荒れ狂う巨竜・長江
長江はナイル川、アマゾン川に次いで、世界で第三番目の大河である。チベット高原北東部に源を発し、中国大陸を西から東に
流れ、重慶、武漢、南京、上海を経て、東シナ海に注ぎ込んでいる。その全長は約6,300キロにも及ぶとてつもなく長い河で
ある。
長江は流域面積が約180万平方キロで、そのうち山区は118平方キロ(全体の65%)、丘陵が39万平方キロ(同22%)、
平原・湖沼が23万平方キロ(同13%)を占め、中国の大穀倉地帯を潤している。
中国では大河は「竜」にたとえられる、黄河の「あばれ竜」に対し、長江は「昇り竜」と呼ばれている。長江は何千年にもわたり
氾濫を繰り返し多くの人命を奪ってきた。
武漢、三峡下り、荊州等の4泊5日間の行程中懇切丁寧にガイドを務めてくれた武漢在住の高さんの説明では、「武漢市あたりでの
長江の水位は、平常で海抜21〜23メータ程度である。これが29メーターを超すと、武漢は一帯は大洪水となる」とのことであった。
洪水が発生するのは、4月から10月中旬までの長い期間であり、特に七,八月が最も発生しやすい。
洪水には局地的なものと長江全体に及ぶものとがある。前者では1870年、1981年の上流での洪水、1935年の中流での
洪水が知られている。また、後者では1931年、1954年の大洪水である。
アメリカの海洋大気局が20世紀に起きた洪水、台風、干ばつ、竜巻などの気象災害から合計15選び「世界の気象現象」を発表した。
その中で死者数からみて最大のものは1931年の長江災害で、死者、行方不明者は約370万人であった。20世紀最大の気象災害は
長江の水害だった。
1998年6月にも、長江では「百年に1度」という規模の全流域に及ぶ大洪水が発生した。全流域に及ぶ大洪水は通算で9回目、
人民共和国建設後は54年に次いで2度目である。宜昌周辺などでは水位が44メートル以上も高くなるという史上最高を記録した。
洪水の期間が二ヵ月にも及び、その間に合計八回の増水ピークがあった。洪水による死者は1320人に及んでいる。
三峡ダム・プロジェクトの歴史
・1919年 三峡ダム建設については、孫文が「事業計画」の中で三峡ダム建設プロジェクトに
触れた。
それ以来、その建設の是非について長い論争が続けられてきた。
・1949年 中華人民共和国成立とともに、長江水利委員会が設置される。
・1954年 中・下流域で百年に一回規模の大洪水が発生。死者3万人、100万人が家屋流失。
・1956年 長江水利委員会が63年にダム建設着工と方針発表。
・1965年 文化大革命が発生、三峡ダム建設プロジェクトは棚上げとなる。
・1983年 三峡ダム事業化調査報告が出される。
・1992年4月 全国人民代表会議で、三峡ダム着工を決定。ただし、棄権・反対票が全体の3分の1
にも達した極めて異例な採決であった。
・1993年1月 「長江三峡工程開発総公司」設立
8月 三峡ダム建設のため全国の電気料金が引き上げられる。
・1994年12月 着工式
・1997年11月 長江本流を堰き止める。建設は第2期工事に入る。
・1998年6月 「百年に1度」という規模の大洪水が発生。
・2002年12月 第2次仮締め切り
・2003年6月 第2期工事完成(予定)
一部発電開始。ダム湖の水位は海抜135メートルまで上昇する予定。
・2009年 すべての工事完成。ダム湖の水位は海抜175メートルまで上昇する予定。
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「三峡ダム」の概要
・三峡ダムは、洪水防止、電力供給、水運改善を主目的に建設される。
・「万里の長城」建設以来の大工事といわれる「三峡ダム」建設は、1993年に着工し、2009年に完成予定の17年間に及ぶ史上空前の土木工事である。
・総発電量は1820万キロワット、年間発電量847億キロワット時(中国の総発電量の約10%)で世界一の規模である。
・流れが速く水深が浅く幅も狭いため航行上の難所が多いが、ダム完成によって水位が上がると、これらの難点が解消され輸送能力が1,000万トンから
5,000万トンに増え、輸送コストが40%近く下がると言われている。
・貯水池規模:面積1,084平方キロメートル
水没耕地面積:2.8万ha
水没地区人口:84万人(1992年)
建設工事のあらまし
・ダム建設工事の内容は「河の流れを変える工事」「ダム及び発電所の建設」「船を運航させる設備の建設」に分類される。
そのうち、流れを変える工事が3段階に分けて行なわれることから、工事は3期に分けて行なわれる。

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第一期(1993〜1997)
・準備工事
・右岸仮締め切り:右岸の中州の右側の支流を締め切る
・河道掘削 :分流水路の工事
・右岸導流壁建設:縦方向のコンクリート堰を構築
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第二期(1998〜2003)
・左岸の締め切り:本流を堰き止める横方向の堰を二本構築
・ダム左岸建設 :恒久的構造の閘門水路とシップリフトの構築
・発電機据え付け:14機を据え付け、運転開始
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第三期(2003〜2009)
・右岸の締め切り
・ダム右岸建設 :ダム本体及び発電所の建設
・発電機の据え付け完了:12機を据付け、全面運転を開始
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(ダムの工事図等は雑誌Newton(2000.4)から抜粋し使用させていただきました。謝謝!)

2002年5月31日午前5時半過ぎ、三峡ダムの工事現場にさしかかる。午前6時に発破工事があるのでそれまでに通過せねば
ならなかった。
デッキに出ると朝靄のなかにぼんやり工事中のダムの姿が浮かび上がってきた。馬鹿でっかいモノを近くで見る、あまり近すぎて
全体像が好く分からない。いづれにしても大きいということしか認識できなかったようだ。

2003年から貯水がかいしされる。このダムが完成すると最大で393億立方メートルの水が蓄えられる。現在日本のあるダム
全て(約2,600個)の貯水量を合せても206億立方メートルにすぎない。その大きさがうかがい知れる。
水没する市は、13市。住民の移動は、約113万人に及ぶとされている。水没する歴史遺産は、1,208基である。
 
水没する遺跡や史跡
三峡とその周辺地域は、古くから交通の要所であった。また、三国志の主要舞台でもあった。その為多くの遺跡や史跡が残っている。
これらには国家級と省級の「重点文物保護単位」(重要文化財のこと)が10数箇所含まれている。「白鶴梁」「張飛廟」「屈原墓」などで,
いづれも古い歴史と逸話をもっている。
「三峡ダム地区の文物を救え」(’99年2月24日の人民日報)など、文物を救い出そうとする動きがあるが、移転先の確保、資金の確保、文物の
数が余りにも多く時間的に間に合わない、遺跡の盗掘・横流しなど 問題が多すぎて、このままではダムの完成時点では最大でも20%
しか救い出せないと云われている。
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| 張飛廟 | 屈原墓 |
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