西安

西門近くの城壁
西門近くの城壁

・ 私の最も好きな中国のまちの1つである。上海や北京などに比べ、 人々は古くからの中国人の良さを多く持っているように思う。 日本人観光客も比較的少ない。
・ 3000年の歴史を持つ古都。紀元前12世紀に西周の都となってから、 秦、前漢、隋、唐など11の王朝の都として、1100年以上も政治、文化、 経済の中心であった。
・ シルクロードの東の起点であり、青い目・赤い髪の民族の人達も行き交い、 商いを行なっていた国際都市でもあった。


・ 西安城

城壁

・ 唐の時代は長安と呼ばれ最も栄えていたと云われている。 その長安城は東西9.7キロ、南北8.7キロの城壁に囲まれていた。
・ 現在のものは、明代に作られた西安城の城壁であり、東西4.2 キロ、南北2.65キロ、周囲約14キロ、高さ12メートル、幅(下部) 15〜18メートル、幅(上部)12〜14メートルで車道の様に広い。 現存する中では最大の城壁。





・ 興慶宮公園

興慶宮公園 唐の玄宗皇帝が政務を取りつつ、 楊貴妃と共にすごした興慶宮。 その宮跡を公園としている。
  公園の一隅に阿倍仲麻呂の記念 碑がたっている。




阿倍仲麻呂記念碑


仲麻呂は19歳で唐に入り、その後科挙試験に合格し唐王朝の 役人になる。
56歳の時帰国しようとするが暴風雨のため船が難破し果たせ なかった。
一行百八十数名のうち生き残ったのは仲麻呂など十数名だけで あった。
そして長安の地に戻った彼は二度と祖国・日本の地を踏 むことなく、西暦770年に73歳で逝った。

記念碑の裏面には仲麻呂の<望郷の詩>が、側面には仲麻呂の 遭難死を嘆き悲しむ友人・李白の<哭晁卿衡>の詩が刻まれている。

<望郷詩>

翹首望東天、神馳奈良辺。
三笠山頂上、想又皎月圓。

( 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも)

・ 大雁塔
大雁塔

唐の高宗が建立した慈恩寺の境内に そびえる高さ64メートルの七層の塔。

この塔は玄装三蔵が、インドに16年 間にわたる求法の旅をし、持ち帰った 膨大なサンスクリットの経典を翻訳し たところである。

その翻訳には22年に わたる期間を必要とした。



・ 兵馬俑

兵馬俑

1974年の3月、晏寨人民公社西楊村の農民が井戸を掘っているとき、深さ4mのところで陶片を数個発見、 “何かの宝物?”と思いつつ慎重に掘り進めると、鎧を着けた陶製の武士を発見する。しかも、足元には 煉瓦まで敷いてあった。

専門家による発掘が行なわれ、この驚くべき“古代文化の宝庫”が明るみに出た。‐‐‐それは、秦の始 皇帝が命じ建設途上中であった地下宮殿であった。

 兵馬俑2

 調査の結果、地下宮殿にある埋蔵物は
    武士  約8000体
    軍馬  約 600頭
    戦車    125両
  であることが判明。
   車は木製、兵馬は陶製であった。
   この地下軍団は、整然と軍陣を組み、   2200年前、始皇帝が国家を統一した
  当時の秦軍の堂々たる陣容を示している。
地下宮殿は、その後つぎつぎ発見され、
  現在では一号坑から4号坑まである。

  兵馬俑の発見者
<一号坑の発見者>
  写真の右側の方が、地下宮殿一号坑の発見者  で、たしか楊さんと呼ばれていた人です。
今は兵馬俑博物館のみやげ物売り場で働い ておられます。 (左側が筆者です.失礼!)