福 建( 閩 )~その2~

武夷山
 武夷山脈は福建と江西の省境に沿うように走っている。武夷山の麓、閩江の上流、福建の北部に ある武夷山市一帯は1億年前の地殻変動によって、奇形をなす磋岩が独特の景観をつくり出している。
 中国東南部随一の豊かな自然は、幾世紀にも渡り、訪れる者の魅了し続けてきた。彼らはその山水を詩に詠み、絵を描いた。 数々の名言や歌は岩肌に刻み込まれ、美しい風景に彩りを添えている。

 
武夷山
武夷山


 朱子学の祖・朱熹は、武夷山の佇まいに強く惹かれ、武夷精舎という学校をつくった。そこには、中国各地から朱熹を慕って学生達が 集い、儒教の教えを基に朱子学がまとめられていった。朱熹が没した後も、弟子達によって発展継承された朱子学の思想は、以後700年 に渡って中国のみならず、朝鮮・日本に大きな影響を与えることになった。
 
武夷山・九曲渓下り
九曲渓下り




 武夷山の観光の中心は、九曲渓と三十六峰である。  三十六峰は、右に左に蛇行をくりかえす川岸に繰り広げられる奇岩奇峰である。
大王峰、玉女峰、天遊峰、天柱峰、大蔵峰といった大きな岩が独特の景観を呈している。

 武夷山観光のまず第一歩は、天遊峰の登山から始まった。登山と云うより、岩登りである。狭い石の階段を一つづつよっくり 登っていく。最初は上を見、左右の景観を見つつ上ってゆく。
 途中で、チョット足元を見る。千尋の谷が足元に広がっているではないか。これがいけなっかった。急に高所恐怖症が頭をもたげて来た。上がるのも退くのも怖くなった。 足がすくむ、出来るだけ足元を見ないようにして進む。やっと840段ある階段を上り詰めた。

 上り詰めると周囲を一望できる素晴らしい眺めだ。先ほどの恐怖もすぐ忘れてしまうような良き展望だ。












九曲渓下り
   九曲渓は武夷山保護区の三保山に源を発し、全長60km、西から東に流れ、星村を経て武夷に入り、九曲渓風景区で約10km 流れている。
 汗と恐怖?の武夷山登山を終ったあと武夷山荘に戻り、昼食をとり、シャワーを浴び一休みしたあと九曲渓下りに向かう。 筏は長くて太い竹7本で筏を作り、その筏を2つに繋げる。その上に竹細工で出来た椅子を6個並べる。従って定員は6名で、前と後ろに船頭が つく。
 筏下りは、九曲渓風景区の約10kmを距離を2時間かけてゆったり下る。しかし、前と後ろの船頭さんお二人に過分のチップをはずめば、 さらにゆっくり3時間半位かけて川をくだってくれる。







玉女峰(左)と双乳峰(右)



晒布岩

 大きな一枚岩で,高さ150m、長さ約600mで東洋一の大きさである。






大紅袍




  武夷岩茶はウーロン茶の中で最も名高い中国産青茶です。武夷山の名産物と言えます。その頂点に君臨するのは大紅袍です。

 武夷山の景勝地・天心岩の半ば、岩肌が少し平らになった所に大紅袍と呼ばれる武夷岩茶の名樹・6株がある。ここに植えられてから 380年経つシロモノである。

 数年前のお茶祭りで1斤(500g)320元(約5,800万円)で競り落とされたこともあるという。








大紅袍へいたる谷間の小道
武夷山



一線天
 
一線天とは、武夷山の郡峰の南端にある大きな岩の割れ目のことである。 この割れ目に入ると頭上に空が一本の線に見えることからこの名がある。 ここに入るのに懐中電灯が必要で、階段があるが未整備の個所も多く、下は水が流れていて、足元が覚束ない。割れ目の幅は概ね 40~50cmで、最も狭いところは 30センチで人一人通るのもやっとという狭さである。時々上を見上げると蝙蝠の飛び交うのも見られる。
一線天の入口 懐中電灯貸しのおばさんが待ち構えている




「遇林亭」窯遺跡

 


 1958年、ある発掘調査隊が、中国における最大規模かつ完全なまでに保存された「宋代古窯跡」を発見した。宋代の八大窯系の一つ 「建窯系」だった。
 発掘された二つの窯は、まるで龍が山を這っているように見えるので「龍窯」(日本では「登り窯」)という。山に向かって左側の 一号竜窯の長さは73・2メートル、右側の二号竜窯はさらに長くて113メートル。
 二つの竜窯は一度にそれぞれ5万点、8万点の陶磁器が焼成できたと云われている。当時、ここの製品の多くは海外に売りに出された。
 今でも日本をはじめ朝鮮半島、東南アジア、イギリスなどに遇林亭の陶磁器が残されており、文化財となっている。