ヴァリエテ

 ヴァリエテというのは、英語のバラエティ。CD売り場へ行くと、「ヴァリエテ・フランセーズ」という分類のもと、エディット・ピアフもジョニー・アリディも、フランスのポピュラー・ミュージックはすべてここに入る。これは「ヴァリエテ」という言葉でしか分類しようがないからそうなっているのだが、逆に言い得て妙なところもある。 ただしここは、情けないことに、少なくともパリでは一番人気のないコーナーなのである。

 今売れている最もフランス的なアーティスト、といったら、誰になるだろうか。男だったら、エティエンヌ・ダオが人気があるが、決してフランス的ではない。ぼく自身彼のキャラクターは好きだが、音楽は評価できない。ジョニー・アリディやアラン・スーションとなるとやや古いし、これも音楽的にはフレンチではない。 往年のポルナレフのように、あれだけいろんなタイプの曲を作るのに、どこを切ってもフランス的、という、ミュージシャンは見あたらない。 (ま、「フランス的」なるものは実は歌詞にあるのだが、今は音楽の話である)。

 結局、ここ10年のパリを見るなら、マノ・ネグラネグレス・ヴェルトあたりが最もフランス的である。しかし、これは移民の音楽である。もっと純粋にパリの香りを求めるなら、ということは、スノッブに言うなら「左岸的」ということになるが、アルテュール・アッシュあたりだろう。そして、彼の音楽も実は大変古くさい所に立脚しているというのも、「左岸的」であることの後ろ向きな姿勢を反映している。彼も最近あまり話題にならないので、ファンとしては残念である。(ただし、父親のジャック・イジュランの方はいたって元気である。今年は大きなコンサートも予定されている。)

 女性だとおなじみのパトリシアやミレーヌもいるし、若手ならザジーララ・ファビアンが一番人気であろう。でも、日本人が求めるフレンチ、ということになると、Enzo Enzo にとどめを刺すと思われる。かゆい所に手が届くフレンチなので、たいへん気に入っている。春にパリでコンサートがあるらしい。

 ところで、日本が誇るクレモンティーヌであるが(笑)、ぼくはすごくいいと思うけど。こちらもかゆい所まで実にうまくできてるし、本国よりレベル高いと思います。 そうそう、ぼくは柑橘系の果物が苦手なんだけど、普通のミカンだけは食べられる。だから、フランスでもクレモンティーヌなら食べられるのだ(笑)。

黒い鷲

 「黒い鷲(L'aigle noire)」というのは、昨年亡くなったバルバラの大ヒット曲である。必ず黒い衣装で歌う彼女のイメージともいくらかダブっている。ま、彼女は長身なので、どちらかというとコンドルのようであるが・・・。

 知らない人のために少し解説すると、「ある昼のこと(=現実)、あるいは夜(=夢)だったかもしれない」と、現実と非現実の境界を冒頭でいきなり取り払ってしまう異常な詩で始まるこの曲は、いわゆる「愛のシャンソン」ではない。自分の過去から飛んできた黒い鷲と語り合う、という内容である。歌うというより語りまくる彼女の歌としては、語句は非常に少ない。曲にも特徴があって、実は延々同じメロディなのだ。しかも、転調すれば何度でも盛り上げられるという、ライブではたいへん使いやすい(笑)、よくできた曲である。

 最近、日本で手に入らないといけないと思って、フランスのミュージシャンのライブ・ビデオをたくさん買い込んでいる。バルバラは昨日買ったのだが、まあ、彼女なら日本でもあるかとは思ったし、ぼくはこういう「情が深い」歌手はあまり好きではないのだが、バルバラをラインナップからはずすわけにもいくまい。これは1988年、シャトレ劇場での公演である。

 最近はパトリシア・カースがちゃっかり自分の持ち歌みたいにしていて、ぼくが行ったライブでも歌っていたし、あちこちのオムニバスでも取り上げている。バルバラの次は自分の時代である、という自負があるのだろうか。確かに彼女のハスキー・ボイスに合ってはいる。

愛の讃歌

 「黒い鷲」に続いて、シャンソン名曲解説集みたいになってきたが、今度は超おなじみ「愛の讃歌」である。これまた情の深さでは自他共に認めるエディット・ピアフの名曲で、日本でも知らない人はいないというくらい有名であるが、ひとつだけ落とし穴がある。けっこう知られた話だが、知らない人はこれは知っておいてほしい。

 これはまさしく愛を賛美する歌なのだが、具体的には、ピアフが数多い恋愛遍歴の中でも最も愛していた、と言われる恋人の人気ボクサー・セルダンを、飛行機事故で失った時に作った歌である。要するに「あなたは死んだけど、私たちの愛は不滅である、天国で一緒になりましょう」という内容なのだ。

 ぼくはこの曲を結婚披露宴や二次会で何度か聴いたことがある。しかし、そういうわけで、題名通りのめでたい歌ではない。非常に悲しい歌である。こういう場で演奏するのは明らかに間違っている。

 いろいろ情報を総合してみると、セルダンというのは当時のヨーロッパではたいへんなスターだったらしい。いい男だし、包容力のある人格者だった。なにより、ボクシング・チャンピオンとして強い男であった。すべてがドラマチックにできている。

バラ色の人生

 シャンソン名曲シリーズ(勝手にシリーズ化している)、早くも第3弾。「バラ色の人生」、即ち「ラ・ヴィ・アン・ローズ」について、ほんのひとことだけ書く。

 同じピアフの曲でも、こちらは愛の讃歌とは対極にある。この曲は文字通りにとっていい。数あるシャンソンの中でも、ぼくが一番好きな曲でもある。もちろん、ピアフ以外にもいろんな人が歌っている。映画「麗しのサブリナ」でも、効果的に使われていた。

 この曲はやはり、アコーデオンの伴奏オンリーで、ふわふわ歌うのがいい。しあわせ一杯に歌うのが、そして聞くのが、この名曲に対する礼儀である。

 バラ色とはいわゆる「たとえ」である。だが、パリで、天気のいい日に、バラで一杯の花市を歩いてみてほしい。これは現実でもあるのだ。それがパリという街なのである。

アフリカから

 前に少し紹介したアフリカの女性ミュージシャンたちがこのところ勢いがあって、CD売場やケーブル・テレビで大々的にプッシュされている。今日もパリ・プルミエというたいへん気のきいたチャンネルで、例のナターシャ・アトラスの初期のライブをやっていた。彼女のボディというのが、何というか、これ以上はないというくらいなまめかしい出来映えで、くねりながらあの声で歌われると、もうこれは・・・。「現代のクレオパトラ」という触れ込みも、さもありなんという感じである。

 そのままズバリの「南の女性たち」という番組もあった。フランスでも有名なカメルーンのサリー・ニヨロやブルンジなどの女性シンガーが紹介されていた。彼女らのライブは、技術的にものすごいのである。驚異的な変拍子を息もつかせぬ速さで完璧に演奏する。それも、踊りながらである。こうなるともはや身体能力の違いというか、本能の違いとしか言いようがない。

 言うまでもないが、音楽は本来踊るもの、踊りまでいかなくとも運動的なもの、あるいは運動の方が表現を持てば、いわゆるパフォーマンス的なもの、と常に一緒にあったはずである。もちろんそれは宗教・呪術という形を取るものも多い。そんな中で「音楽だけ取り上げてもけっこういけるぞ」というものだけが、椅子にすわって聞かれるようになったに過ぎない。クラシックとて例外ではなかったはずだ。クラシックの現代音楽がからっきし魅力がないのは、その「に過ぎない」という謙虚さを忘れているからだと思う。身体・運動といったものと離れて存在している音楽は、歴史的・地理的に見てもいわゆる現代音楽しかないのだ。もちろんいくらかは舞踏などと結びついた作品もあるが、全体的にはマイナーな存在になるのは必然である。

 似たような話で、かつてビートルズの「サージェント・ペパーズ」が最大級の評価をされていたのに、その後パンク・テクノ・レゲエ・ハウス・ラップ・エスノといった動きの中で、あのアルバムがロックから取り返しの付かないものを失わせてしまった犯人である、ということは定説になってきた。ぼくも全くそう思う。

ミレーヌとミシェル

 ミレーヌ・ファルメールというフランスのトップ・アーティストがいて、それはそれは素敵な女性である。ステージはマドンナやジャネット・ジャクソンのようなダンス中心のド派手なものなのだが、彼女自身はいかにもフレンチ・アイドルらしい、か細いルックスと声を持っている。そして華がある。もう40歳近い大御所だが、とにかく若々しい。

 彼女はあまりテレビには出なくて、アルバムとツアー中心の活動をしている。したがって、コンスタントに露出があるタイプではなく、何年かに一度話題になるタイプである。その彼女が、今年は新しいアルバムを出す予定で、さらには自分の名前ミレーヌと千年祭(ミレネール)を引っかけた大々的なツアーをやる。ぼくもチケットを入手したが、なんと9月の公演なのに、もう勢いよく売れているらしい。

 よく見かける彼女のビデオ・クリップは、前回のツアーのライブ。ライのスター、ハレドとのデュエットである。曲目は何とミシェル・ポルナレフの70年代の大ヒット「ノン・ノン人形(La poupee qui fait non)」のカバー。この選曲は、涙モノである。

 思えば、日本の70年代初めというのは、今よりずっとヨーロッパのポップスがテレビに流れていて、いい時代であった。ぼくはまだ小学生だったが、やや年の離れた姉がいる関係で、よく見たものである。ごく普通の日本人が、リアルタイムでフランスのスターを見たり歌を聞けたりしたのだ。ミシェル・ポルナレフも、日本でもヒットを連発した。一番有名なのは「シェリーに口づけ(Tout tout pour ma cherie)」。どちらも今ではちょっと恥ずかしくなるような邦訳だが、前者は「ノン・ノン」、後者は「トゥ・トゥ」というおしゃれなルフラン(繰り返し)が印象的で、これぞフレンチ・ポップスの王道であった。彼の曲はアレンジもちょっとひねってあって、今聞いても新鮮である。

 近年フランスでも日本でも人気が再燃しつつある。日本のヒット・チャートとフレンチ・ポップスがシンクロしていた時代があった、ということを、ぜひ知ってほしい。

パリ・チケット・ガイド

 今日は久々にミニテルでコンサートのチケットをまとめ取りした。久々に、と書いたが、チケット販売のページがうまく動いてなかったのだ、実に3週間も(笑)。

 ぼくが使っているのは、FNAC(書籍・CD・電化製品・カメラの最大手小売店)のチケット販売システムであるところのBilletelというところである。インターネットのFNACのページでも同じことができるのだが、セキュリティとかの関わりでうまくいかなかったりするし、夜間は購入システムが動いてないので、ミニテルの方が早い。

 ロック/ポップのジャンルの今後の来仏ラインナップは、英米に限ると、まずまもなくクランベリーズがやってくる。それから、ブルース・スプリングスティーン、レニー・クラヴィッツ、ビーチ・ボーイズ、R.E.M.、セリーヌ・ディオンといったメンバーである。中どころはやたらにあるが、トータルに見ると、この分野に限っては何となく日本の方が例年充実しているような気がする。

 パリらしくておもしろいのは、例えば6月にはロック/ポップのコンサートが大小100近くあるのに、8月には何とひとつもないことである。8月はバカンスなのでパリの人はいないのである。そんな時期に客は来ないのである。この徹底ぶりがすごい。まあ、いくら何でもひとつもないということはあり得ないので、少なくとも大物は8月を避ける、ということであって、まだ4月なので、これから中小のコンサートが多少入ってくると思う。ちなみに、夏のバカンスがある国では、イベントのシーズンは9月に始まり7月に終わる。8月はそもそも空白なのだ。代わりに、地方のリゾート地で音楽祭・演劇祭などがある。

 さて、肝心のフレンチ・ミュージックであるが、ひとつすごいのがある。ジョニー・アリディがオランピアに登場する。ただし、これは今シーズンではない。何と西暦2000年の7月である。まだ1年以上ある。しかし、もうチケットの販売は始まっていて、少なくともこのBilletelに割り振られた分はもう完売している。さすがである。

 なお、パリのチケット情報に興味がある人は、ここで見られる。

 http://www.fnac.com/ から、Billetterie → Recherche へ。

 ジャンル(Genre)を選んでRechercheを押せば、あとは何も指定しなくても答えは返ってくる。