桂林

桂林1           

 思わず凄い!と叫んでしまう、 奇峰奇厳が群れをなす光景、その奇峰奇厳の中を漓江がとうとうと流れる。 川面に映る絵もまた素晴らしい。

 まさに中国の水墨山水の原形が、この桂林にあると云われるゆえんだ、と感心する。

 どのようにしてこのような奇観が出来たのであろうか。
 伝説では、天下統一を成し遂げた秦の始皇帝が東海にいた山羊の群れを追いたて、ここら辺りまで来ると 前に進まなくなった。そこで神の鞭を一振りすると、山羊の群れは山に変じて、今に見られえるような 奇岩奇峰なったと言われている。
 しかし、通説では、数億年前はこの桂林一帯は海底であり、長い間海水の浸蝕によって出来上がった ものとされている。
(注、漓江の「漓」は、正しくはサンズイ偏に離と書きます)




桂林5   桂林は、広西壮(チワン)族自冶区にあって南寧に次ぐ主要都市である。

 畳彩山から見る奇峰を背景とした町並みの素晴らしき眺め(右の図)、蘆笛(ろてき)岩にある石灰岩の原始林が 林立した巨大な鍾乳洞など 見るべきののは多々あるが、なんと云っても漓江下りで見る奇峰奇巌であろう。



桂林2  <漓江下り>
 桂林の楽しみはなんと云っても漓江下りである。桂林の町から漓江の下流約八十キロの陽朔までの 川下りである。
 漓江で採れた川エビをサッと空揚げにして貰いそれを肴にして、空港の免税店で買った スコッチをチビリチビリ飲みつつ、両岸の此方彼方に見える奇峰奇岩を眺める約四時間半の船旅は まことに愉しいものであった。




桂林3  唐代の詩人韓愈は、この風景を次ぎのように詠っている。

     『桂州に厳大夫を送る』

    蒼蒼たる森、桂に入る
      この地は湘南にあり
    江は青羅の帯をなし
      山は碧玉の簪の如し
    戸は多く翠羽をはこび
      家は自ら黄柑をうえる
    遠く勝りし登仙去らば
       飛鸞も驂ずる暇あらん

 船はゆったりした速度で、九牛三州、半辺奇渡などの奇厳・奇峰を見ながら進む。

  冬の寒き折、長い太い竹を組んだ筏に乗り、川草を採っている青年が一人いた。あれで生業が成り立つ のであろうか、と思うぐらいのんびりした風景だ。

 聞くところによると、ここらではシーズンになると鵜飼いをやる人達が相当数いると言う。鵜匠は鵜を 紐で操作しない放し漁だ。鵜は水の中に素早く潜り、狙いをつけた草魚の眼に鋭い嘴を突っ込んで 筏の上に引き上げるとのこと。   




桂林6  <桂海碑林>

 唐代、宋代に作られた碑が桂林市内から集められ、七星公園内の洞に残っている。
 かって書家達はこの洞に書を残すことを誇りにしていたと言われている。




桂林4  <桂林の奇なる料理>
 桂林大飯店に宿泊、晩餐はかなり豪勢であった。その内、名を教えてもらえない料理が二点あった。一つは魚の 白身のようなモノが入ったスープ、他はアヒルの丸焼きのような姿をしたモノであった。
 素材は皆さんが召し上がってから教えてあげるとのことであった。好奇心でそれらを口にする、結構いけるではないか。
卓に着いた 全員が食べ終わったところで、その正体を告げられた。女性達がキャ〜と叫ぶ。前者は蛇のスープであり、後者は狸の丸焼きであった (但し、頭と四つ足の部分はなかった)。
  夜、大飯店の前にずらりと夜店が並ぶ、それは観光客相手のお土産屋である。ほろ酔い気分も手伝って それらの店を、混雑をかき分けつつ冷やかしで見て回る。
そのような日本人観光客をまた冷やかす若き中国人男女がいる。
 『オッチャン、けちやな! こうたらんかいな』と関西弁らしき言葉で話し掛けてくる。 彼・彼女達は地元で日本語を学ぶ学生達であった。その熱心さに惹かれ ついつい会話が弾む、まことに愉しいひとときであった。