デペッシュ・モード フランスではデペッシュ・モードの人気はまだ絶大なようだ。そもそも名前もフランス語だし、あの黒づくめファッションだし。10月にパリ・ベルシーでコンサートがあるということで、チケットを買ってしまった。ベルシーといえば、エルトン・ジョンやフィル・コリンズといったクラスが使う大会場で、これだけでも彼らの人気がわかる。 彼らのアルバムは全部持ってるが、最近のはあんまり聞いていない。アルバムとしては "101 live" が一番好きだが、まあライブということで別に扱うとして、やはり "music for the masses" が最高だろう。あれはもう越えられないと思っている。最初の "Don't let me down again" はよく聴くと不思議な曲で、デヴィッド・ガーンのボーカルは上下3度の音程の中でしか歌ってないのだ。それなのに、すごくメロディアスに聞こえるのである。これには驚いた。 こないだ宣伝のためかテレビで最近のライブを放送していた。知っている曲が数曲しかなくて、ちょっと不安である。 デヴィッドがなんと肩を越える長髪にひげまで生やしている。 こんなに変わっては、"everything counts" なんかもうやってくれないのかなあ。ましてや "just can't get enough" なんて論外かなあ。聴きたいなあ・・・と言ってるうちに、彼らのライブは5日後に迫っている。日本に里帰りしている妻が、この日に間に合わせるために、家族の慰留を振り切って帰ってくる。 早く聴きたいなあ。でも、イレイジャーも聴きたいなあ。 (コンサートの事後報告はこちら) |
God only knows おなじみブライアン・ウィルソンの名曲だが、ぼくにとってはありとあらゆる音楽の中でも5本の指に入る大好きな曲である。オリジナルはもう絶対的存在だが、数あるカバーのうちでは、若き日のオリヴィア・ニュートン・ジョンとクロディーヌ・ロンジェのがいい。どちらも大甘メロメロである。マンハッタン・トランスファーまで取り上げたが、彼らにしては選曲ミスだった気がする。でも、この曲を歌いたかったんだろうな。その気持ちはよくわかる。 ビーチ・ボーイズの歴史を綴ったビデオの中で、弟のカールが、この時期のブライアンはドラッグのせいで「この世のものではない音楽を聴いていた」と言っている。この表現はすごくリアリティがある。確かに、この美しさはもはやこの世のものではない。 このビデオの中で、インタビューされるブライアンはほとんどベッドから起きられないままである。見るからに不健康に太っている。ところが今になってみると、弟のデニスもカールももう死んじゃったのに、ブライアンは意外にも健在で新譜も出している。おまけに娘は健康そのものでスターになった。世の中わからないものだ。こういうのを God only knows と言うのだろう。 ところで不幸なウィルソン一家と言えば、やはり亡くなったキャンド・ヒートのアル・ウィルソンも身内だったと記憶してるが、事実だったろうか。誰か本当のことを知らないかな。 (追記:この曲のリアル・オーディオ・ファイルがなぜか CDnow に見つからなかったが、意外にもフランスで見つかった。ここの Piste 12 がこの曲。) |
ポーグスのシェーン アイリッシュのシェーン・マクガワンは生粋のパンクスであった。「パンクロック・ムービー(だったと思う)」という有名なドキュメンタリーで、彼は冒頭を飾る。ここでは、いかにも、という感じの女と狂ったように踊ってみせる。既に前歯はなかったかもしれない。 次に彼が姿を現したのは、ポーグスのボーカルとしてであった。アイルランドのパブ・ソングやオリジナルをひっさげて、多勢で楽しい演奏をするバンドだった。彼のステージでの酔っぱらいぶりは有名で、歌にならなかったりキャンセルしたりで、結局クビになった。しかしポーグスは、初期のトラッドな名盤やアルバム「堕ちた天使」、それに不滅の名曲 "Fairytale of New York" (何度聞いても涙が止まらない)を残している。 クビになった彼は「ポープス」(まんまやないか、怪しすぎる。)というバンドを結成して活動を再開した。そのシェーンがパリへやってくる、という情報が突然流れた。われわれにとっては、アイリッシュ・パブの興奮が醒めやらぬ9月5日である。会場はバスチーユのカフェ・ド・ラ・ダンスという、名前はステキだが聞いたことのない所だ。 たいへんわかりにくいその路地裏にわれわれが着いたのは、午後7時10分。開演より10分遅かったが、当然まだ開いていなかった。カフェはシャッターで閉ざされている。人も30人くらいしかいない。モノがモノなので、どっちかっつーとかっこよくない人たちだ。 そのうち人が集まってきた。120人くらいだろうか。せいぜいこれくらいのキャパシティなのだろう、それ以上は増えない。で、8時になってもシャッターは開かない。開演が遅れるのに慣れているフランス人だが、苦笑いを始める。なにしろ相手は、あのシェーンなのだ。開演予定が7時と早かったため食事をしてない人が多いらしく、こりゃ長期戦だ、と、サンドイッチやビールを買ってくる人たちもいる。コンサート前なので、みんなそわそわしている。 9時になった。だんだんみんな不安になってくる。シャッターすら開かないし、カフェ側のアナウンスもない。そもそも中は人の気配が全くないのだ。酔っぱらいが歌い出した。みんな一緒に歌って励まし合う。冷静な人は携帯電話であちこち問い合わせる。冷静でない人はシャッターに蹴りを入れて、「開けろ、コノヤロー」と叫ぶ。チケットの裏面の払い戻し事項を読み始める人も増えた。 9時半を過ぎた。携帯で話していた人が最期通牒を発した。「セタニュレ!」。みんな信じたくない顔をしている。せっかくの土曜日に、狭い路地で3時間も待ったのだ。 みんな、やっぱりシェーンだった、という顔をしている。パリの路地裏では、こういう人間模様が展開されているのである。 |
幻のストーンズ ストーンズのツアーが始まった。パリにもやってくる。ワールド・カップが終わった後のスタッド・ド・フランスで、コンサート会場としてはこけら落としになる。7月25日と26日の2回。ぼくは26日の一番いい席をミニテルで予約した。 ぼくにとってのストーンズは、まずはゴッドスターのブライアンで、次にキース、本来なら次がミックだったがロン・ウッドが入ってからはさらにその後塵を拝している。キースのヘタウマなリフと化け物のような顔は、誰も取って代われない。男としてかっこいいとしか言いようがない。ロン・ウッドが好きなのは、フェイセズが好きだったからである。フェイセズが好きだったのは、ロッド・スチュアートが好きだったからである。ロッド&ロンのキツツキ・ヘアのコンビはストーンズとは違う華があって、往年のブリティッシュ・ロックのファンにはたまらなかった。当時を知る者としては、ロン・ウッドはストーンズには似合わない。この辺のからみでは、スモール・フェイセズにハンブル・パイという、話し出したらやめられない、かつては懸命にコピーしたお気に入りバンドがあるのだが、それはまたの機会にしよう。 もちろんミックも大好きだ。彼には何をやっても憎めないところがある。ボーカル自体はうまいと思ったことは一度もないが、スターだからそんなことどうでもいいのである。セクシーだと思ったことも一度もないが、中年太りしないので偉いのである。 さてさて、いつもなら1週間以内にくるチケットがなかなか来ない。問い合わせてみたら、26日はキャンセルになったとのこと。希望者は25日に振り返てくれるが、もう最悪の席しか残ってなかったので、今回はあきらめることにした。がっかりである。 そもそも7月26日にしたのは訳がある。この日は実はぼくの誕生日なのだ。しかも他ならぬミックの誕生日でもあるのだ。それでこういうことになったというのは、ミックのせいだ。おまえが悪い。何をやっても憎めない、ではすまされない問題だと私は思う。 |
デペッシュ・モードのコンサート報告 (ここからの続き) という訳で、行って来た。何と "just can't get enough" をやってくれた。それもアンコールの最後、コンサートの締めくくりだった。 会場のベルシーは、正式にはOmnisportといい、その名の通り本来は総合体育施設である。アリーナがあって、そのまわりに天井まで座席がある。われわれは運悪く天井近くの遠い席だった。本当はアリーナの前の方で立って見るのが一番ステージに近くていいのだが、今回は妻の飛行機疲れもあり、あえて立ち見はやめた。この会場でのコンサート、みんなやたらとタバコを吸うのである。屋内施設で万の桁が入るのに、である。もちろん本来は禁煙で、灰皿などない。すわっている人も、立ち見の人も床に吸い殻を落とすのである。防災の観点から見ると恐ろしい。さすがは喫煙先進国(禁煙後進国とも言う)である。われわれの席から見ると会場は白く曇っていて、ステージは霞んでいる。 前座が終了したのが9時少し過ぎた頃、そのあとだいぶ待たされた。超満員の客はスタジアムよろしくウェーブをやって楽しんだ。10回くらいやっただろうか。30分近くしてようやく会場が暗くなり、DMの登場。中央後方に幻灯のようなのがあってここにスライドが映る。その左にD、右にMのテカテカのサインが光る。キーボードが3人にヴォーカル、これは昔からだが、最近のDMはドラムスがいて、マーティン・ゴアはキーボードよりギターを持っている方が長い。90年代のギター・バンドみたいな音を出すときもある。さらに信じられないのは、最近は女性コーラスも2人付く。かつてのDMとはだいぶ違う。 4曲目の "Don't let me down again" で一挙に盛り上がった後は最後まで突っ走った。ところどころデヴィッドが引っ込んでマーティンのリリカルな歌が入る。驚いたのは、英語の歌が苦手なフランス人なのに、ほとんどの曲を一緒に歌っていることである。先日この会場で見たエルトン・ジョンのようなヒット・メーカーでさえ、大半の観客がこんな風に歌詞を知っているということはなかった。われわれの席からはむしろ観客の声の方が大きくて、ステージの音が聞こえないくらい。 というわけで、たいへんよかった。マーティンがボーカルを取る曲がぼくが思っていたよりも多かった。例の "101 live" のビデオ版で見せる、舞台裏のデヴィッドの疲れ切った姿が思い出されるが、あれからずいぶん経ったけどまだライヴは大丈夫、という感じである。 |
ピチカート・ファイヴ 日本のピチカート・ファイヴがパリでコンサートをやったのは今年の6月20日。覚えてるだろうか、運命のクロアチア戦があった日の夜である。会場となったパリ日本文化会館では、そのころ「Tokyo Pop Groove(だったと思う)」という展示をずっとやっていて、その一環として彼らのコンサートがあったわけだ。この展示では、60'sのムードあふれる日本のアーティスト達のポスターやCDジャケットが展示されていた。もちろんビデオ・アートも上映。 ピチカートはぼくも大好きだけど、コンサートは実は行ったことがなくて、今回が初めてだった。本来コンサート会場じゃない場所だし、日本で日頃どんなだか知らないので、コンサートの評は特に書かないけど、楽しかったですよ、はい。半分くらいがフランス人で、残りは、それっぽい日本人がそれっぽい服装で集まって来た(この人たちは日頃どこで何してる人たちなんだろう?)。小西さんも大奮闘だった。 ところで、ロンドンは知らないけど、パリにはあのSwingin' 60'sのムードはもう全くない。むしろあの手は渋谷が中心なので、逆輸入された感じ。売れてるミュージシャンやアートの傾向を見ても、この手はマイナーでマニアックなものに留まっている。ぼくなんかは、もう少し名残やリバイバルがあると予想してたんだけど、悲しいかな、これが現状である。 くやしいので、今、メアリー・ホプキンの"Post Card"を聞きながらこれを書いている。ちょっと傾向が違うけど、あの時代ならではの名盤である。 なお、ぼくとて60'sをリアルタイムで知っているわけではない。念のため。 |
Jimmy Somerville 近年とんと話題のないジミー・ソマーヴィルだが、フランスのテレビではよくビデオ・クリップが流れる。ただし、数ある彼のヒット曲の中の1曲だけである。何かと言えば、当然「さよならは言わないで(Comment te dire adieu)」である。これはフランソワーズ・アルディがオリジナルだから、フランスで人気があっても全然おかしくない。フランス人はダンス・チューンが好きだから、彼のこのアレンジは心地よい。 ここでの彼はジューン・マイルズ・キングストンという丸っこいおばさん(失礼)とデュエットしているが、ビデオ・クリップでの彼女のモタッとしたルックスが60年代していてすごくいいのだ。ジミーにしてはドライ(彼はなにしろウェットなのが多いので)で爽快なフレンチ・ポップ感覚が全編にあふれている。もちろんフランス語の語感がだいぶ助けてもいる。 フランスには、チープという言葉がぴったりのエレクトロ・ダンス・ポップが溢れていて、本当にうんざりする。歌ってるのがアイドル系の男の子・女の子グループだったりするので、歌もひどい。まあたいていは口パクだけど。それにしても、あの暗い「ドナ・ドナ」をユーロビートにして、少年アイドル3人組(4人かな。どーでもいいや。)に歌わせるセンスは、あいた口がふさがらない。これがまた売れるから情けない。少しはジミー・ソマーヴィルのカバー・センスを見習っていただきたい。 彼も何かしてくれればよかったのだ。彼はソロになってから、このパリに住んでたはずだから。 |
フィル・コリンズ 1970年代半ば、プログレという言葉が現役だった頃、ジェネシスは名のみ高くて日本では聞かれないバンドだった。情報量が少ないのでうわさのライブなんて想像もつかないし、ぼくもそんなに知ってたわけではないが、断片的に聞いていた。「ナーサリー・クライム」は好きだったし、「眩惑のブロードウェイ」の出だしはわくわくした。もちろんこのバンドの主はピーター・ガブリエルだったし、スティーブ・ハケットのギター(には聞こえなかったけど)も認識していたが、途中で入ってきたフィル・コリンズというドラマーについては全く知らなかった。久しく遠ざかった後、"Abacab"で再び会ったときは、懐かしいというより新鮮だった。 ゲート・エコーのサンプリング用として名高い(?)、あの"Sussudio"以降の活躍については、語る必要もない。よく昔からのジェネシス・ファンがフィルのことをとやかく言うけど、ぼくは大好きだからいいのである。ただ妻は、"You can't hurry love"は許せないと言っている。アタマのベースラインでわくわくした後、ダイアナ・ロスではないにせよ女性ならまだいいが、おじさんの声とは何事か、ということだそーだ。 さすがに彼もネタが尽きたかと思っていたら、今度は「フィル・コリンズ・ビッグ・バンド」を率いてフランスに現れた。その名の通りジャズをやるのだ。 実は7月にニースへ行ったとき、ちょうどジャズ・フェスティバルの前日だった。ぼくはジャズを聴かないのでよくわからないが、サルサやラテンも含めたかなり豪勢なメンバーがニースに集合し、ローマ時代の遺跡で1週間演奏をする、というものだった。町外れの会場へは深夜まで無料バスが運行したりして、大いに盛り上がるはずだった。「だった」というのは、何と初日が例の「フランス優勝!」の夜になってしまったからだ。2日目にフィルのビッグ・バンドが出演した。ぼくは10日後のパリ公演をすでに取ってあったので、この時は行かなかった。だから結局このフェスティバルが、サッカーのあおりでしぼんだのか、かえって盛り上がったのか、よく知らない。 で、本題だが、パリ公演はGrand Rexで行われた。ジャズとは言っても、元歌は後期ジェネシスやソロの曲が多い。ただアレンジがビッグ・バンドなので、しばらくしないと何の曲かわからないのもいっぱいある。ロックじゃないから立ったり踊ったりしなくていいし、この会場はイスがフカフカで案配いいもんだから、すっかりくつろいで聞くことができた。当のフィルは、曲やメンバーの紹介と、最後の最後に2曲歌った以外は、後方でリズム・セクションに徹していた。客もポップ・スターのフィルを求める場ではないと承知していたようだった。 そうは言っても、2曲とはいえせっかく歌うんだったら、渋いスタンダードではなく彼のヒット曲を聴きたかった、というのが本音である。それから、彼はフランス語の発音が下手だ。スティングはけっこううまいよ。 |
麗しのパトリシア パトリシア・カースが6月3日からオランピアに登場した。ああいう眼の女性には、ぼくはめっぽう弱いのだ。(ヴァネッサ・パラディもリオもいいけどね。) さて、ギター一本のひんそーな男性が前座を勤めた後、9時半になってようやくパトリシアが舞台に現れた。最新アルバム中心の選曲で、一息に聞かせてくれた。結論から言えば、いろんな意味で彼女は当代きってのシンガーだと思う。 もともとはドイツ国境近くでブルースを歌うシンガーだった彼女だが、はっきり言ってブルージーな感じはあまりない。けれどもマドンナ的なダンス・ナンバーは実にかっこいいし、踊りもすばらしい。最近亡くなったバルバラに捧げる、としてバルバラの代名詞「黒い鷲」を歌ったが、これがまたうまかった。彼女は完全にシャンソン的な声質で、その声で当世風のダンス・ナンバーからまさしくシャンソンまで歌うわけだから、広く受け入れられるのは当然である。 パトリシアとは関係ないが、ジョニー・アリディはまだまだかっこいいぞー。例のスタッド・ド・フランスでストーンズに次いでコンサートをやったのは、日本では過去の人と思われているジョニーなのだ。かなり高額なチケットなのに、フランス人が必死で買い求めた。残念ながらぼくは行かなかったが、毎日のようにテレビに出てくるし、やっぱりすごいのである。 |