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か行
- かえいごねん【嘉永五年】
- 嘉永5年頃、今戸、浅草辺りで猫の土偶が流行したらしい。『増訂武江年表』『巷街贅説』という複数の文献に残っていることから見て、猫の土偶が流行ったのは、まず間違いないだろう。この猫の土偶の流行を招き猫の流行とする説が根強いが、嘉永5年の猫が招き猫であったという証拠はない。
- かすかべはりこ【春日部張り子】
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埼玉県に江戸時代から伝わる五関の張り子人形の流れをくみ、昭和になって始まったという、郷土玩具としては遅咲きの張り子。鮮やかな彩色と愛嬌ある表情が特徴。 - かなよみしんぶん【仮名読新聞】
- 仮名垣魯文主催の明治8年から発行された新聞。現代でいう夕刊紙のようなもの。その明治9年9月21日の171号に「浅草の招き猫」という記述がある。江戸における招き猫の存在を示す史料はこれが最も古い。
- かねじめねこ【┓〆猫】
- 大正初年、東京深川富岡八幡宮互楽堂で売られていた土製の招き猫。丸〆猫の模造と思われる。
- かんさいこくさいくうこう【関西国際空港】
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- 国際線到着ロビーに3匹の大きな招き猫がいる。「こんにちは。関西へようこそ。楽しい思い出をいっぱい作って下さい」と六ヶ国語で話す。海外からの旅行者を最初に出迎える招き猫である。ショッピング街の土産物屋でオリジナルの招き猫を売っている。
- きょうどがんぐじてん【郷土玩具辞典】
- 東京道出版『郷土玩具事典』斎藤良輔著。日本の郷土玩具に関する辞典。
- きょうどがんぐずせつ【郷土玩具図説】
- 郷玩文化研究会監修『郷土玩具図説』村田書店。市井の郷土玩具研究家鈴木常雄氏が自費で著した『郷土玩具図説』を復刻したもの。第七巻に「ねこ」の章があり、日本全国から集められた郷土玩具の猫が、鈴木氏のイラストで紹介されている。
- きょうどがんぐたいせい【郷土玩具大成】
- 郷土玩具研究家有坂輿太郎著作の郷土玩具に関する研究書。『郷土玩具大成 第一巻 東京編』が昭和10年に建設社より出版されているが、第二巻は出版されていないようだ。
- きんせいえどちょもんしゅう【近世江都著聞集】
- 江戸時代の巷話を集めたもの。巻五巻に「三浦遊女薄雲が伝」と題した遊女とネコの逸話が載っている。この逸話を元に招き猫が生れたといわれているが、この逸話がフィクションである可能性は高い。
- きん【金】
- 【招き猫の色】参照。
- きんねこぎんねこ【金猫銀猫】
- 天明年間(1781〜)に本所回向院前一つ目弁天前で商売をしていた下級遊女の呼称。金一歩の遊女を金猫、銀二朱の遊女を銀猫と呼んだ。一説では、金銀の猫の置物をおいた遊女屋が繁昌し、そこから招き猫が遊女屋に置かれるようになったという。【親子草】【猫/寝子】参照。
- くびだま【首玉】
- 招き猫は赤い首紐に金の鈴を付けている。これは、江戸時代の猫を飼う風習をそのまま形にしたものであろう。江戸時代、猫は高価な愛玩動物だったため、女性達は緋色の紐で猫をつないで可愛がっていた。当時、贅沢品であった緋縮緬の首紐やよだれかけを首に掛けさせていたのである。金の鈴も猫の居場所がすぐにわかるようにしておく実用的な意味があったと思われる。
- くびひも【首紐】
- 【首玉】参照。
- くびわ【首輪】
- 【首玉】参照。
- くるふくまねきねこてちょう【来る福 招き猫手帳】
- 『来る福 招き猫手帳』。日本招猫倶楽部世話役の荒川千尋・坂東寛司による招き猫のガイドブック。情報センター出版局より刊行。日本招猫倶楽部のネットワークを活かし、世界中から招き猫のありとあらゆる情報が集められている。
- くろ【黒】
- 【招き猫の色】参照。
- こうがいぜいせつ【巷街贅説】
- 江戸末期に出版されたと思われる塵哉翁著の随筆集。嘉永5年に浅草でネコの土偶を売って豊かになった夫婦の話が載っている。『巷街贅説』を掲載している『続日本随筆大成 別巻 近世風俗見聞集9・10』(森銑三・北川博邦監修:吉川弘文館)には、招き猫の挿絵が載っているが、これがいつの時代のものであるかは不明。
- ごうとくじ【豪徳寺】
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- 山谿山豪徳寺(東京都世田谷区豪徳寺2−24−6)。江戸時代、貧しい寺の猫が伊井直孝を手招きし、それが縁で寺は井伊家の菩提寺となり栄えた――という招き猫の縁起話が残る寺。寺の窮状を救った猫は観音様の化身といわれるようになり、招福殿とよばれる招猫観音堂が今もある。寺内や門前の花屋で「招福猫児(まねぎねこ)」と呼ばれる招き猫を入手できる。古くは岐阜県多治見産だったが、今は愛知県瀬戸市で作られている。この豪徳寺の招き猫は右手上げ。【江戸東京の庶民信仰】参照。
- こばん【小判】
- これは「猫に小判」という諺と、お金を招くという願いからデザインされたものと思われる。招き猫に始めて小判を持たせたのは、常滑焼の招き猫ではないかといわれている。『吉祥招福 招猫画報』(日本招猫倶楽部編)によると、招猫の小判は首の金の鈴が発展したらしい。古い招き猫には金の鈴の代わりに小さな小判をぶら下げているものがある。また、首に巻いた涎掛の絵から発展したとも考えられるらしい。涎掛には「福尽くし」といって、縁起の良い絵柄(お多福の面、大福帳、当たり矢等)が描かれているが、その中に小判も含まれていたのである。縁起の良い小判を強調する意味で、大きな小判を抱えるデザインが考案されたのであろう。招猫倶楽部調べでは、招き猫の2割弱が小判を持っている。古いものでは、小判猫といって積み上げた小判の上に座っている招き猫があるが、伏見人形に代表される小判狐の模倣ではないだろうか。
- こばんねこ【小判猫】
- 【小判】参照。
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