弘法大師 誕生会
青葉祭り



 高野山は弘法大師(空海)が、嵯峨天皇に上奏して高野山一帯(和歌山県伊都郡高野町高野山)の地を賜り、 丹生・高野の両明神を伽藍鎮守のため 勧進し、弘仁七年(816年)金堂はじめ諸堂の建立に着手され、一山を金剛峰寺と号されたのが始まりである。
 今では宗派を超えた霊場として全国各地から参拝客が訪れている。


花御堂渡御   稚児さん

 『青葉祭り』は、6月15日の宗祖降誕をお祝いして、高野山内の一の橋≠ゥら金剛峰寺≠ワでの道のりを、 約二時間かけて、花御堂渡御がなされる。

青葉祭3 青葉祭4

 その花御堂渡御にさきがけ、地元の小学生の鼓笛隊から高野大学の学生の吹奏楽隊が進む。その後に地元の 中学生や高校生、また全国から来られた一般参加の方々などの大師様を称える踊りの行列が続く。
 中でも香川県等から来られた四国民謡研究会の大勢の方々が空海いろは音頭にあわせて演じられる踊りは圧巻でした。
青葉祭7 青葉祭8

                遍照金剛 南無大師  遍照金剛 南無大師
                 心晴れ晴れ 心晴れ晴れ   身も軽ろし---

と、いう音頭に合わせ 見事に踊られるお姿を拝見していると、なぜか熱くなり涙がにじみ出て止まりませんでした。
 平生 信仰心がない 男にとって まことに 珍しい現象でした。 久し振りに感動を頂戴しました。
 四国から、遠い紀伊半島の山の中まで来られた皆さん、本当にお疲れさんでした。 有り難うございました。


青葉祭5 青葉祭6


    


金剛峰寺

金剛峰寺1 金剛峰寺の石庭

 高野山真言宗の総本山である。
 かって金剛峰寺は高野山の総称であった。文禄二年(1593年)に秀吉が亡母追善のため 建立した青巌寺と、応基上人の立てた興山寺を併せ、明治初年に金剛峰寺と改称された。

 中には蟠龍庭と呼ばれる石庭がある。 この庭園は奥殿を中心に五百余坪に及ぶ我が国最大の石庭である。 勅使門より眺めると左に雄龍を、右に雌龍を配して金胎不二を表している



  奥の院

奥の院  大師廟
 承和二年(835年)三月十五日 大師は、弟子たちを集めて、入定の日の近いことを告げられる。 その日は二十一日の寅の刻であると言い、二十五ヵ条の遺誡(ゆいかい)状を弟子たちにお渡しになった。
 その日から洞窟に篭られ、禅定に入られ、二十一日には結跏趺坐して、そのまま宛然として生きるが如く入定されたと 伝えられている。おん年六十二歳であった。その窟の上に三間、四面の宝形造りの廟が 建立れたのである。


 一之橋から大師廟までの約2kmは、ほとんど老杉と夥しい墓石が立ち並んでいる。このような特殊な募域は 京都の鳥辺山に多少似かよった例があるほかは、他に見出されない代表的なものである。
 法然上人、親鸞上人のお墓から、信長、光秀、秀吉、家康等々の10万を超す墓石があり、平安期以降のわが国の 歴史が凝縮されているように思われる。
奥の院2


六時の鐘
六時の鐘  福島正則が亡き母の追善を祈願し元和四年(1618年)に建立した。
寛永七年(1640年)に焼失したが、 息子の正利が再鋳し、鐘楼は天保六年(1835年)に再建された。


刈萱堂
 蜜厳院内にあり、刈萱道心≠ニ石童丸≠ェ親子を名乗らないまま仏道修行に明け暮れたと云うお話で 有名なお堂である。 刈萱堂