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大同
北京から特急列車に乗って約七時間、大同駅に着く、晴天だと云うのに ここら一帯の空はどんより曇っている。
この町の地下はすべて石炭層であり、ふんだんに石炭を燃料として使うので空いっぱい煙がもうもうと立ち込めて
いる、それで大同市は"煤海""煤都"と言われている。
石炭を満載し行き交うトラック、そのトラックがこぼした石炭を拾うため荷車と
人がトボトボ行く、この町ならでの風景である。
標高1000メートルの黄土高原にある山西省第二の都市、人口は約120万人。
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大同と雲崗石窟
4世紀末に鮮卑族が北魏王朝を建立する。そして五世紀初め大同市は、
その北魏の首都となり、当時は平城と称していた。洛陽に遷都するまでの約100年間、都として栄えた。
初期の北魏王朝は仏教を非常に崇拝し、信仰厚く国教として奉じた。
紀元446年、太武帝は司徒・崔浩(さいこう)の提議をうけ、仏寺、仏塔を焼払い、僧を無理やり還俗させ、
「太武滅法」と云う仏教史上の大事件を引き起こした。
その後、太武帝は病気に悩まされる。それを滅法のせいだと後悔し、その結果 崔浩を抹殺する。
文成帝が即位すると、まず仏教を回復する。次ぎに当時有名な僧・曇曜(どんよう)に命じ、雲崗石窟を開削させる。
それが第16窟から、高さ13.7mの露天大仏の第20窟までがこれにあたる。
その後、孝文帝が洛陽へ遷都するまでの30年に第1から15窟が彫られた。
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雲崗石窟

"第20窟主仏"

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大同市から西へ16キロメータ離れた武周山の南麓に、洛陽の龍門石窟、敦煌の莫高窟と並び中国三大石窟の
1つである雲崗石窟がある
"東部窟第3窟仏像"
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"第 7 窟, 頂 部 の 飛 天 像"

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・石窟は東西1Kmに達し、主な石窟は53
窟ある。
・仏像は、大は高さ17mのものから、小は
2cmのものまで大小あわせ約五万三千ある。 |
 
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