見した背景には、右のような空前絶後の偉大な発見があったのである。 六、付論----ゴータマ・ブッダが捨てたものと捨てなかったもの ゴータマ・ブッダは、アーラーラ・カーラーマ仙人とウッダカ・ラーマプッタ仙人が奉ずる瞑想の道をいったんは捨てた。しかし、苦行を捨てたあと、ゴータマ・ブッダは再び瞑想の道に入り、成道にいたった。ゴータマ・ブッダは、旧来の瞑想の道を革命的に変えた。すなわち、瞑想という修行形態は再び拾ったのであるが、内容を変えたのである。旧来の瞑想は、思考の停止を目指すものであったが、それを、徹底的に観察、考察する、思考集中を目指すものにしたというわけである。 また、ゴータマ・ブッダは、苦行を捨てたというけれども、全面否定したわけではない。否定したのは、ただむやみに心身を苛むだけで、智慧の醸成に資するところのない極端な苦行である。 ゴータマ・ブッダ自身が『スッタニパータ』のなかで述べているように、苦行は心身を清澄にする効能がある。そこで、ゴータマ・ブッダは、さまざまな苦行のなかで、極端なものではなく、心身を清澄にする効能のあるものを捨てずに継承した。それは、たとえば、孤独行(犀の角のように……)がそうであり、慈悲行がそうである。常乞食行も、塚間坐行も、そのほかも、もとは苦行として行ぜられていたものである。これらの行は、みな、思考集中を目指す瞑想に適した清澄な心身を生み出すためのものとして位置づけられた。『スッタニパータ』には、こうした意味での苦行に関わりのある記述が数多く見られる。 ただ、ゴータマ・ブッダは、成道してから入滅するまで四五年の長きにわたって教えを説き、そのあいだに仏教教団も大きく育っていった。その過程で、仏教がしだいに緩やかなものへと変わっていったことは確かである。しかし一方で、ゴータマ・ブッダは、仏教の原点ともいうべき地点に立ち帰り、心身を清澄にする苦行に邁進したい弟子には、そうすることをむしろ奨励した。ここに、『スッタニパータ』の古層における記述によく合致する、頭陀行という古式ゆかしい行が、仏教の出家に選択肢のひとつとして残されたのである。 『スッタニパータ』は苦行を認めているので、拠るべき仏典としてふさわしくないと断ずる仏教学者もいるようであるが、それは、仏教をこの世に成り立たしめた、根源的な独創性についての、何か大きな誤解にもとづいているように思える。 |