◆◆◆発症まで◆◆◆

◆◆◆兆候◆◆◆
いま思えば高校時代にはその兆候があったんだと思います。
中学時代も時々は朝礼の時に気分が悪くなって座り込んだ事はありましたが
高校に入学してからその回数が急に増えました。
通学に利用していた20分間の電車の中で気分が悪くなり、
引き返す事もしばしばで
宿泊学習や修学旅行で長時間バスに乗って遠出すると必ず具合が悪くなり
ひとりで部屋で寝込んだりもしました。
当時、母は高校を退学させようかと思っていたらしいのですが
私自身は高校生活が楽しくて仕方がなかったのでそんな事は考えもしませんでした。

◆◆◆発症から診断まで◆◆◆
大学は家から電車で片道2時間半程かかって通学していました。
一時はアパートも借りていたのですが、
女子学生の数が全学生あわせてもひとけたしかおらず、
周りが全員男子でしかも、いまでいうストーカーまがいの人までいて
早々に自宅通学に切り替えてしまいました。

学生生活はというとたいへんでした。
高校時代も女子生徒が少なかったのですが、先生も級友も皆優しくて
女子を守ってくれているようなところがあったのですが、
大学に集まった男子は高校や大学付属の学校では中学から男子校で
女子に対する感覚が小学生のままといった感じで
私が誰かとぶつかったりすると「肩が触ったからつきあってる」だのと
信じられない事を言い出す始末でした。
確かに親しくしてくれる男子も何人かいましたが、そんな男子が多いので
信用しきれず、とても孤独を感じていました。

通学の疲れと精神的な疲れがひどかったせいでしょうか、
大学1年の夏頃に下血がありました。
その時は「どきっ」としたものの母に相談すると「痔じゃないの」と言われて
「どこも痛くないし、そうなのか」と納得してしまいました。
実際、その時は間もなく下血も治まったのでたいして気に止めませんでした。
そんな事を何度か繰り返しているうちに
今度はケチャップ状の血便がでるようになりました。
腹痛もひどくなって通学の電車の中であぶら汗を流している事もありました。

いよいよこれは痔ではないと思った私は病院に検査にいきました。
検便をしたものの、次の外来時には血便も治まっていました。
医師は「治まったなら大丈夫でしょう」と言って
結局、診断はつきませんでした。
医師はそう言ったものの、大丈夫ではないと感じた私は
再燃の度に病院をいくつか変えて検査しました。
ですが、どこへ行っても自然治癒する事もあって診断がつかず、
しかもある医師には
「そんなに病院をかえるのは医師を信用していない証拠だ。そんな事をするな」と
怒られた事もありました。
その頃最終的についた病名は“過敏性大腸症候群”でした。

その後、大学2年生の終わり、いよいよ精神的にも追い詰められてきた私は
軽いノイローゼの様になり、両親に相談して大学を1年間休学する事になりました。
そしてその年の秋、また病気が再燃しました。
「今回もしばらくすれば治る」と思っていたにも関わらず、病状はさらに悪化し
口からものが入ると直後にお手洗いにかけ込むような感じで
ベッドから起き上がれる事もできず、
父が頼みの綱で相談した看護婦をしていた私の従姉妹の勤務先の医院に
たまたま潰瘍性大腸炎の患者さんがいた事から疑わしいとされて
緊急で大学病院に入院して、検査を繰り返した結果
明らかに潰瘍性大腸炎という診断がついたのでした。

結局、発症してから診断がつくまで2年半あまりかかってしまい、
私の病状はかなり進んでしまっていたのです。


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