三 峡 下 り(2)

 長江三峡は、西の奉節の白帝城から西の湖北宜昌の南津関までの全長192kmもあり、瞿溏峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)、 西陵峡からなっている。  


瞿溏峡

瞿溏峡01

 三峡の最上流にある渓谷であり、三国志で有名な白帝城は8キロ上流にある。渓谷の全長は8kmと短いが両岸からそそり立つ 断崖の眺めが素晴らしい。
 

白帝城01

 白帝城は前漢末に公孫述がここに城を築き、自らを白帝と称した。 また、劉備玄徳が呉との戦いに敗れ、駆けつけた諸葛孔明に 息子を託し生涯を終えた場所である。

白帝城02 白帝城03

 上の写真(左)の詩碑は、李白の「白帝城」であり、書は周恩来によるものである。


朝辭白帝彩雲間,
千里江陵一日還。
兩岸猿聲啼不住,
輕舟已過萬重山。 


        劉備が孔明に遺児を託する場面である。関羽、張飛等の塑像も並んでいる。




土家族の奇習?

通や



 白帝城の内部城壁には色々な絵が描かれている、その1つは棺桶の周りを一晩中踊りあかす土家族の人達である。別の壁画は百数十メートルも ある崖渕に棺桶を設置する図であった。
 土家族の娘は婚礼の前夜、別れる母や父、兄弟姉妹のことを想い泣きながら大声で歌い明かすと云われている。それに対し通夜では、何故 死んだ人のまわりで踊り狂うのであろうか? 結婚や死に対する概念が我々と違っているのであろうか。







巫 峡
巫峡1  北に六峰、南に六峰を合せて巫峡十二峰と呼ばれる景観の美しい山々に囲まれた全長44kmの渓谷である


巫峡12峰の一つ、神女峰の上に立つ大石は、人間の世界に憧れ、人間界に降りてきたため石にされてしまった神の娘だと 云う伝説がある。
(写真右;神女峰) 


巫峡2


巫峡3

峡上航標站(航路標識を示す信号所)

 宜昌から重慶まで660キロあるが、現在は航行に危険な個所が140ヵ所、上りあるいは下りのいづれかのみで 航行できない個所が46ヵ所ある。2000年8月重慶から出発した船が、巫峡に入った所で転覆、死者及び行方不明者  計15名の転覆事故を起こした。その数日後 瞿溏峡でも転覆で11名が行方不明となっている。
 2000年の場合、上半期だけで長江では17回の転覆事故が発生している。

 写真の標識で、ある時間帯が上りか、下りの単方向の運行であることをあらわしている。 ダムが完成すれば湖面の広さは わが国の琵琶湖の3倍もあるので、水運が便利になって往き来する船も大幅に増えると予測されている。その頃になればこの 峡上航標站も無用のモノとなっているであろう。







          三峡ツアーのクルーズ船「三峡の星号」の客室、及び甲板で行われた太極拳の講座模様。