女王様・1 今から20年ほど前のイギリス、「アドリブの長いロック」とか「ピンク・フロイドが2年かかって作った大作」とか「スタジオで作ったポップス」とか、そういうものをパンクが一度壊してしまった。パンクの面々は演奏がひどかったので問題外だが、そのあと出てきたニュー・ウェーブのギター・バンドは、「曲が短くてキャッチー」「アドリブがない」「ブルースに根付かない」といったパンクのいい面を消化して、商業的にもけっこう売れたのである。 代表格はポリスとプリテンダーズだと思うが、今回パリにそのプリテンダーズがやってきた。初期のプリテンダーズはソリッドでシャープ、どの曲も小気味よくできていて本当にかっこよかった。サウンドの要だったハニーマン・スコットが死んでからはクリッシー女王様のワンマンバンドになって、ギター・バンドからは遠ざかったが、最近オリジナル・ドラマーが戻ってきたのを機に、昔のスタイルに戻ったのである。 彼女の曲作りは、しばしば「キャッチー」という言葉が使われる。数年前アコースティック・ライブのアルバムが出て、生ギターやストリングスでの演奏を聴けたわけだが、こういう演奏だとなおのことメロディの良さがわかる。 さて、今回のライブはオール立見。周りが西洋人ばかりとあって、うしろでおとなしくしていると小柄な妻は何も見えないので(笑)、がんばってステージ目の前、クリッシーから5メートルもない距離に陣取った。ちょっと端っこなので他のメンバーはよく見えないのだが、今のプリテンダーズはクリッシーさえ見れればいいのだ(笑)。これだけ長いキャリアでメンバーも次々変わりサウンドも変わっているのにずっとプリテンダーズを名乗れたのは、クリッシーがいるから、彼女のあの声があるからなのだ。相変わらず微妙に音程が外れるヘタウマでぶっきらぼうなボーカルだけど(笑)。 初めて生身を拝むクリッシーは、想像より背が高い。もう40代半ばだが、相変わらずスリムで格好がいい。やはり古いヒット曲が中心なので、誰もが知っている。キーボードがいるにはいるが音はほとんど聞こえず、やはりロックは4人(ボーカル+ギター+リズム・セクション)でやるのが一番キレ味がいいのだと改めて感じる。 というわけで、女王様シリーズ・1は、文字通り手の届くところにいらっしゃった。スカート姿を見せたことのない、となりの酒屋のおねえさん、という風情であった。 次回は本物の女王様、高いところにいらっしゃる千年女王様のレポートをする。 |
女王様・2 千年女王ミレーヌ・ファルメールのパリ公演はおなじみベルシー、何とこの大会場を4日間満員にする。 前に書いたが、フランス語で来年の千年祭を「ミレネール」と言う。それと彼女の名前を引っかけたのが今回の「ミレネール・ツアー」である。今年出たアルバムは彼女としては実は今一つの売れ行きなのだが、それでもチャート初登場1位であった。 今回のテーマはどうやら「エキゾチック」だったようだ(一部関係者笑)。まずステージには高さ5メートルほどの巨大なエジプト風の像。その口から宙を舞ってミレーヌが登場し、手の平に乗ってステージに降りる。バックダンサーは大半が東洋系。千年祭はキリスト教の話なので、よく考えるととんでもない異教的なふるまいなのだが(笑)、そこはまあ芸能界のことなので許すとして、花火にドライアイスに、目一杯演出がされていた。 会場は開演前から「ミレーヌ、ミレーヌ」の大合唱。今さらながら女王様の人気のほどが伺える。夜9時からということで前座もなく、珍しく時間通りに幕が開くと興奮のるつぼ(一部関係者笑)。アリーナの立ち見席からは、気分が悪くなって失神状態になる女性が10分に1人くらいの割合で担ぎ出されていく。 ミレーヌの歌というのは相変わらず二線級アイドルのレベルなのだが、なんたって女王様なので誰も気にしない。特に、だんだん音程が下がるという致命的な癖があって、無伴奏で始まる曲だと、途中から入るバンドの演奏がちょっとだけ音程違っててハラハラする(笑)。モニタリングがうまくできてないようにも見受けられた。でも女王様だから、いいのだ。 それにしても、本当にスターとしての彼女は完璧である。現実とは思えないくらい美しい。あの独特の派手なヘア・スタイル、何も着てないかのような衣装から透けて見えるプロポーション(来年40歳なんだけどね)。そして、消え入りそうな声で歌うバラード。彼女はバラードを歌っている途中で必ず本当に泣き出すのだが、ステージ横の大スクリーンにアップで写るその表情の美しいこと・・・。 これは本物の女王である。 さて、まもなく今度は女王シリーズ・3、歴史上の女王(?)、シルヴィー・バルタンのコンサートがある。これも楽しみ。 |
シルヴィー・バルタン フランスのポピュラー・ミュージックの世界では、ロックは今に至るまで主流になったことはない。だが1960年代、ひとつの黄金時代があった。フランスでロックン・ロール調のポップスは「イェ・イェ」と呼ばれ、60年代のあの時代相の中で大ブームを巻き起こしたのである。その中心は、男はジョニー・アリディ、女はシルヴィー・バルタンである。 ジョニー・アリディがアメリカ進出を全くしなかったのに比べ、シルヴィーは幾分他の国でも知られている。日本でもつい数年前「あなたのとりこ(Irresistiblement)」がコマーシャルで使われていたし、今でも「アイドルを探せ(La plus belle pour aller dancer)」はスタンダードになっている。ただ、おおむねその頃のイメージで止まっている。しかし本国ではその後も売れ続け、英米ヒットのリメイクやいわゆる大人のシャンソンぽい分野にも進出して、相変わらず大スターである。そしてこの秋、オランピア劇場に帰ってきた。 会場に行って驚いたのは、観客の年齢層の高さ。60年代からのスターだから当然であるが、それにしてもすごい・・・。今回は平均年齢とか平均体重(笑)とかいう言い方はあえてしない。ただひとこと、「平均体型」だけ述べておく。「中年太り」(笑)。だが、当のシルヴィーは、ちょっと肉付きは中年しているもののスタイルが良くて、かなり激しいダンスもものともせず続けていた。 内容の方はというと、これはシルヴィー・バルタンのライブというより、「シルヴィー歌謡ショー」(笑)。いや、すごくよかったんでからかってるんじゃないんだけど、雰囲気がそんな感じであった。そもそも今回のテーマが、この時期とあって「20世紀のシャンソンを振り返る」というもので、特に前半は自分の持ち歌よりも古いシャンソンが多かった。ミスタンゲットに始まり、ピアフやスタンダードなど。 ところで彼女は60年代、ロックンロールも歌っていたが実はけっこう黒い線も狙っていたのだ。例えば今夜「ギミー・サム・ラヴィン」「メンフィス・テネシー」の2曲を熱唱したのはすごい。どちらも60年代のスタンダード・ナンバーだが、特に、前者はスペンサー・デイヴィス・グループのスティーヴ・ウィンウッド、後者はアニマルズのエリック・バードンの歌で知られる真っ黒なナンバーである。もちろん彼らにかなうはずもないし、これをフランス語で歌ってしまってはなあ、という気もするが、この姿勢はすばらしい。シュープリームスの曲も取り上げていたが、そういえば「あなたのとりこ」のリズムは明らかにモータウンである。 他には、ご主人ジョニー・アリディのゴキゲン(死語)なロックンロール・ナンバー「スーヴニール・スーヴニール」と、あのコケティッシュなポップス「アイドルを探せ」を、何とバラードにして歌ってしまう(笑)という意外な展開もあった。極めつけは、最後の曲。アンコールが終わってカーテンが一旦閉まった後、再び開いて全員揃っての演奏は、何と「蛍の光」(大笑)。妻曰く、「紅白みたいだねぇ」。なにしろ、紙吹雪まで降ってくるんだから・・・。 というわけで、「シルヴィー歌謡ショー」は幕を閉じたのであった。いやしかし、シルヴィー・バルタンを生で見れる日が来ようとは・・・。しあわせである。 最後に。本日の文章は、バック・コーラス兼ダンサーの3人の中にいた「ユミコ」という日本人の名を持つ女性、あなたに捧げます(笑)。 |
フル・フル 今日「フランス・ポピュラー・ミュージック事典」みたいな本を買ってきたのだが、その中におもしろい記述を見つけた。「フル・フル」というシャンソンを知ってるだろうか。日本でもかなり知られた、フランスのセンスが溢れる曲である。これが何と1900年の作だということにぼくは驚いたのだ。1900年といったら、フランスのクラシック音楽で言うとドビュッシーはまだ重要な作品を書いてないし、ストラビンスキーもパリ・デビューしていない。サン・サーンスがまだ生きている。そういう時代である。だから何だ、と言われたら返す言葉もないのだが、なぜか「ほほ〜」とうなってしまった。現在の「フランスらしさ」が世紀末とベル・エポックにできあがったというのが、何となくわかる気がした。 「フル・フル」というのは、女性のスカート(当時はもちろん丈が長い)の裾がこすれる音のことを言っている。サビの部分の歌詞は「フル・フル、フル・フル、きっと女はスカートのその音で、男を魅惑するんだわ」という、小憎らしい(笑)内容である。つまり、スカートがこすれるには、くるりと振り向いたり、駆け寄ったり、いずれにしても女性らしい軽い足取りで何かの「動き」をしないと音がしないわけで、そのコケティッシュな雰囲気を歌っているのだ。もう一度言うが、小憎らしい(笑)。何とも言えないいいセンスである。高級感を醸し出す「絹ずれ」の音とはまた違って、日常的でありながらちょっとしゃれた視点(聴点?)である。 フランスには音から入った曲がけっこうある。ピアフの「パダン・パダン」という有名な曲は、実は意味がない言葉である。ピアフが鼻歌みたいに口ずさんだだけの言葉だそうだ。ゲーンスブールの初期のヒットに、改札の切符切りの歌があって、曲と歌詞自体が切符にパンチを入れる音を模している。 |