長江下流のデルタ地帯に位置し、天然の良港に恵まれ、中国で最も豊かな、また最も国際的な都市である。
中国における商業、貿易、科学技術、金融の中心地である。

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上海市について
上海市一帯は、約7000年前までは海であったが、5000年頃前までには、市の西部が陸になり、それ以降
長江の土砂の堆積等で、宋代初期の10世紀頃には東部も陸地になった。
上海を良港としたのは、太湖或いはその東側の湖を水源とする黄浦江と呉淞江(蘇州河)の二つの河である。
呉淞江の下流一帯は、晋代以降漁業が盛んになった。漁民は河の中に「滬(こ)」と呼ばれる竹の柵を仕掛けて満ち潮に
乗って来た魚を捕っていた。それで呉淞江の下流一帯を「滬(こ)牘(とく)」と呼ぶようになった。上海の別称を「滬」と云うのは
このことに由来するものである。
1840〜1842年のアヘン戦争後、西洋の列強が清朝政府に不平等条約を押しつけ、上海など五港の開港を認めさせた。上海は
通商港として開かれると共に、「租界」がつくられた。現在の繁華街には昔の租界の跡が残っており、もと英、仏の租界の処では
、多くの英・仏風の建築が見られる。その代表例が、黄浦江のほとりにある「外灘(わいたん)」である。(写真は南京路
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豫園
黄浦江のほとり、市街地の東南にある古くから栄えた南市と呼ばれた地域がある。
この南市の一角にある庭園が豫園であり、その西から南にかけてさまざまな商店が並ぶ場所が予園商場である。
この庭園は、この地の出身で四川の長官をつとめた允瑞が両親のために造営した。園の名称は「豫悦老親
(老親をよろこばせる)」の句に由来すると云われている。
潘允瑞の没後、潘家は衰退し、豫園はその後400年の間に何回も持ち主が変わった。1956年に大改修され“江南の名園”
として一般に開放されるようになった。
二万平方メータの広大な敷地には大小さまざまな楼閣が立ち並ぶ。園内は5景区に分けられ、万花楼、呉春堂、玉玲楼など
、それぞれが独特な風景を呈し、そのうえ堂楼の間に巨石を配して、見る人の目を楽しませてくれる。
ダイナミック都市・上海
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初めて上海を訪れたのは平成3年6月であった。
大阪と上海が姉妹都市となって10周年を記念して、大阪市が主管し上海浦東地区地域開発調査団がつくられ、それに参加することとなった。
当時は上海市街地と浦東地区を結ぶ黄浦大橋など交通路などに開発投資に重点が置かれていたように思われた。しかし
数年して再度上海を訪れると浦東地区の地域開発は見事な進展振りを見せていた。
その開発のスピードは、高度経済成長を経験した日本人に取っても驚くべき早さに見える。
かって、夜の7時前に店を閉めていた市街地の商店も、夜遅くまで営業し中には深夜営業をやっているお店もある。その
変わり振りの早さにも驚かされる。 |
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玉仏寺

上海市普陀区安遠路にある。1882年に市の北部、江湾で建造された禅寺で、1918年に現在地に移された。
玉仏は、白玉で造られた釈迦涅槃像で、清朝末期の僧・慧根(ほいげん)がビルマから持ちかえったものである。
上海動物園

上海には、豫園のほか玉仏寺、魯迅公園、黄浦公園、黄浦江遊覧、上海博物館、龍華寺など見るべきものが多くある。
市の西郊にある上海動物園で遊ぶのも楽しい。70haという広大な動物園でゆっくり見るには少なくとも半日かかる。
パンダを始め、東北虎、金糸猿、揚子江鰐など中国にしか生息しない動物も見られる。
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