武漢 

 武漢は湖北省の省都である。長江とその最大の支流・漢水はここで会して流れる。 市街は、武漢三鎮と呼ばれる武昌、漢陽、漢口からなっている。

 1957年に、長江をまたぐ史上最初の橋が、ここ武漢で架けられた。長江は東西に上海と重慶を結び、鉄路は南北に北京と広州に 結ばれている。

 交通、商業の要所として栄え、三国志の舞台としても有名である。3500年の歴史を有する歴史文化の都市として、自然と人文の 観光資源は極めて豊富である。
 ここから長江に沿って上がれば三峡や神農架などの風景名勝区に行ける。


 
小雨煙る武漢大橋(1)
武漢大橋


小雨煙る武漢大橋(2)
武漢大橋




黄鶴楼
黄鶴楼1 黄鶴楼2


  長江南岸の蛇山の上に、長江大橋を見おろす様に立っている。 湖南の岳陽楼、江西の滕王閣と並んで、江南の三大名楼と称されている。高さは51.4mで、合わせて5層ある。

 登ると長江のゆったりとした流れと、それをひとまたぎする武漢長江大橋が見渡せる。
 創建は三国時代、孫権が劉備の攻撃に備えた物見櫓だったという説もあるという。

 三国時代から多くの詩人達がこの建物を題材に詩を作った。現在のものは、清代のものをモデルに1981年に再建されたものである。


 
黄鶴楼4 黄鶴楼3


黄鶴楼6
   昔人 すでに黄鶴に乗りて去り

   此の地 空しく余す黄鶴楼

   黄鶴 一たび去って復た返らず

   白雲千載 空しく悠悠

   晴川歴歴たり 漢陽の樹

   芳草萋萋(せいせい)たり鸚鵡(おうむ)洲

   日暮 郷関何れの処か是れなる

   煙波 江上 人をして愁えしむ




黄鶴楼の謂れ
 むかし、武昌に辛氏という貧しい居酒屋があった。
ある日、風采のパットしない老人が来て酒を飲ませてくれと言い、辛氏はいやな顔もせずに毎日飲ませてやった。
 半年ほどたったある日、その老人が辛氏に言うには、酒の借りがだいぷたまったので、おかえしをしたいといって。
そして、みかんの皮で壁に黄色い鶴の画をかいた。
 その絵の鶴は、客が手拍子をとって歌うのにあわせて壁から出て舞ったので、人々は足繁くその居酒屋にやってきては、酒を飲み鶴を 見に来た。
 十年ほどで辛氏は巨万の富をきずいたが、くだんの老人ー実は仙人ーがまたふらりとやって来て、笛を吹くと画の鶴が壁から出て来て、その人は鶴に乗って飛び去った。  辛氏はそれを記念して楼を建て、黄鶴楼と名づげた、という伝説がある(『武昌志』)。




     茫茫九派流中国   茫茫たる九つの派中国を流れ
     沈沈一線穿南北   沈沈たる一線南北を穿つ
     煙雨莽蒼蒼     煙れる雨 莽 蒼蒼
     亀蛇鎖大江     亀と蛇と大江を鎖す

     黄鶴知何去     黄鶴何へ去れるを知らんや
     剰有游人処     剰されて有るは人を游ばしむる処
     把酒酹滔滔     酒(さかずき)を把ちて滔滔たるにそそぎちかえば
     心潮逐浪高     心の潮浪を逐いて高まりくる


                               (1927年 毛沢東・作)



黄鶴楼5




帰元禅寺





 漢陽の西端にある武漢最大の寺院である。清代(1644~1911年)の初期に白光、主峰という二人の僧侶によって建立されました。

現存の建築は、清の同治3年(1864年)光緒21年(1895年)及び民国の初年に続々と再建したもので、蔵経閣、大雄宝殿、羅漢堂、念仏堂などがあります。



帰元禅寺




 特に見応えのあるものとして、蔵経閣内の白玉の仏像、貝葉真経(多羅樹の葉に書き、閉じて保存した仏教の経典)、 7,000余巻の仏教経巻のほか、インド、スリランカ、ミャンマー、タイ、日本などが互いに贈りあった各国文字の仏教の経典があります。 また羅漢堂の中の喜怒哀楽、姿が違う500羅漢および千手観音像は、いずれも珍しい文化財です。




晴川閣



 中国は古代よりづっと長江などの大河の氾濫に悩まされてきた、夏王朝を築いた禹(う)は治水に大きな功績があった。  明代に、その禹の功績を称えるために建てられたのが晴川閣である。武漢長江大橋の漢陽側の袂にある。

晴川閣から望む武漢大橋
武漢大橋