メロウ倶楽部   奈良オフ
―平成13年11月22日(木)、談山神社、明日香、今井町―



 

談山神社

談山神社1

 桜井市の南郊一帯は峰の多いことから多武峰(とうのみね)と呼ばれていた、この地で中臣(のちの藤原)鎌足 が、蘇我氏誅滅を中大兄皇子と語らったので、談の山(かたらいのやま)とも呼ばれている。

 鎌足の長子定慧が父の墓を攝津・安威山からこの地へ移し十三重塔を建立し妙楽寺(のちの多武峰寺)として開創。
 次男の不比等が鎌足のを祭る神殿を建てて談山神社を創始、神仏混淆の形式となっていた。  


 
 十三重塔は方三間、桧皮葺き、高さ17mの 鎌足公の供養塔。
 白鳳7年(678年)創建で、現存唯一の木造十三重塔である。










明日香

 大和盆地の南東に位置し、なだらかな田園の起伏、軒を寄せ合う集落、小さい森、その間を縫うように続く里道。 明日香の里には、蘇我一族の野望を阻止した大化の改新の主役天智天皇、皇位継承の内乱に絡む天武天皇、大津皇子、 高市の皇子、草壁の皇子らの名が残っている。
 どの古墳、どの遺跡が誰の者?と明らかになっているものは少ない、いまだ発掘調査で新しい発見があると云う、 飛鳥は今だその時代を語りつくそうとはしていない。訪れる人々に古き時代のロマンを想う楽しみを与えてくれる地域である。

  石舞台

石舞台1

 飛鳥の古墳と云えば、まずこのこの石舞台古墳が思い浮かぶ。古墳の上部の土が取り除かれ、巨大な横穴式の 天井石が露呈している。玄室天井石の南側のものは、約75トンもあると推定されている。
 7世紀始めに築造されたと考えられているこの古墳の主は、このあたりに邸宅のあった蘇我馬子とする説が有力で あるが、確証はない。


石舞台2

 雲ひとつない爽やかな秋空のもと、石舞台古墳の前の草原で円陣を組みお弁当をいただく。童心にかえったような、ほんに愉しい ひと時であった。




 石舞台の玄室で一水さんの尺八の演奏、こころが引き締まるような感動を覚えたものでした。メロウの仲間も神妙に 耳を傾けていた。




石舞台6
石舞台5

  橘寺

 聖徳太子誕生の地に太子が建造したと伝えられるお寺である。本尊に太子三十五歳時の坐像を祀っている。
 本殿の東側に善悪二面石と呼ばれる奇岩がある。自然石の背中合わせに二つの人面が彫られていて、夫々が善と 悪を表していると云われている。

            善悪二面石        私 善人、あなた 悪人ね。いやーいやー 

    高松塚古墳

 昭和47年(1972年)に極彩色の壁画が発見され、一躍全国的に有名になった古墳である。

 壁画には男女の人物、青龍、白虎、玄武、日、月、星宿が描かれている。



 壁画の実物は残念ながら見ることは出来ないが、古墳の西側にある高松塚壁画館で前田青邨画伯等による精巧な 模写を見ることが出来た。



  今井町


   橿原市今井町は国指定の重要伝統的建造物保存地区となっている。 そして町全体が今も人が生活する江戸期民家の大博物館といった感じの地域である。
 東西610m,南北310mの地域に1200戸の民家があり、その八割が江戸期に創られたものである。 8戸が国の重要文化財で、2戸が県文化財である。
 「海の堺、陸の今井」、「大和の金は今井に7分」と言われ、戦国時代には一向宗徒の拠点・称念寺を中心に 町が形成され、自衛の武力を持った自治都市であった。織田信長によって武装解除され、その後大和最大の 商業の町として栄えた。