|
福 建( 閩 )~その1~ 福建、その簡称は「閩(ビン)」という。これは古くからこの地域に居住していた民族の 名称に基づいたものである。閩族は広く長江以南に分布していた“越”族と同種と考えられ、この地方は“閩越”と呼ばれていた。 秦の始皇帝の南征以降、漢民族の統治するところになり、閩中郡が設けられた。しかし、中央の統制はここまで 力を及ぼさなかったとみなされている。 漢が成立すると、土着の君長を閩越王に封じ独立の形態を保ったが、武帝が南越国を滅ぼすと、閩越国も漢の領域に組み込まれ、 北方の浙江地方とあわせ会稽郡が置かれる。(紀元前110年) 三国時代には呉の領域となり、福建の地域は建安郡となる。 南北朝時代は、西方の江西省とあわせて江州と呼ばれた。そして、隋による統一後、いったん 建安郡の名と区域が復活されるが、唐の開元年間になって福州・建州・泉州・汀州・漳州に分割 される。“福建”の名称はここに始まった。
6月30日から7月4日まで四泊五日の行程で、河内長野市中国語愛好会の有志とその家族計8名のものが、世界遺産である 福建省武夷山と厦門・客家土楼等の訪問の旅に出た。これは、 そのあらましを取りまとめたものである。 厦門(アモイ)
厦門と書いて、アモイと読む。福建省の東南部、九龍江の河口に位置する近代的なビルが林立する港町である。厦門本島、 鼓浪嶼島と内陸九竜江北岸の一部の沿海地区からなっている。 明代より貿易港として栄えていた。南京条約で開港されて以降発展した町である。 中国で最も早く対外開放を実施した4大経済特別区 の1つであり、1980年に経済特区に指定されてから急速に発展した。 台湾に対面し東海岸に立てば目の前に、台湾領の金門島が見渡せる。『一国二制度、統一中国』の大きな看板が台湾側住民に 向けられ立っているのが印象的だった。
南普陀寺
アモイ市五老山の下に、唐代の設けられた。当初は普照寺と呼ばれていたが、五代のとき 泗州院と改名され、宋代には旧名に戻った。 清の康煕時代になって現名に改まるとともに、整備され福建省南部の仏教信仰の中心地となった。 現在は前殿、大雄宝殿、大悲殿や蔵経閣 も揃った大寺院になっている。 一日に5千人もの参拝客がある、福建省南部ひいては全国にも有名な寺である。すぐ近くに厦門大学がある。
樟州のバナナ畑 アモイの西隣は樟州市である、その西部の南靖県にある独特の構造物・客家土楼の見学に向かう。海滄大橋を渡り 樟州市に入ると、一面のバナナ畑が広がってくる。走行を重ねてもバナナ畑はたえることなく広がっていく。この樟州は 中国一のバナナの産地だ。道端にバナナや他の果実を売る小さな店がズラリと並ぶ。1軒の店に入りマンゴの乾燥した実などを買う。バナナを1本試食する 、ことのはか美味い。日本人はかっては、このように美味い台湾バナナを食べていたのだ。
客家土楼 客家土楼は、3世紀、異民族の侵入に追われ南下し続けた客家の人々が、安住のために築き上げた 不思議な建物です。客家土楼の外観は、まるで要塞のような強固なイメージがありますが、一歩中 に入ると、生活臭漂う優しい空間が広がっています。
![]()
コロンス島
鄭成功は福建省ゆかりの人物である。清朝に屈せず明朝に忠誠を尽くし「反清復明」の拠点をアモイに置いた。 また、オランダから台湾を開放した武将でもある。 国姓爺(こくせんや)の名で知られ、台湾と中国の共通の英雄として名高い鄭成功は1624年、長崎県・平戸市に生まれた。 父親は明の福建省で海商を営む鄭芝龍(ていしりゅう)、母親は長崎の豪商、田川七左衛門の娘マツ。父の故郷、福建省の「福」と 母親の名前マツから「松」を取って福松と名づけられたと云う。
|